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国立駅のスタバで胸がいっぱいになった話 (東京百景/又吉直樹)

国立駅に手話を共通言語とするスターバックスがある。

用事があり国立に行った時、いつもとロゴが違うスターバックスが目に留まり、気になって寄ってみた。

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店員さんは耳の不自由な方がほとんどで、注文はメニューを指差したり手話をすることで伝えるらしい。細かな対応は筆談でも伝えられる。
手話のやり方が注文口そばの看板にイラストで書いてあった。手話は小学校の授業か何かでやったような記憶しかないが、やってみたいという気持ちにのって、私は手話で注文をすることにした。

自分の注文の順番が回ってきた。見よう見まねで手話をやってみる。

”えっと・・・この飲み物を(メニューを指差す)、イートイン(ここで、手を下にして表現)で、サイズは・・tall(これです、とサイズ表を指差す)、・・・ホット(手話)で、お願いします”

イラストを確認しながら、心の中で話している言葉を一つ一つ手話に翻訳する。

伝わってるかな…とドキドキしながら店員さんを見ると、ニコニコとうなづいてくれている。
”ホットですね”と、私がやったのと同じ手話で返してくれる。

注文が完了した時、自分の表現した言語が相手に伝わることってこんなに嬉しいのかと、想像をはるかに超えた温かさで胸がいっぱいになっていた。

自分の表現したことが、相手に伝わる。
「相手に伝えたい」「相手の言うことを理解したい」という、お互いの気持ちがそこにあることで、こんなにも気持ちは豊かになる。

『ちゃんと話を聞いている、ということを示すのは、端的で清潔な愛情表現だ 』(*)
と、江國さんの本で読んだ言葉を思い出した。

普段の生活で、特に買い物のような場面では、相手に”ちゃんと”伝える、相手の話を“ちゃんと”聞く、という姿勢でいることは稀なことだと思う。でもここでは違う。
自分の欲しいものが相手に伝わって、それが手に届く。
当たり前になっていることが、奇跡のように嬉しく感じた瞬間だった。

出来上がった飲み物を受け取る時も、少し緊張しながら”ありがとう”と自分から手話を使って伝えてみる。
店員さんも手話で”ありがとう”と返してくれた。嬉しい。

注文したホワイトモカは、いつもよりずっと甘くておいしかった。
きっとこれからも思い出す、東京でのかけがえのない思い出の1ページ。

又吉直樹さんの東京での日々を記した「東京百景」。
大好きなエッセイの一つで、どんな気持ちの時に読んでもなぜか少し元気になれる一冊。
作家としても有名な又吉さんの、若手時代の生活や学生時のエピソードなどが、東京での思い出の風景と共に描かれています。

東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい。ただその気まぐれな優しさが途方もなく深いから嫌いになれない。
(文庫 東京百景 p5)

上記は東京百景の冒頭「はじめに」からの引用ですが、そこからすでに、又吉さんの繊細でどこか心地よい表現が溢れ出ています。自分に、その素晴らしさを伝えられる表現力がないのが情けない。

自分もこんな風に色んな景色を見て、感じて、表現できたら、と思わずにはいられない。それでいて、実は自分の大切な思い出をそのままの美しさ、いやもっと美しく素敵なものとして表現してくれているような気もする。
どれを読んでもどこかに懐かしさと愛おしさがあり、でもやっぱりこれが一番好きとはっきり言える一編が見つかる、宝箱のようなエッセイの詰め合わせ。

最初から最後までずっと心地よく、鞄に入れておきたくなる一冊。

(*)「薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木」江國香織  文庫本 p34 より


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