見出し画像

【Short Letter】Shortrip Letter 〜高野山・奥の院へゆく〜 ※後編

 (前編はこちら)


------------------------------------------------------------

極楽橋からケーブルカーに乗り、高野山の中心部を目指す。

そもそも、高野山という山はない。「八葉の峰」(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)に囲まれた、盆地状の地域を指して、「高野山」と呼ばれているそうだ。


個人的に、ケーブルカーの類は個人的にどうも苦手だ。もしケーブルが切れた時を考えると、支えがないという感覚がどうにも不安なのである。

画像7


10分程度で山頂に着く。この時、朝の8時半。山頂は、この季節に似つかわしくないくらいの肌寒さである。


駅の2階から、外を眺める。晴れているのにもかかわらず、雲が目の前まで迫っている。

ここからバスに乗り換え、「仏都」高野山の中心地へと進んでいくのだ。

画像2


インターネットが勧める観光ルートに従い、まずは奥の院を目指す。

奥の院とは、高野山の聖地である。最奥部の「御廟」では、弘法大師が今でも日々、衆生救済を目的として、永遠の瞑想に入っていると言われている。

奥の院の前にもバス停はあるが、時間もあるので、「一の橋口」で降りることにする。

画像3

一の橋とは、高野山内を流れる御殿川に架る橋であり、ここから先が霊域となる。橋の手前で一礼し、石敷の道を奥の院へと進む。


御廟までの道中は、祈りの道である。杉並木の中に、20万基を超える墓石や、祈念碑、慰霊碑が随所に配されている。

眠っている人々は様々だ。名も知れぬ人から、歴史の教科書で見聞きしたような有名な戦国大名。太平洋で戦火に散った人々、実業界で名を馳せた人物など、ありとあらゆる人物が、弘法大師のお膝元で眠っている。


墓石も様々だ、豪奢で巨大なものから、ひっそりと建てられた仏塔まで、生前の名の大小を問わず、ありとあらゆる弔いの形が見える。


道中目についた、武田信玄公の墓に立ち寄る。派手さはない、苔むした小さな仏塔だ。偉大な人物にも関わらず、生前の名を誇示しない、その慎ましい佇まいに、どこか心惹かれる。静かに手を合わせる。


伐採された杉の木から、白い煙が出ていた。どうやら朝露が太陽の熱で蒸発しているらしい。

何気ない光景も、祈りの空間では神々しく思えるものだ。

画像4


この道は何もない空間だからこそ、いろいろと考えを巡らせることができる。

生前の功績の大小に関わらず、弘法大師が祈りを捧げているその下に、生者と死者が集っている。

私の語彙では、この場所を「帰る場所」「原点」などという陳腐な言葉でしか表現できないのが惜しまれる。ただ、人はきっと、永遠の安らぎを求めて、ここに集うのであろう。


歩くこと40分、奥の院に着く。御廟橋を渡ると、そこより先は大師御廟の聖域だ。一切の写真撮影は禁じられている。


御廟で護摩木を購入し、私自身の祈願するところをボールペンで書き込む。聖域で現金という俗なものを触っていることや、個人のエゴである願いを書き込むことにかすかな違和感を得つつ、「安らぎ」を唯一の願いとし、護摩木を火に焚べて頂く。

画像5


ここより先の内容は、旅とサッカーを紡ぐWeb雑誌「OWL magazine」購読者向けの有料コンテンツとなります。月額700円(税込)で、2019年2月以降のバックナンバーも含め、基本的に全ての記事が読み放題でお楽しみ頂けます。ご興味のある方は、ぜひ購読頂ければ幸いです。

ここから先は

669字 / 2画像
スポーツと旅を通じて人の繋がりが生まれ、人の繋がりによって、新たな旅が生まれていきます。旅を消費するのではなく旅によって価値を生み出していくことを目指したマガジンです。 毎月15〜20本の記事を更新しています。寄稿も随時受け付けています。

サポーターはあくまでも応援者であり、言ってしまえばサッカー界の脇役といえます。しかしながら、スポーツツーリズムという文脈においては、サポー…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?