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シリーズ三権分立:最強官庁の歩み〜『検証 財務省の近現代史 』 〜

はじめに

問題:次の文章の穴埋めをせよ
日本は三権分立制を採用している。立法は(1)が、行政は(2)が、司法は(3)が担う。

★選択肢
A.国会 B.内閣 C.裁判所 D.内閣法制局 E.財務省主計局 F.検察庁

小学校で習う社会の問題です。
答えは(1)、(2)、(3)の順でA、B、Cとなります。
しかし、実態・中身を具に観察すると答えはD、E、Fの順になります。

なぜ行政が財務省主計局なのか、その力の源は一体どこなのか。

そもそも財務省は、日本の政治や経済運営において強大な影響力を持つ政府機関であり、その動向は常に注目されてきました。
そして昨今では巨悪として語られ、Zや「ザイム真理教」といった蔑称がつけられ、政治界隈では目の敵にされています。
現にamazonなどで「財務省」と検索すると財務省の批判本で溢れかえります。
しかし、その実態や背後にある歴史的経緯について、私たちが理解していることは限られています。本書『検証 財務省の近現代史 政治との闘い150年を読む』は、この巨大官庁の形成過程とその役割、そして政治との葛藤を、歴史的な視点から丹念に描き出した一冊です。
その150年の歴史を読書メモとして、ここに記していこうと思います。

日本の財政と政治の軌跡

本書の冒頭では、財務省の源流にあたる「大蔵省」がどのように誕生したのかが述べられています。
江戸時代の幕藩体制では地方分権国家であり、各藩で税金を徴収している状態でした。明治時代、日本は中央集権国家の形成を進める中で、財政基盤の整備≒東京に税金を集めることが急務でした。そこで2つの障壁が立ちはだかります。「中央の命令をどのように地方に伝達するか」「誰がどのように税金を集めるか」の2点です。前者を内務省、後者を「財務省」となる大蔵省に担わせることになります。

設立された当初の大蔵省は以下の2つの性格を持っていたと言われます。

①少数精鋭
②非政治的な専門家

税金という特殊な勉強と実務経験がなければ扱えない、非常に高度かつ難度の高い仕事を行うスペシャリストという位置付けで、当時は「午前8時出勤、午後3時退勤」というかなり牧歌的かつアンミカも驚くぐらい真っ白なホワイトな働き方でした。激務の中働き、他の役所から権限を奪い、時には政治家とも戦う。そんな戦闘民族な官僚は昭和初期ごろまでは現れませんでした。
(明治維新から20年ほど経つと、キャリア官僚制の前身ができ東大法学部の牙城となっていきます。江戸時代の特権を否定した結果、新しい特権を作るのは皮肉なもんです)

冒頭で紹介した主計局とは一体なんなのか、セットで語られる主税局と合わせて説明します。

主税局:いかに税金を取ってくるか(徴税権)
主計局:いかに予算を配分するか≒税金をどう配るか(予算編成権)

今でこそ主計局がアクターとしてクローズアップされていますが、この当時は主税局が花形部署でした。
理由は簡単で、日本は中央集権国家の形成を進める中で、財政基盤の整備≒東京に税金を集めることが重要視されていたからです。

そして忘れてはならないのが当時の衆議院の強さです。
「予算決定権しかない弱い存在」として語られがちですが、その予算決定権が他と比べ物にならないほど強い権限でした。
予算というのは、(乱暴かつ平易な言葉に言い換えてしまうと)「この1年間は税金をこのように使いたい」という国の意志であり、政権のやりたいことをです。しかしその”政権のやりたいこと”も、衆議院が首を縦に降らなければ動かすことはできません。拒否権という巨大な権限をフル活用して幾度となく藩閥政権を苦しめました。(時には予算成立させるためだけに議員を買収するほどです)
予算が幾度となく拒否されるということは、大蔵省主計局が作成した予算が白紙にされるということでもあります。そうしたちゃぶ台返しを繰り返しされている一方、専門的な仕事を黙々とこなすことができる主税局が花形部署として扱われるのも想像に難くありません。

政治との葛藤:昭和戦前期

大蔵省が特に重要な役割を果たしたのは、戦時中と戦後復興の時期です。本書の中盤では、太平洋戦争における戦費調達と、戦後のインフレーションを抑えるための政策が詳細に記されています。戦時中、大蔵省は軍事費の捻出に苦慮し、戦後は膨大な債務と経済の荒廃に直面しました。その過程で、大蔵省がいかにして限られた資源を効率的に配分し、国の再建に寄与したのかが克明に描かれています。

こちらの章では戦前期について書いていきます。

昭和初期の経済史で大きくクローズアップされるのは、当時の二大政党の立憲政友会と立憲民政党の間で行われた経済政策についてです。

まずは昭和初期の経済思想について整理します。
当時の情勢を踏まえ、一番正論を言っていたのは石橋湛山、小汀利得おばまとしえ、山崎靖純、高橋亀吉の「四人組」でした。
その主張は「デフレ不況時は積極的な財政出動を行うべき。金の保有量しかお金をすることしかできない(貨幣発行料が制限されている≒デフレになることが宿命)金本位制の復帰はNG」というものでした。
政友会の犬養毅内閣で大蔵大臣を勤めた高橋是清はこれを実践した人に当たります。是清自身には学術的な理論を持っている訳ではないですが、政治家としての嗅覚・勘が優れていたというのが実像です。

一方の立憲民政党、特に濱口雄幸は「不況の原因は無駄な歳出があるからで、産業の合理化を行うべき。金本位制の復帰(金解禁)は金の保有量しかお金をすることしかできないから歳出も削減できる」平たく言ってしまえば、このような主張を展開していました。

濱口自身、もともと大蔵省専売局出身の元役人です。この事実だけ聞くと「やはりZがー」と瞬間湯沸かし器人間が騒ぎ始めるのですが、そこだけで判断するのは早計なので、もう少しだけ待っててください。

彼が政治家として立憲同志会に入党し、憲政会へと改組された後には、護憲三派内閣と知られている加藤高明内閣で大蔵大臣として入閣しました。
加藤高明内閣の業績として教科書などで語られているのは男子普通選挙と治安維持法の2つかと思われます。
しかし、この内閣の一丁目一番地として掲げた政策が行財政改革です。大蔵大臣として着任した濱口はじめ憲政会内閣はこのメインイシューを遂行すべく邁進しますが、現代と同じく利権や各省庁の抵抗もあり挫折した経緯がありました。

つまり行財政改革・産業の合理化という緊縮財政みを帯びた政策は、立憲民政党の前身でもある憲政会からのものであり、憲政会内閣で大蔵大臣を務めた濱口雄幸にとっては民政党内閣になり、千載一遇のチャンスと(濱口は)捉え実行に移しました。
その際に日銀総裁も務め、ライバル政党の高橋是清の懐刀の井上準之助を蔵相に抜擢する超超超サプライズ人事を敢行することです。

日銀総裁・是清の懐刀の井上の実力は伊達ではなく、手始めに総額予算5%削減を議会で通過させました。前章で議会は予算決定権という強い拒否権を持っていることを触れましたが、それすらさせず緊縮財政を粛々と実行していく井上は、まさに予算を作る大蔵省にとっての守護神でした。

この頃になると「予算をどう削るか」≒「どう分配するか」ということが重視され、大蔵省の花形部署が主税局から主計局へと移っていきます。

しかし経済失政は遅行性の毒と同じです。自覚症状なく体を蝕んでいくがごとく、日本全体を薄暗い雰囲気が漂い始めます。
当時の大学卒でも職にありつくことができないという異常事態になり、井上財政は失敗なのではとようやく気づき始めます。

濱口雄幸が暴漢に襲われ後に死亡したため、同じ民政党の若槻禮次郎内閣にスライドし井上も大蔵大臣として留任しました。どんな仕事でも100点を取ることができる超シゴ出来人間の若槻でしたが、トップに立って決断するということだけが出来ないというリーダーとして最も欠けてはいけないものが欠けてた若槻はさまざまな諸問題を解決することができず総辞職、下野することになりました。

政友会へと内閣が渡り蔵相には不況を打破することに定評のある高橋是清が抜擢されます。是清は井上の金融財政政策の全否定・180度転換した政策を行いV字回復を遂げます。

結果的に失政となってしまった井上財政ですが、緊縮財政の存在そのものを悪と決めつけてはいけないと思います。景気が加熱した場合などは沈静化・引き締めをする必要があるので、時には井上財政のような緊縮や行政改革が功を制するときもあります。
(時期は違いますが、西南戦争時の悪性インフレを沈静化するために松方正義によるデフレ政策によって沈静化させています)
経済政策は宗教でも経典でもなく、経済という生き物に対してどうするかという柔軟さが肝要です。井上準之助と高橋是清、アカこと共産主義が蔓延し始めたこの頃、自由主義経済を守る砦として期待された二人です。

そしてここまで見て、お気づきの人もいるかもしれません。
緊縮財政の限りを尽くした井上財政ですが、増税だけはしていません。
Zやザイム真理教と叫んでいる人には不都合な事実かもしれませんが、増税は大蔵省の非伝統的な立ち位置なのです。

では一体どこから増税するようになったのか。
馬場鍈一という男が、増税の遺伝子という異物を混入させていくのです。
彼の財政は「増税」と「統制経済」です。
軍事増強を目的とした前年度予算の3割増しという財政を膨張させ、増額分は増税によって補完するという、これまでの培ったものを全てぶち壊す予算案を作成します。しかもこの時期の国際情勢は非常に緊迫したもので、その緊張が解かれない限り軍事費が増額されていきます。そしてその分増税されていきます。
最終的にはこの予算案そのものは頓挫しますが、「臨時」増税を毎年行う≒恒久増税というスキームを作り上げてしまいます。
予算が欲しくて陸海軍それぞれ、拡大し軍事行動へと発展していく。
「負けるべくして負けた戦争」は馬場が仕掛けたスキームによって、引き起こされました。
そしてこの「増税の遺伝子」という名の異物は、その後の日本経済をどん底へ落とす時限爆弾としてしばしば爆発していくのです。

政治との葛藤:戦後復興

戦後復興期における悪性インフレ、占領軍と裏切り者の日本人、双方の社会主義者との戦いが始まります。

昭和天皇の玉音放送によって、日本国民は敗戦を知ります。
しかし大蔵省の人間は違いました。
敗戦後の日本は、戦争による生産力の破壊の結果、生産物と貨幣のバランスが著しく崩れたことにより悪性インフレに陥りました。その結果歳入と歳出のバランスが取れず「健全財政」を維持できなくなりました。それが大蔵省にとっての敗戦です。
国の予算というある種の国家体制を支える彼らにとっては、我々とは違う観点を持っていました。しかしピントがズレた感覚がするのは私だけでしょうか…

まず公職追放を逃れるべく組織防衛から着手します。
主税局長の青木得三とくぞうが幣原喜重郎首相の命令で書いた『太平洋戦争前史』という本が際たる例です。青木本人は「大東亜聖戦の大義」を信じる者でしたが、ここでは「横暴な軍部vs弱い平和主義者の文官」というスタンスで書かれており、自分達でも信じてないストーリ≒歴史歪曲にして、公職追放を最低限に抑えるということに成功しました。

ニューディーラーと呼ばれる社会主義者が占領軍に入り込んでいる状況&理屈が全く通じない状態では、姑息とも言える手段を使う必要があったのです。

ニューディーラーが多数在籍する占領軍が権力を振るう中、国内の社会主義者たちは謳歌します。
社会党内閣である片山内閣が発足すると、経済安定本部(安本)を立ち上げます。
経済・財政政策の立案を目的にたてられた安本は、大蔵省の予算編成権を奪いにかかったのです。この安本には社会党左派の領袖や戦前は共産主義者として活動を進めていたものがおり、完全な社会主義化を目論んでいることは明白でした。
この危機を、占領軍の役人としての功名心を利用し、大蔵省のスパイを安本に送り込み骨抜きにすることにより事なきを得ます。

その後東西冷戦が本格化する中で、「逆コース」と呼ばれる日本を再び自由主義国として復帰できるよう占領政策を転換すると、シャウプやドッジらと共に復興を進めていきます。
戦後復興期における「ドッジ・ライン」などの重要な政策決定も興味深いものです。これらの政策は、日本の高度経済成長の礎を築いた一方で、国民に厳しい負担を強いるものでした。本書では、大蔵省が時に国民の不満を買いつつも、長期的な視点で国家の財政健全化を目指してきた点に注目し、その功罪をバランスよく評価しています。

そして55年体制が確立されると、大蔵省にとっての安泰の時代が訪れます。
絶対与党になる多数派を自民党が握り、憲法改正にギリギリ必要な残り三分の一以上の議席を絶対的野党の斜崩党社会党が握るという構図を作ります。そうなると大蔵省主計局が作成した予算が必ず国会で通るようになり、実質的な権力を有するようになっていくのです。

国民統合の要としての経済とその破壊

岸信介内閣での日米安保条約批准は今とは比べられないほどの大きな熱狂を産みました。当時はマスコミ学界も親ソ派が多く、それに焚き付けられ学生運動も過激化していき国会前のデモで死亡事故が起きたほどです。
確かに安全保障上、日米安保条約批准は重要な事項でした。
しかし米ソ冷戦の真っ只中で思想闘争が起きやすく、かえって日本を分断しかねない状況になってしまいました。

こうした状況の中、経済成長という手法で安全保障を行った宰相がいます。
高橋是清の弟子とも言える賀屋興宣を重用し、大蔵省内に政策ブレーンがいたこともあり、高度経済成長は順調な路線を歩みました。
「積極財政の大蔵省、消極財政の日銀」と今とでは180°違う評価を受けていたほどです。

経済成長≒安全保障について補足をしますと、この当時は米ソ冷戦真っ只中です。そんな中でソ連は間接侵略を得意としていました。間接侵略という言葉に聞き慣れないかもしれませんが、いわゆる暴力を使うことなく自滅するようにじわじわと追い詰めていき、最後は革命させるという手法です。
ではどのように自滅させるか、それは経済を疲弊させる≒国全体を貧しくするです。働いても働いても生活が好転しない、そんな状態に鬱憤が溜まれば現状を一気に打破する危険思想に人は飛び付きます。そうして過激化した国民を扇動することにより、革命が起きるのです。

しかしそんな間接侵略の余地をなくす一つの方法が、経済成長です。
政治に不満が例えあったとしても、働いていれば給料がもらえて昇給もする。人間は他人と比べて「ちょっとだけマシ」という比較によって豊かか貧しいかを感じる生き物なので、もう少しだけ頑張ればもっと豊かになる≒人よりちょっといい暮らしができる、そういったメンタリティで働くため過激思想が入らないというメカニズムです。

これを所得倍増計画という形で実現したのが池田なのです。

しかし名宰相池田によって実現した高度経済成長ですが、陰りはすぐやってきました。
その破綻は以下の2点です。

①蔵相田中角栄
②池田派の干し上げ

田中は大蔵省内を自身の子飼いの人間を増やすことによって扶植していき、旧池田派は佐藤栄作政権で干し上げを喰らい、大平のクーデターにより見るも無残な姿へとなっていくのです。

三角大福の時代になると自民党内は権力闘争に明け暮れる時代になっていきます。「派閥厨・政局厨」といったドロドロとした権力闘争だけを面白がる層もいます。半沢直樹のようなドラマだったら面白いのですが、現実では最悪です。特にそれが政治の世界で行われるとなると尚更です。

膨張・放漫財政の田中、無策の三木、大蔵省主流派出身だけど政局のねじれで頼りない福田、増税原理主義者の大平。どれをとっても最悪な時代です。

特に田中角栄は高度経済成長にとどめを刺した元凶です。
インフレ傾向だった経済にさらなるインフレ政策を実施し、どんぶり勘定の予算を掲げていくのです。
ここで、大蔵省内での「増税の遺伝子」が時間差で爆発するのです。
戦前の馬場財政がフラッシュバックしていき、内閣法制局にも健全財政を行うウルトラCを潰されてしまい、「もはや増税しかできない」という空気感を醸成させていくのでした。

田中角栄の罪はあまりにも大きすぎたのです。

官僚支配の神話と実態

本書の後半では、1980年代から現代に至るまでの財務省の活動と、その権力構造についての分析が展開されます。多くの人々が「官僚支配」という言葉で財務省の強大な影響力を批判しますが、本書はその実態が単純なものではないことを指摘しています。特に、バブル崩壊後の金融危機や、近年の消費税増税に関する政策決定過程において、財務省がどのように政府との調整を行ってきたのかが詳細に描かれています。

そのキーパーソンが真・闇将軍の異名(私が勝手に命名)の竹下登です。

お孫さんにあたるタレントのDAIGOさんや漫画家の影木栄貴さん(DAIGOさんの姉)のご活躍やエピソードトークなどで、好々爺的なイメージを持ちがちですが、少しでも平成政治史を勉強すれば、ドスのきいた腹黒さで胸焼けするほどです。

※「竹下登の孫」という触れ込みがついたのは漫画家の影木栄貴さんの方が先だった気がします。1998年の週刊文春で取り上げられ、2000年代ではトリビアの泉でも取り上げられていました。

権力の中枢を握り尽くした闇将軍の田中角栄でしたが、一人の男のクーデターによりボロボロと崩れていきました。それが竹下登です。

田中角栄に真正面から勝負を仕掛けて派閥の乗っ取りに成功した男は伊達ではなく、角栄の子飼いで溢れていた大蔵省内で粛清を行い、大蔵省の悲願でもあった長らく政治で振り回された結果膨張し続ける財政を改善することにします。

しかしその改善策は増税です。
すっかり大蔵省内の健全財政という意味は、馬場が植え付けた「遺伝子」を角栄によって爆発して歪められた結果、恒久的な「臨時」増税をすることでしか解決できないという思考に変節させてしまったのです。

角栄の支配から解放されたかと思いきや、竹下は露骨かつ陰湿な粛清を行うようになりもっと悲惨な末路を大蔵省は歩みます。
非自民連立政権が誕生した際に権勢を振るった主計局出身の人間及びその部下達を(当時の過剰接待発覚も相まって)徹底的に干し上げ、天下りすらさせない対応をさせたり、消費税成立に尽力した主税局の人間を重用するなどです。
森・小泉ラインができるまでの間、竹下の命令によって総理をやるといった暗黒の平成が訪れます。昔「全部アベのせいだbot」というジョークアカウントがX上で話題になりましたが、全部竹下のせいだbotを本当に本当に地で行くスタイルだったと思います。
何より自民党総裁選の当日、竹下本人は中国にいたという話もあるくらいです…

真・闇将軍竹下登の研究が進むことを今は祈るばかりです。

Zやザイム真理教と揶揄される姿へとなったのはこの頃です。
もはや戦前期までの姿はありません。

結び:財務省を知ることの意義

『検証 財務省の近現代史』は、財務省という巨大官庁が日本の政治や経済にどのような影響を与え、またその背後でどのような闘いが繰り広げられてきたのかを、歴史的な視点から詳述しています。財務省を単なる「悪役」として描くのではなく、その歴史的役割と功績を冷静に分析し、その複雑な立ち位置を浮き彫りにしています。

本書を通じて、私たちは日本の財政運営に対する理解を深めるだけでなく、現代の日本が直面している財政問題についても考える機会を得ることができます。財務省の活動は、私たちの生活に直結するものであり、その動向を理解することは、今後の日本の未来を考える上で不可欠です。倉山満氏の卓越した分析力と豊富な知識に支えられた本書は、財政政策に関心を持つすべての人々にとって、必読の一冊と言えるでしょう。


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