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感動の再構築――中田昭写真集『・京・瞬・歓・』

下鴨神社が好きで、折に触れて参詣しているのですが。

糺の森を歩いていると、陽の光が差し込んで、あたり一面が浄化されるような景色に出会う瞬間があって。

その瞬間を急いで写真に収めようと、スマホのカメラを向けてみる。
確かに光は差し込んでいるけれど、何かが足りない。あの、「わぁっ」と息をのんで、肋骨が一気に広がる感覚が、ない。


祇園祭なんかでも、目の前を通り過ぎていく華やかで威厳ある山鉾と、写真フォルダに入っている山鉾とでは、同じものとはとても思えない。


自分が撮ると、ただの記録にしかならないんだよなー。
結局、フォルダの肥やしになるだけ。

というのもあって、ふだんはあまり写真を撮ることはしない。心震える瞬間に出会ったら、全力で五感で取り込んで、脳みそに焼き付けることにしている。


だから、写真家さんってすごいなーと思うのです。


中田昭さんという、京都の写真家さん。
京都新聞の連載が大好評で、当初1~2年の連載のはずが、3年、4年と続き、ついには10年を超え、そこから厳選された写真を書籍化したのが、この『・京・瞬・歓・』(出版されたのは、連載9年目の年)。

中田昭さんの写真は、あの、「わぁっ」っと一番心躍った瞬間の、てっぺんが切り取られている。同じ景色を実際に見たわけではないけれど、「そうそう、これ。この感動!」という気持ちにさせてくれる。あるいは、あたかも実際の景色を見たかのように錯覚してしまう。


私は写真については全くの素人だけれど、これらの写真がものすごく考えられて撮影されている、というのはわかる。

まず、何を映すのか。
その良さが一番伝わる距離は、角度は。
魅力を際立たせるために、何を一緒に映り込ませるのか。位置関係は。

一瞬の煌めきを逃さないのはもちろんだけれど、きっと、映っているものすべてに意味があって、構図が念入りに作りこまれているのだと思う。


そういえば以前読んだ岡本太郎さんの本に、「プロが撮った写真は綺麗だけど、伝えたいことが伝えられないから、全部自分で撮った写真を載せている」といったことが書いてあった。

プロかアマチュアか、というよりは、撮影者に「これを、こう伝えたい」という意志があるかないかなんだろうな。


なんて、意志のない写真を量産している私が偉そうに言ってますけれども。

現在受講している京都ライター塾でも、「書きたい」ではなく「伝えたい」が大事、とえずさんが話していた。写真も文章も、きっとそのほかいろいろな分野でも。根本は同じということですね。


ページをめくるごとに感嘆のため息がとまらない中田昭さんの写真集。
もう吐く息が残ってないよ!

この一冊で京都の四季をぐるり楽しめるのも魅力。それぞれの写真に関連する、行事の意味や季節の言葉なども書かれているから、京都を学ぶにもぴったりの一冊なんですよ~。おすすめです。


ではまた~。


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