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めんどくさがり屋のひとりごと⑫「黄昏の女(ひと)」

まだ、地下鉄に乗る機会なんて滅多に無かった、中学時代のことである。

私は母の運転する車で、従姉の暮らす松本の街からの帰路に就いていた。
従姉の旦那さんの松本への異動に従姉も帯同して新天地での生活を始めており、その時は母と妹と従姉の母である伯母(母の姉)と一緒に、その生活を見に行った帰りだった。

確か、笠取峠の松並木を抜け、住宅地に差し掛かった辺り。卒業式シーズンを少し過ぎた3月の下旬、時刻は午後4時頃だったと思う。
カーオーディオから流れてくる曲が、スーッと耳に入り込んできた。

♪地下鉄の駅ひとつ乗りすごし 見慣れた町を横切ったら―― 

ZARD「サヨナラは今もこの胸に居ます」より

それは、母が買っていたZARDのベストアルバム「Golden Best~15th Anniversary~」の中の収録曲の16枚目シングル、「サヨナラは今もこの胸に居ます」だった。

母は特に音楽が好きなわけじゃないが、時たまCDを買ってきては車で音楽を流していた。そのアルバムも、たまたま母が買って車に積んでいたものである。

私自身、ZARDは「名探偵コナンの主題歌を歌っている人」のカテゴリーにその時入れていた。
特に大ファンでも無いけど、曲は主題歌を数曲聴いたことのある程度、そんな感じの人だった。
だから、その時も「何か流れてるな」ぐらいにしか思っておらず、ただただボケーっと車窓を眺めていたのである。

ただ、そのボケーっとした意識が途切れた瞬間とその曲が2番のサビに入った瞬間がぶつかった時、それは起こった。

♪サヨナラは今もこの胸に居ます いつも笑顔でかくしていたけど
夏が過ぎるたび この胸が痛い 夜はとても とても長く感じるのです

ZARD「サヨナラは今もこの胸に居ます」より

別に恋愛もしていなかったし、その歌詞の意味もあまり理解はしていなかったが、そのサビが耳に入って来た時に込み上げてきたのは「せつな……」という感情だった。
そしてそれと同時に、「曲名知らないけど、めっちゃいい曲だな……」と思った。
それが、中学2年生の心の中に「ZARD 坂井泉水」という一人のアーティストがちゃんと形を成して現れた瞬間だった。

どうしてそんなに私の心にその曲が刺さったのか、それは今でも判らない。
けれど、その曲を聴いたのが夕方の寂寥感漂う時間だったことと坂井泉水の叙情的な歌詞と歌声、栗林誠一郎が紡ぐメロディーが生んだひとつの恋の終わりが、本能的に14歳の多感な心をくすぐったのかもしれない、と今になって思う。

そこから数ヶ月後、ZARDの存在をちゃんと認識した私の元へ、あるニュースが飛び込んできた。
「ZARD・坂井泉水さん 死去」と、そこには書かれていた。
哀しさよりも、悔しさがその時募った。
せっかく認識したのに、せっかく興味を持ち始めたのに、もうあなたの声は聴けないのか。
一コナンファンとして、一人のZARDファン体験入学者として、それはとても忘れられないものとなった。

そこから月日が流れ、地下鉄の乗り方にも慣れた数年前のことに話は飛ぶ。

カラオケのレパートリーを増やそうと思って、何か新しい曲は無いかと考えていた時、ふと「サヨナラは今もこの胸に居ます」が頭に浮かんだ。
実のところ、あの後ZARDを認識したものの、アルバムを買うなどの行為を行ったわけではなく、特に音楽を聴くことにのめり込むことはしなかった。
ただ、ZARDの存在は忘れたわけでは無くて、再び「名探偵コナンの主題歌の人」として私の頭の中には存在し続けていた。
そんな中で、ふとした瞬間にその曲の思い出が蘇り、「どんな曲だったっけ……」とYouTubeで聴いてみることにしたのだ。

フルコーラスで聴いてみると、やっぱり切ない。
中学生の頃に感じたあの切なさは、間違っていなかったのだった。
そして、やっぱり好きだと思ったのである。
その時から、私の中で「ZARDをちゃんと好きになる」という気持ちが生まれたのである。
そこから数年経ち、今では好きなアーティストの上位に入るほどZARDは好きな存在となった。
多分、ZARDは年を取れば取るほど曲が好きになってゆくアーティストなのだ、と思う。
ミジンコほどの人生経験しかない私が言うのだから、それは勝手に断言する。

今、もしも坂井泉水が生きていたら、どんな曲を生み出していたのだろう。
そう思うことは多々あるが、言ってしまったところでどうにもならない。
だから、少しでも忘れないようにカラオケで彼女が紡いだ曲を歌うのが、ZARDファンの端くれとしての、坂井泉水へのせめてもの弔いなんだと思う。

初めてZARDをちゃんと一人のアーティストをして認識した時、アルバムのジャケットに写る坂井泉水は横を向いて、俯いていた。
写真が撮られた時間は判らないが、夕陽に照らされているものと個人的には思っている。
それと、「サヨナラは今もこの胸に居ます」を聴いたのが夕方だったこともあってか、夕方になると無性にZARDを聴きたくなる。
脳内ではずっと、坂井泉水の声が駆け巡ることもしばしばある。

黄昏に思い出すのは、黄昏た表情をした横顔。
だから私には、坂井泉水は「黄昏の女(ひと)」なのである。

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