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災害対策としてのお手

うちの猫が地震を経験したのは生後4ヶ月のときだった。
「地震だ!」と思った瞬間には棚はぐらんぐらんと前後に暴れだし、猫は1Kのどこかへ消えた。

幸いにも揺れはすぐに収まったが、この地震でいくつかのことが分かった。まず、我が家には猫用の備えが一つも無かった。そして緊急時に猫を捕まえるのは至難の業だった。

防災リュックに猫用品を追加するために、必要なものを検索する。1週間分のドライフード、ペットシーツ、折りたたみできるトイレとハウスなど。家にあるものはジップロックに詰めて防災リュックに入れ、無いものは通販サイトのカゴへ入れていく。

そのサイトには持ち物だけでなく、緊急時に備えたペットのしつけについても書かれていた。キャリーケースでの移動に備えて普段から慣れておきましょう。家族以外の人間から食事を貰う経験をしましょう。
自分がいなくなり、猫だけが残される可能性を匂わせる内容に災害の非情さと現実を感じる。真剣に読み進めていると、次の項目で思わず声が出た。

「避難所生活で他の人と馴染めるように、簡単な芸ができるといいでしょう」

そ、そんな。犬を対象にしているのかと思ったが、そのサイトは明らかに猫向けであった。犬用の記載を参考にして消し忘れたのか。本気で言っているのか。どちらにしても次の行に書かれた「避難所は動物が好きな人ばかりとは限りません」の一文は、飼い主に重い現実としてのしかかった。わたしには魚臭い口も6キロの巨体も愛らしいが、他人から見ればただの猫。嫌いな人から見れば汚い毛玉。猫アレルギーの人にとっては、歩くアレルゲンなのだ。

芸一つで、この猫が体育館のすみっこで過ごせるか真夏の屋外に放り出されるかが変わるかもしれない! 恐らくそんなことはないのだが、前日の揺れの恐怖が残っていたわたしはその一文を真に受けた。災害対策としての「お手」修行が始まった。

「お手」

猫が退屈そうに床に転がっているタイミングを見計らい、指示とともに猫の手を取って自分の手のひらに乗せる。猫は「意味がわからない」と言いたげな顔をして、手をスッと引いた。お手をするはずの手は香箱座りの中へ消えて二度と出てこなかった。

「手を乗せたらおやつをあげましょう」とあるが、この一瞬はとても「乗せた」に数えられない。人間のろくでもない考えを察した猫は、ベッドの下へ消えた。これほど危険察知能力があれば、人間よりもたくましく生き延びるかもしれない。

その後も数回試したが、猫は「お手」を覚える前に、人間が猫の手を使って良からぬことを考えていると学習した。こちらから近寄ると無言で立ち上がり、一定の距離を保つ。本末転倒。「これでは緊急時にキャリーケースにも入れられないじゃないか」と気づいたわたしは、お手計画を即座に断念した。しかし発想は悪くない。

暇つぶしで眺めていた相談サイトで、「近所の子どもが遊ぶ声がうるさくてつらいです」という質問が投稿されたことがあった。「我慢しろ」という回答にならない回答もある中で「その子どもの名前や年齢を知っていますか? 顔見知りになるだけで、同じ声でも不快さが減るかもしれません」というコメントはひときわ目を引いた。解決から一番遠くにいるようで、もっとも本質的にも見えた。

つまり事前に作られた関係性で、非常時の印象も変わってしまうのだ。これは批判めいた回答よりもよほど意味があった。

今の家には二階にキャットウォークがあり、突き当りに小さな窓がついている。外から二階を見上げると猫がこちらを見下ろしているときがあり、猫を飼う幸せを何倍増しにもする窓である。

お手の学習に失敗した今、あの窓はうちの猫の生命線になるかもしれない。郵便屋さん、幼稚園から帰って来るお向かいの子ども、ポスティングでやってくるおばさん。さぁ、猫よ。尻尾のひとふりでもして、その窓から愛想を振りまいておくのだ。ファンを作るんだ。
「あの家には猫がいる」。いや、「『かわいい』猫がいる」。そう覚えてもらって、わたしと夫に何かあれば取り合いになるくらい地域でこっそり愛されてほしい。


そんな事を考えている間に我が家には折りたたみトイレや非常用ケージが揃い、非常時の準備が整った。
愛猫家の皆さま。「お手」を教える前に、猫が一週間は生活できる備蓄をお忘れなく。


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