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アートとは何か

 これは以前地元紙である高知新聞2021年2月7日付けに掲載されたものです。

 よく「障害を持つアーティスト」が話題になりますが、私はそれに疑問を持っています。それでも、手足が不自由で口に筆を持ち絵を描く人たちは尊敬します。山下清も好きです。しかし、私が気にかかるのは、精神障害や知的障害を持った「アーティスト」達。

 彼らは障害があるからこそ世間で話題になるのであって、障害が無ければ「アートの才能が少しあるただの人」ではないかと。見る人は、彼らの障害を見せ物的視点で見ており、本当に芸術性のある作品だと思っているのでしょうか。

 こんなことを言うと眉をひそめられそうですが、断っておくと、私も「広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)」と「双極性障害」を持った当事者です。

 当事者からの視点で、「障害を持つアーティスト」についての疑問を書いてみました。

 オーテピア隣の西敷地で開催されている「アートアクアリウム展」が不振だ、という記事を読んだ。数多の金魚を、プロジェクションマッピングで彩るという催しだ。

 しかしどういうわけか、私はこれに興味を感じない。金魚は趣のある鉢の中で静かに鑑賞したい。特に姿形が魅力的な土佐錦魚は、じっくりと一匹一匹のゆらめきに浸りたい。

 そこに華美な演出は不要だ。演出が加わると「アート」ではなく「ショー」になる。それはもはや芸術ではなく、見せ物に近い。

 話は変わるが、よく何らかの障害がある人が個展を開いたというニュースを見聞きすることがある。なぜか決まってその記事の中には、「個性的」「独創的」という単語が出てくる。何を指して「個性的」「独創的」というのだろう。

 こだわりを持つパターン化された精密画が、個性的なのだろうか。細部まで隙間なく描き込まれた作品が、独創的なのだろうか。
それらは典型的な自閉症者の作品としか思えない。

 結局鑑賞する側は、彼らの作る作品に芸術性を感じているのではなく、見せ物として傍観しているにすぎないのではないか。もっとも私自身が広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)の当事者であるため、特に過敏になっているだけかもしれない。

 「アート」と「ショー」の違いとは。
それは「対話」があるかどうかだと、私は思う。表現者の想いが作品を通して、見ている者に伝わるか。また鑑賞者は作品に触れて、表現者に問いかけることができるか。「アート」とは何か、私の永遠の課題である。


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