【Short Letter】Shortrip Letter 〜高野山・奥の院へゆく〜 ※後編
(前編はこちら)
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極楽橋からケーブルカーに乗り、高野山の中心部を目指す。
そもそも、高野山という山はない。「八葉の峰」(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)に囲まれた、盆地状の地域を指して、「高野山」と呼ばれているそうだ。
個人的に、ケーブルカーの類は個人的にどうも苦手だ。もしケーブルが切れた時を考えると、支えがないという感覚がどうにも不安なのである。
10分程度で山頂に着く。この時、朝の8時半。山頂は、この季節に似つかわしくないくらいの肌寒さである。
駅の2階から、外を眺める。晴れているのにもかかわらず、雲が目の前まで迫っている。
ここからバスに乗り換え、「仏都」高野山の中心地へと進んでいくのだ。
インターネットが勧める観光ルートに従い、まずは奥の院を目指す。
奥の院とは、高野山の聖地である。最奥部の「御廟」では、弘法大師が今でも日々、衆生救済を目的として、永遠の瞑想に入っていると言われている。
奥の院の前にもバス停はあるが、時間もあるので、「一の橋口」で降りることにする。
一の橋とは、高野山内を流れる御殿川に架る橋であり、ここから先が霊域となる。橋の手前で一礼し、石敷の道を奥の院へと進む。
御廟までの道中は、祈りの道である。杉並木の中に、20万基を超える墓石や、祈念碑、慰霊碑が随所に配されている。
眠っている人々は様々だ。名も知れぬ人から、歴史の教科書で見聞きしたような有名な戦国大名。太平洋で戦火に散った人々、実業界で名を馳せた人物など、ありとあらゆる人物が、弘法大師のお膝元で眠っている。
墓石も様々だ、豪奢で巨大なものから、ひっそりと建てられた仏塔まで、生前の名の大小を問わず、ありとあらゆる弔いの形が見える。
道中目についた、武田信玄公の墓に立ち寄る。派手さはない、苔むした小さな仏塔だ。偉大な人物にも関わらず、生前の名を誇示しない、その慎ましい佇まいに、どこか心惹かれる。静かに手を合わせる。
伐採された杉の木から、白い煙が出ていた。どうやら朝露が太陽の熱で蒸発しているらしい。
何気ない光景も、祈りの空間では神々しく思えるものだ。
この道は何もない空間だからこそ、いろいろと考えを巡らせることができる。
生前の功績の大小に関わらず、弘法大師が祈りを捧げているその下に、生者と死者が集っている。
私の語彙では、この場所を「帰る場所」「原点」などという陳腐な言葉でしか表現できないのが惜しまれる。ただ、人はきっと、永遠の安らぎを求めて、ここに集うのであろう。
歩くこと40分、奥の院に着く。御廟橋を渡ると、そこより先は大師御廟の聖域だ。一切の写真撮影は禁じられている。
御廟で護摩木を購入し、私自身の祈願するところをボールペンで書き込む。聖域で現金という俗なものを触っていることや、個人のエゴである願いを書き込むことにかすかな違和感を得つつ、「安らぎ」を唯一の願いとし、護摩木を火に焚べて頂く。
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