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【日記・エッセイ】すべてを許すことについて 2024年8月8日 木曜

こんにちは。長尾早苗です。

全部許せなかったな……
もう書けなくなるかもしれないと少し思っていましたが、もうその怒りをぶつける相手がいなくなった時。

祖母が旅立ちました。

祖母とはなんのいい思い出のひとつもなかったので、泣きながら「どうしてこんなにきれいに終わってしまったの!?」と母に当たり散らしましたが、もうそれも意味のないこと。祖母はいないんです。

ちょっと、昔語りしてしまうと。

わたしの父は兄がいました。
わたしにとっての叔父です。
わたしが生まれるずっと前に、祖父も叔父もこの世からいなくなってしまって、父は幼稚園の時から小学校・中学校・高校・大学・大学院・公務員試験の受験と勉強だらけの日々を過ごしていました。

父と母の間に生まれたのが障害を持つ兄で、兄の障害が分かったときも、わたしが女性であるとわかったときも、妹が生まれたときも、祖母は母をさんざん言いました。

そして、わたしに旧姓を継ぎ、ひ孫の顔を見せるようにと小学生ごろから言っていたんです。

どこの大河ドラマだよ!
と思うのですが、古い価値観のひとだったので仕方ありません。
世間体だけ気にして、家族のことなんかちっとも構わなかった。そんなひとでした。

でも、どれだけうらんでも、どれだけわめいても、祖母はいない。
母に八つ当たりしましたが、母の方がつらい思いを祖母の生前していました。母に八つ当たりすることでもなかった気がしています。

わるいことをしている自覚がなかったんだから、しょうがない。
どんなに明るく活動していても、わたしにはそういう側面もあるのです。たぶん、SNSでのわたしを見ている人なら相当びっくりされるんじゃないでしょうか。

もう、怒るのも疲れた。
生まれたときから、喜怒哀楽というものが自分に芽生えたときから怒ってきましたが、今はすべてを許して受け入れるタームに入っているのかもしれません。

もういいよ。祖母はいないんだ。

そう思って、次に進もうと思います。

今、いろいろなことが社会の中で起こって、怒りたくなったり呆れたりひどく忙しいのですが、わたしはそのすべてにおいて、自分の家庭の問題をクリアにしないと言わないというスタンスを保ち続けています。

それはわたしの個人的な家庭・政治に対しての見方があるので、どうしてこの発言をしないのかを問われることもあります。

多くの野心がある人たちは「偉くなりたい」「自分を大きく見せたい」「人の上に立ちたい」「お金持ちになりたい」「自分をよく見せたい」「承認されたい」「有名になって実績がほしい」という望みを抱いて生きています。それは仕方のないことで、自分に野心がないかと言われたらわたしはある方なので何もいいません。人間のさがだと思います。
ただ、それで幸せになれるのかというと、多くの野心がある人たちはそうなっていませんでした。

ただ一つの基準として言えるのは、自分が満足して自分の基準で「幸せに生きられるのかどうか」にかかってくるとわたしは思っています。

わたしは、幸せに生きたい。そしてわたしと共に生きる人にも、幸せに生きてほしい。わたしにかかわってくれた人も、幸せになってほしい。

ひとりひとり幸せの定義は違うけれど、ひとりひとりが幸せになれるならあたしゃなんも言わない。

祖母のことをこんなにも悪くいってきましたが、今になって思い出すと不思議ですね。
彼女が笑っている顔しか思い出せないんです。

年始はいつも祖母の家で過ごしていたのですが、テレビを見てすきやきを食べて初詣をふりかえり、毎年家族写真を撮っていました。

きっと父にとってわたしたちは、希望であり望みであり夢だったのだなと思います。父になかった家族のかたち。きっと自分が作っていけると信じてやまなかった家族のかたち。

祖母は、わたしと最後に会ったとき。なんだかうれしそうにしていた。

もういまさらののしってもつらくなっても、祖母はわたしにも、わたしなりのかたちで、幸せになることをのぞんでいた。

みなさまも幸せに、ね。

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