アダルトチャイルドと向き合う日記3.5〜ルールについての再考察
ねこまたです。
先日振り返った自分を縛るルールについて考えていました。改めて振り返ってみると、人生の中でも矛盾しているような出来事もあります。
ということで、改めて直近の人生を振り返っていきたいと思います。
<私を縛るルール>
・問題は見て見ぬ振りをする。話題にだすと酷いことが起きる
・自分の本音は感じない方が良い。じゃないと他人の気持ちや目がわからなくなって、酷い目にあう
・自分の感情は押し殺し、その場の最大公約数の感情を装う。発露すればひどい目にあう
・高い学歴などの相応のバックグラウンドが無いものは基本的に人生から排除する。そうでないと、自分の価値が落ちて酷い目にあう。
・まじめにコツコツやれば必ず幸せになる。手を抜けば、酷い目にあう。
・だれかがしんどいときは、みんなも楽しそうにするのは控えるべきだ。
※ひどい目にあう=いじめられる、無視される、陰口を叩かれる、殴られる、自分が自分でなくなるetc etc...
◯人生の中での例外
忠実にルールを守ってきた私ですが、ルールから逸脱できていた時期がありました。
最初の日記に書いた通り、銀行で鬱になった私は「一風変わった」転職活動を経て2社目に入社します。
・就活アウトロー採用
名前の通り、従来の就職活動から逸脱し、結果的に社会からあぶれている若者のエネルギーを拾わんとする試みに、自ら飛び込んだのです。怪しさ半端ない。どう考えてもルールの「バックボーンがしっかりしているもの」から逸脱します。
きっかけになったのは大学の先輩のSNSでのシェアでしたが、原動力になったのは銀行で噛み締めていた思いでした。
「常識がおかしい」
今まで箱入りで育ってきて、大学でもクラシック音楽をやっていた私からすると、ビジネスの世界は非常にシビアで意味不明な慣行が横行していました。特に大学は校風含めて尖っていることが良いという風潮もあったため、「普通」とか「常識」みたいなものをまずは疑ってかかる癖が、災いしました。そんな私の言動一つ一つに難癖をつけ、鬱まで追い込んだ上司が口癖にしていたのが「普通に考えたら〜」「常識的に考えて〜」でした。今となってはそれが正解かどうかは知りたくもありませんが、そんなわけで、「常識がおかしい」というキャッチコピーは、銀行員時代切歯扼腕しながら私が胸の内で叫んでいた言葉だったのです。
夜行バスを駆使して東京まで行き、出会ったばかりの人の家や大学時代の友人の家に連泊させてもらいながら、さまざまなバックヤードのひとたちとの交流を深めました。今でも続いている太い縁もあります。
その時出会った人々は、今までの人生を考えると出会うはずもなかった人々で、ルールからすれば「付き合うべき」人ではありませんでした。しかし、そんなことは一切気にせず縁を結ぶことができたのは、ひとえに「常識がおかしい」と一人で叫び続けていたのが、一人じゃないとわかったからでした。最初の説明会?の時点で社会のシステムやビジネスの世界について、疑問を持たずにはいられない、ある種面倒な人々の集まりで、それが居心地の良さに直結していました。喧嘩みたいなこともありましたが、不器用ながら一つ一つに意味を見出しながら進んでいく感は戦友といっても過言ではなかったと思います。私は友人が少ない方ですが、大学時代の音楽仲間の数名と、この活動でであった数名は同じ密度、安心感で接することができます。裏を返せば、高校以前の知人とはほとんど縁が切れています(そういう会合を積極的にパスしているというのもありますが)。
たしかに、将来は見えませんでしたがルールから逸脱できていたこの時は、幸せでした。少なくとも楽しかったと言えます。それで選んで入った会社から、今に至るまで、結局何があったのか。
いわゆる覚悟感や腹極めというものの中身だと思っています。
何かを選択するにあたって、私は常に弁明が必要でした。「これがやりたいから、こうする。以上!」と割り切ることができません。誰に対しても、これこれだから、選ぶんだ、間違ってないし悪いことしていない。そういうエクスキューズが必要だったんだと思う。とくに、自分に対して。
その奥にある思いを捉えるなら、「損したくない」「より得な方を選びたい」。
じゃあ、何をもって損得を決めているのか?
いくつか判断軸はありますが、大別すると「その先の選択肢(=逃げ道?)の多さ」「見栄えが良いかどうか」「その他目の前の金銭等のインセンティブ」だと思います。
その先の選択肢の多さとは、「コレを選んでおけば後々目の前のコレがダメになっても、こっちにいける」といった思考です。潰しがきくともいうかもしれない。結局のところ、選択を留保しているのと他ならないとも感じます。
「見栄えがいいかどうか」これはわかりやすい。他人からの目線をルールとして内在化している私にとって、他人(世間、常識)からの見栄えの良さは大切な選択基準だったでしょう。それに加えて、こちらを選べば誰かに対して自分の下した選択の理由を「だって大手だから」という感じで簡単に済ませることができますし、それが共通認識としてまかり通っている相手ならそれだけで大丈夫です。楽。
その他のインセンティブは、要するに給料がいいとか福利厚生がどうだとか、見栄えの分類に入ると思います。同窓会で話したら、羨ましがられる要素みたいな感じ。
アウトロー採用に飛び込む〜本格的な意思決断(具体的に言えば転職先の選定)までは本能に従って生きていました。
ただ、最後の決断の際に、やっぱりルールは顔を出すのです。決断するということは、何かを捨てるということ。何かを捨てるのが、私は致命的に苦手でした。家系といっても過言ではないと思います。古新聞から紙袋、はては小学校の作文や工作の作品や幼稚園時代のおもちゃまで、思い出だからととっておく家庭で育った私にとって、何かを捨てる決断はとても重い、難しいものでした。だから、今までと同じパターンで決断をしたとしても、なんら不思議ではないのです。
そんな決断なので、やっぱり弱い。2社目ではすぐにへこたれました。結果的に現職となるわけですが、そこそこなの通った大手と言える企業です。そこに入社できることが決まった時、不思議と安心感を感じました。
同時に、アウトローの面々に対して、申し訳ない気持ちも強く感じていました。社会のマジョリティをひっくり返したいという思いで語り合っていた仲間を裏切った。そんな後ろめたさを感じていました。
そんな安心感と後ろめたさのないまぜになった状況で、仕事はといえば、私のルールを強化してしまうような仕事でした。私の仕事は、転職希望者を企業へ紹介し、内定を取らせ、入社意思を決断させること。
アウトロー採用と違い、通常の社会の力学で動く採用システムである中で、私の旧来のルールが強化されていきました。
「経験のないことはできない」「学歴で足切りがある」。
システム化された採用と、自社のビジネスモデルの中で、この2つをいかに転職希望者に悟らせるかが、もっとも効率的に成果をあげる秘訣でした。
裏を返せば、「今までやってきたことに近く、分相応の企業を受けさせれば内定が出る」ということです。(そのカラクリは本稿の主旨ではないので省きます)
元来営業として成果を出したことがなかった私にとって、対個人向けのビジネスはかなり向いていたようです。すぐに成果や表彰台が向こうからやってきました。しかし、一方で成果は数字という形で明確に出ます。世間や周囲の目を内在化させた私にとって、これほどしんどいものはありませんでした。月が変わればゼロスタートで、未達など考えられない(実際は外していましたが)。そんな思い込みが膨れ上がり、いかに効率的に数字を叩き出すか。そしてその中で個人を傷つけないかに腐心しました。
それでもまだ、業界が複雑だったり専門性の高い世界は知的好奇心を武器に楽しめました。でも、最後に担当した領域は、その知的好奇心すら役に立たない領域でした。なにせ、転職を思い立った原因は全て同じ。言われることも全て同じ。そして基本的に叶えられない願いをいかに悟らせるかしか仕事としてしていませんでした。
立場的にも新人どころかリーダーになってしまい、自分の考えているレベルのことを対等に議論できる相手が非常に少なくなっている状況。否、ぶつければよかったのでしょうが、そんな余裕は誰にもないほど同位以上の人たちは疲弊していましたし私自身若輩であることも遠慮して(ルールに従って)遠慮していた節があります。
本業と関係のない場所でそういった人間関係を見つけたい。そう願って参加した活動はすべて空回りでした。ファッション感覚でトライしている人たちに、どうしても馴染めなかった。彼らが考えたと言い張るものは、私からすれば考えていないにひとしい。そしてそれを柔らかに指摘し、議論をリードするだけの技量も器も持ち合わせていませんでした。
結果的にガス欠で倒れることになるわけです。
振り返ってみれば、アウトロー採用で楽しくやれていた理由はいくつかあります。
・同じ価値観を共有していた(常識がおかしい)
・抽象的な議論が多く、いつも頭が回っている感覚があった
・バックボーンが関係なかった
・東京という「アウェーに優しい土地(アウェーの人ばっかりいる)」
今の仕事に置き換えてみれば、
・共有する価値観が薄い(顧客志向は持ち合わせているが、成果重視なのでどうしても言行不一致になるし、サービスとして嫌い)
・抽象的な議論をめんどくさがる人が多い。仕事はルーティンで、頭を使うシーンは少ない。
・立場がある(ルールに縛られているからだけれど)
・地方という古い土地でありホーム
とまぁ見事に真逆で。
とはいえ、入社した時は結構上に近かったんですけどね。ほんの数年のうちに大きく変わってしまいました。かわったのは自分自身かもしれません。
「あの頃はよかった」
にはならないようにしたいので、振り返りと向き合い方、頑張ります。
今は「腹から湧いてくる「やりたい」こと」をしっかり捕まえて実行する訓練期間です。
ではでは。