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【読書記録日記】栞の代わりに 6月6日~6月12日

ごあいさつ

こんにちは、長尾早苗です。今週から、読書記録日記をまとめてつけていくことにしました。ぜひ皆様に知ってほしい、読んでほしい……と思いつつも、あまりにも読む量が多すぎて、一日一回の更新では間に合わないとわかり、一念発起いたしました。お付き合いいただければ幸いです。

6月6日 日曜日

朝吹亮二『アンドレ・ブルトンの詩的世界』を予約。海外の詩の世界を少しでも垣間見たい。他3冊回送中。

6月7日 月曜日

・朝井リョウ『正欲』新潮社

6月はプライド月間と呼ばれている。LGBTQ+の性的マイノリティの人々の理解を深めようという月だ。先週書店で見て気になっていた1冊。今でこそLGBTQ+が理解を深めつつある今、性的嗜好がその他だったらどうなのか。児童愛好だったら……犯罪と言われてしまったらどうなのか。そんな彼ら彼女たちが自分の「性欲」について悩み、考えを深め、また読者に架空の事件として挙げることで問題提起した意欲作。

6月8日 火曜日

暑い日。公園の移動図書館でエッセイなど10冊を借りる。相互利用があるのはありがたい。光化学スモッグ、ということばを久々に聞いた気がする。図書館員の方と世間話。

・白洲正子『鶴川日記』PHP研究所

武相荘のある町田・鶴川は坂の多い土地だ。白洲次郎と正子夫妻は、あこがれの夫婦でもある。あんなに知的で、動乱の時代を生きぬいた夫婦の戦後のしみじみとした随筆を読むのは、読者としても心に染み入るものがある。坂に関して最近思うことがあり、興味深く読んだ。空襲・戦後の武相荘、「お嬢様」から「夫人」になるまで。彼女の品の良さを再確認したように思う。

・五木寛之『七〇歳年下の君たちへ』新潮社

超難関、かつエリートたちの出身校で生徒たちと交わした「文藝」についての対話集。なるほど、生徒たちからの質問も的確で鋭い。「文藝」ということばには色々な意味が込められている。文学的というのは多義・多重性を持ったことばだと思う。そんな中で、「文藝」をしている者だからこそ生き抜けてきた一人の作家、五木寛之。彼の思想や文学論を、かなりかみ砕いた形で読み取ることができた。

・奥田亜希子『魔法がとけたあとも』双葉社

5編の短編集。身体的な変化、というのが共通点になった短編集だが、最後に希望を残して終わる絶妙な終わり方。出てくる登場人物は妊婦だったり、中高年の男性だったり、と実に様々だが、みんな自分の体の変化によって起こる日常からのほんの少しの逸脱を感じた。その「日常からのほんの少しの逸脱」が、物語を生み出す、ということも。

・角田光代『わたしの容れもの』幻冬舎

角田光代。わたしの中では料理に関する若い女性の視点の小説が途方にもなくうまい作家だという認識があり、もしかしたら彼女の随筆を読むのは初めてかもしれない。今回は45歳を過ぎてから自分の体や食事の嗜好にあった変化を嬉々として綴っている。30になりかけのわたしの体にも、当然そういう変化はある。しかし、そんなふうに「自分の変化を楽しめる」女性になっていきたい。

・佐野洋子 文 北村裕花 絵 『ヨーコさんの”言葉”』講談社

数年前、NHKで「ヨーコさんの"言葉"」という番組が日曜日の朝に放送していたのを毎週見ていた。わたしはその頃、その毒舌ぶりとそして最後になんだかほろりとするラストに、毎週楽しみにしていたものだ。『100万回生きたねこ』の著者であり、谷川俊太郎と結婚していたヨーコさん。わたしは彼女のように堂々と「疲れた」と言ってみたい。大らかに開き直っていたい。呵々大笑する「ヨーコさん」が見えた気がした。

6月9日 水曜日

執筆とイラストの前に朝活として読む。朝は集中力を発揮できるからいい。簡単な朝食を取った後読書。終わった後、昨日の暑さのバテが出てしまったのか重い疲労。仕事量を減らし、映画『めがね』を観る。アイスコーヒーがおいしかった。

・長野まゆみ『カムパネルラ版 銀河鉄道の夜』河出書房新社

『銀河鉄道の夜』はカムパネルラを天上に残し、ジョバンニだけが生還する物語だ。しかし、数々の宮沢賢治の遺稿と他作品を交えて小説風に解説していくことで、宮澤賢治の思想・異界と現実との思い、宗教の多彩な文化が見えてくる。児童文学のようでいて、結構怖い『銀河鉄道の夜』の小説家による「読み直し」のような一冊。

・小川洋子『不時着する流星たち』角川書店

実在する奇妙な人物・モノやチームを題材に、小説にした短編集。ことばの選び方が珠玉。不思議で奇妙な世界を醸し出している。一見すると奇妙だが、そこはかとなく「あたたかさ」を感じるのは小川洋子のなせる業だと思う。どの「奇妙さ」にも、あたたかなまなざしをむけること。それこそが小川洋子文学だと思う。

・曽野綾子『病気も人生』興陽館

80歳を過ぎてくると、疲れてくる――これが文筆家の本音だ。様々な病気にかかりやすくなり、その病と付き合っていかなければならず、自分自身「介護」という問題に直面している。人間はみな、悲しいことだが日々歳を重ねるにつれ、衰えていく機能があるというのは誰も反論ができないように思う。しかし、病気さえも自分の人生と開き直れるところが素晴らしいと思う。

・さくらももこ『おんぶにだっこ』小学館

さくらももこさんが旅立ってしまったのは本当にさびしい。それでも、彼女のエッセイはいつもどこかキュートでユーモラスだ。こんな書き手もいたのだ、と少ししんみりとする。他にもエッセイは多数あるが、よく小学生時代にハマっていたのを思い出す。このエッセイ集は「まる子以前」の幼少期のもの。彼女自身も母であることから、子どものこと、家族のことのまなざしがあたたかく感じられた。

・北方謙三『生きるための辞書』新潮社

人には旅が必要だと私も思う。この「辞書」の目次に最初に書かれている項目が「旅」。他にも、「食」「躰」などの漢字一字が並ぶ、非常に興味深い一冊だった。人が生きていくということは、どこかへ移動し、どこかで何かを食し、何かを為す、というごくごくシンプルなことであると思う。それを、すべての大人になった人たちは忘れていないだろうか、という問題提起がなされたエッセイ集。

6月10日 木曜日

待ちに待った予約図書が届き、地域のセンターに向かう。特に『風と共に去りぬ』は、東浩紀さんと鴻巣友希子さん、上田洋子さんの対談のことを概要だけ家族から聞いていたため、話を聞くのは読み終わってからにしようと家族を制していた。まるで遠足前の子どものような気持ちでセンターが開くのを待ち、ここぞとばかりに帰って読んだ。しかし、家族から聞いた『風と共に去りぬ』の対談の説明を聞いて、またアクロバティックな読みができそうなので、風と共に……は後日書こうと思う。

・ニーチェ 西尾幹二訳『悲劇の誕生』中公クラシックス

ニーチェがものすごくブームになったときは面白い現象として見ていたが、彼の語る芸術論もまた独特で面白い。デュオニソス的、アポロ的ということが知りたくて手に取った一冊だが、陶酔的、夢的という芸術のありかたについてとても詳しく述べられていた。難解な著書だったが、芸術とは人間の根源のものに位置付けられている点は納得ができた。

・朝吹亮二『アンドレ・ブルトンの詩的世界』慶應義塾大学法学研究会

痙攣的な美、ということばにハッとした。アンドレ・ブルトンはフランス文学の詩の中で「私」という話者に語らせることにより、一種の「狂気の女」を描こうとしていたのではないだろうか。今回、朝吹亮二さんのこの詩論を読んで、ますますフランス文学やフランス詩に興味を持った。ぜひ日本文学を読み終え次第読んでみたい。

6月11日 金曜日

午後、野村喜和夫『幸福な物質』瀬尾育生『モルシュ』小池昌代『かきがら』を予約。詩集に触れる機会が多いのは詩人にとって良いことだと思う。

6月12日 土曜日

・マーガレット・ミッチェル 鴻巣友希子訳『風と共に去りぬ1~5巻』新潮文庫

わくわくしながら、全巻を読み終わった。きっと、宝塚の影響もあってだろう。もともと知っていた旧訳ではもっとスカーレットがへりくだった女性として描かれていたように思うが、実は粋がった若い女性であるということに新訳で気がついた。そして、物語全体を貫く「戦争文学」としてのポリフォニー、一人称ではない自由間接話法について深く学んだ。この南北戦争時代、言ってはいけないことを胸に秘めていたのを、ミッチェルは地の文に入れ込んだ。まさにそれは日本語にはない文法で、そのころの「南部」と敗戦国としての「日本」が重なる、という読みは深いと思う。

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