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連載小説『ネアンデルタールの朝』⑭(第一部第3章-4)

4、
「遅くなって、すまん」
駅前の横断歩道を小走りで走って来た駿は、
「民喜、久しぶり」
民喜の肩を叩いた。
「おう」
笑顔で頷く。
これから駿と将人と三人で、駅前の商店街の中を歩いてすぐの居酒屋のチェーン店に行く予定だった。並んで商店街に向かって歩き出す。差し込んでくる西日がアーケード内を明るく照らし出している。
民喜を真ん中にして歩くと三人はちょうど背の順になる。将人は177センチで長身、民喜は平均的な170センチ、小柄な駿は163センチ。前回会ったときより将人は少しふっくらしたように感じるが、駿は反対に幾分頬がこけてしまったように見える。
「駿、ちょっと痩せた?」
右隣を歩く駿に声をかける。夕陽がほっそりとした駿の顔に鋭い陰影を作り出している。
「そうか? 痩せたかな」
駿は首を傾げ、眼鏡の奥の細い一重の目を見開いた。将人とは対照的に駿はまったく日焼けをしていない。
「なあ、将人」
左隣を歩く将人に同意を求める。
「うーん、どうだべ。俺はちょくちょく会ってるから、よく分がんね」
駿は将人と同様に郡山市在住で、実家から県内の大学に通っている。人間システム科学を専攻し「認知神経科学」というものを学んでいるらしいが、民喜にはそれがどのような学問なのかよく分からない。駿いわく、「人の心と脳の関係を解明しようとする学問」とのことだった。
「二人は今まで何してたんだ?」
駿が尋ねる。将人はチラッと民喜の顔を見遣った後、
「朝の10時過ぎに民喜ん家まで迎えに行って……。で、しばらくずっとファミレスでくっちゃべってたかな。その後俺のアパートにいったん車を置きに行って……で、さっきまでカラオケしてた」
と答えた。将人の答えは嘘ではなかったが、午前中に二人で6号線に行ったことは省略されていた。

第一原発と距離が最も近い区間を猛スピードで通り過ぎたとき、ガイガーカウンターは17.12マイクロシーベルトという驚くべき数値を示した。
「17.12マイクロシーベルトだとよ。すげー」
民喜があえて軽い口調で伝えると、
「なっ、すげーだろ」
将人は何故だか自慢げに言った。

生ビールと枝豆が運ばれてくる。ビールのジョッキはいま冷凍庫から取り出してきたばかりのように凍り付いていた。
「他にご注文は」
男性の店員が伝票を手にして言った。二十代半ばくらいだろうか。ヒョロッとした体格で駿のように青白い顔をしている。将人はメニューを見ながら、
「えっと、刺身盛り合わせと焼き鳥盛り合わせと、それと軟骨のから揚げと……」
慣れた口調で注文を始めた。
「民喜と駿は?」
メニュー表を渡されたが、たくさんある料理の中から何を選んだらいいのかすぐには思いつかない。
「フライドポテト、お願いします」
駿が追加の注文をした。
「民喜は?」
「えーと……」
急いでメニューをめくりながら、
「鳥のから揚げ」
から揚げの写真が目に留まったので、それを注文する。
「とりあえず、以上で」
将人は店員の顔を見上げて言った。
「ご注文を確認させていただきます。刺身盛り合わせと、焼き鳥盛り合わせと、軟骨のから揚げと、フライドポテトと、鳥のから揚げでお間違えない……」
「はい」
面倒くさそうな表情で店員の復唱を聞いていた将人は末尾の「でしょうか」を遮るように返事をした。
「少々、お待ちください」
伝票を手に店員は奥の調理場の方に去っていった。時間が早いからか、店内にはまだほとんど客はいない。
「じゃ、とりあえず、今日は久々に民喜が帰ってきたということで」
将人はいつもの人懐っこい笑顔に戻って、ビールジョッキを手にして立ち上がった。民喜と駿も一緒に立ち上がる。
「民喜、お帰り! カンパーイ!」
勢いよく乾杯をする。
「サンキュー。将人も駿も、お疲れ」
ビールを口に含む。火照った体にビールの冷たさが心地よい。
将人はゴクゴクと一気に半分ほど飲んで、
「あーっ、うめえ」
と声を上げた。駿は美味しいのか美味しくないのかよく分からない顔でビールを飲んでいたが、ジョッキをテーブルに置いて一言、
「うめえ」
しわがれた声で呟いた。上唇についたビールの泡が髭のようになっている。
二人の様子を見つめながら、民喜はふと、いつの間にか自分たちは堂々と居酒屋で酒が飲める年齢になっていたんだと思った。
「駿、髭、髭」
将人が駿の口を指差すと、駿は手の甲で泡を拭った。
席に座り、箸を手に取る。俄然食欲が湧いてきた民喜はお通しの肉じゃがを素早く口の中にかき込んだ。
「民喜はいつまで夏休みなんだ?」
枝豆に手を伸ばしながら駿が言った。
「9月の始めまで」
「こっちにはいつまでいんだ?」
将人はそう言ってビールを飲んだ。早くもジョッキの中が空になりそうになっている。
「8月の終わりか、9月の始めくらい」
「そっか。したっけ今回は結構ゆっくりできんだな」
将人は嬉しそうな顔をしてビールを飲み干した。
駿と将人を前にして、一昨日から緊張し続けていた心と体とがようやくほぐれてきたような心地になる。
この感覚――高校の頃、あの浜に集まって、三人でいつも笑っていた頃の感覚を思い出す。波の音を聞きながら、ジュースを飲みスナック菓子をつまんで、夜遅くまで延々と話をしていたあの頃……。

足元に置いているカバンに視線を落とす。カバンの中には駿と将人に見てもらうつもりで持ってきた「ネアンデルタールの朝」の絵が入っている。
「駿はいつまで夏休み?」
顔を上げて駿の方を見る。
「俺も同じくらい。9月の初めまで」
駿はそう言って眼鏡をずり上げた。
「いいなー、学生の皆様は」
将人はそう言ってすかさずテーブルの上の呼び出しボタンを押した。
ピンポーン……。ガランとした室内に必要以上に大きなチャイム音が響き渡る。
「将人は夏期休暇とかあるの?」
将人に尋ねると、
「ああ、一応な。とりあえず、ちょうど明日から、月火と」
「月火って。2日間だけ?」
「んだ。ひでえだろ。まあ、俺の会社、お盆の時期が結構忙しいんで仕方ねえんだけどな」
「大変だな」
駿がボソッと呟く。
「まあ、別に俺はお盆もなんも関係ねえし」
将人は枝豆を口に放り込んだ。民喜はふと、将人の両親が震災後に離婚したことを思い起こした。
「お待たせしました」
先ほどの青白い顔をした店員がやってきた。
「えーと、生をもう一杯。民喜と駿は?」
「まだ大丈夫」
「俺もまだ大丈夫」
「他にご注文は」
「とりあえず、以上で」
将人はそう言って店員に空のジョッキを手渡した。
再び足元のカバンに目を遣る。中から絵を取り出そうとしたが、躊躇してしまった。心のどこかで駿と将人に絵を見せることにためらいを覚えている自分がいた。

「今日は将人、珍しく機嫌がよかったな」
少々おぼつかない足取りで歩きながら、駿が言った。結構酔っ払っているようだが、それは民喜も同様だった。将人に勧められるままに、ビールをジョッキで2杯、そしてハイボールを1杯飲んでしまった。こんなに飲んだのは、生まれて初めてだった。フラフラとして、体中がアルコールで支配されてしまっているように感じる。
「普段は違う?」
「最近は、何だかそっけないべ。イライラしているようにも見えるし。まあ、民喜が久しぶりに帰って来たから嬉しかったんだな」
そう言って駿は笑みを浮かべた。
民喜と駿は駅前のバス乗り場へと向かっていた。いわき行きの最終の高速バスの時刻が9時20分。あと15分ほどでバスが来る。駿はバス乗り場まで民喜を見送りについて来てくれていた。
「民喜、今日将人と一緒に過ごして、どう思った?」
「どうって?」
「最近の将人、ちょっと様子が変じゃねえか?」
「変?」
民喜は駿の顔を見つめた。駿は数秒の間の後、
「ああ。変、というか、ちょっと心配だ。何て言っていいか……。どっか投げやりな感じになってる気がする」
「投げやり……」
「んだ」
民喜は酔っぱらった頭で、今日の午前中の将人の振る舞いを思い起こしていた。6号線を猛スピードで突っ走りながら、将人はこれまで民喜に見せたことのない表情を浮かべていた。
横断歩道の信号が赤になったので、立ち止まる。
「今日はそこまででもなかったけどさ。俺と二人で会ってるときは、さっき言ったように、何かイライラしてる。それに飲む酒の量もすごいんだ。今日もかなり飲んでただろ」
民喜が確認しただけでも将人はビールを5~6杯、ハイボールを2杯、焼酎のロックも2~3杯は飲んでいた。もしかしたら、もっと飲んでいたかもしれない。もしも自分があれほどの分量を飲んだらぶっ倒れて意識を失ってしまうだろう。
「ああ。あんなに飲んで、大丈夫なんだろうか」
「まあ、将人は俺らとは違って酒には強いけどな。でもこの後もまた飲み会があるんだろ。大丈夫かな」
駿はため息をついて、
「まあ、でも、俺も人のことは言えねえけどな。俺も家にいるときはひたすらネトゲしてるし……。将人に偉そうなことは言えねえ」
将人が駿への心配を口にしていたことは言わないでおくことにする。
「ひたすら?」
「ああ。ひたすらネトゲ」
駿は寂しそうに笑った。信号が青になり、再び歩き始める。
「民喜はそんなことねえだろう。真面目に授業出てるだろ」
「うん、一応」
「民喜は安定してるからな、心配ねえけども。最近の将人はちょっと心配だな」
しばらく沈黙が続いた後、
「まあ、でもみんな、そうなんだろうな」
唐突な調子で、駿は呟いた。
「うん?」
「こっちにいる人間は、みんなそうなんだろうな。大なり小なり。程度の差はあっても……」



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