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実家へ

”こういう記憶もいずれはあいまいになって、いま思い出せることは事実と違っていたということになる時が来るかもしれない。”

道中の新幹線の中でカズオ・イシグロ著「遠い山なみの光」を読んでいた。やさしい色づかいの表紙の絵から少し離れた、彼の小説独特の異様さが漂うストーリー展開だった。新幹線の車内は混んでいたが、自由席でも座れたのはありがたい。とりあえず座れば本が読める、読みやすくなる。

平日午前の新幹線、ビジネスマンと思しきひとたちのごった返す中、わたしは小花柄のワンピースにトートバッグという場違いみたいな出で立ちで座っていた。二人掛けの席の隣の客は、アパレルふうにもベンチャー企業ふうにも見える服装の男性で、ノートパソコンを開けて熱心に仕事をしていた。時折、名刺を見ながらぽつぽつとキーボードを叩いている。アドレス入力をしているのだろう。

”当時のわたしは、また中川の辺りへ戻ることがあると、あいかわらず悲しみとも喜びともつかない複雑な気持ちに襲われた。その辺は坂が多いのだが、両側にごちゃごちゃと家が建っている急な狭い道をまた登っていくと、心の奥に虚しさをおぼえずにはいられなかったのだ。ふらりとでかけるような場所ではなかったが、しばらく行かないとどうしても行きたくなった。”

新幹線で向かっていた先は実家だった。こういう、わたしにとって、行くと決めてからもなんのかんのと悩みを先取りしてしまう場所へ向かうのに、この本はぴったりだった。「積読の文庫本」というだけの理由で選んで持参したのに、何時間でも歩けそうなスニーカーを履いているみたいな気持ちになった。車窓の景色はスピードを保ちながらどんどん流れていく。陽は高くなり、本から目を上げると急な光の射し込みようにいちいち瞬きした。

今回の帰省は重たい気持ちを抱えざるを得ない理由があったので、その理由で自分が(できるだけ)だめにならないように、途中、ワンクッション置ける用事を作っていた。実家最寄りの駅まで一時間以上、という駅で新幹線を途中下車する。ここでいったん、エナジーチャージするのだ。これまでの人生でほとんど降り立ったことのない駅である。そういえば数年前、会社の研修で来たことがあったんだったな。研修が終わって駅ビルでコーヒーを飲んでいたら、女性アイドルのちょっとしたステージをしていたのを思い出した。誰だったっけ。きれいに忘れている。

ひろい空はすみずみまで晴れていた。おもてが明るすぎるとなんだか嫌気がさしてくることもあるが、この日のわたしはその快晴ぶりが味方に思えた。
用事の時間まで二時間ほど。今日の最終ゴールが実家だと思うと食欲なんてわかないかもと懸念していたが、おいしそうなパン屋を見つけるときちんと体は空腹を教えてくれた。その土地の食べ物屋さん、なんかをリサーチする(こころの)余裕がなかったので、結構どこにでもありそうなパン屋さんのイートインを利用した。変わり種のベーグルがたくさんあった。おいしかった。

用事の場所は駅からさほど離れていなく、「どうにか着くやろ」くらいの感覚で地図を見ていたら本当にどうにか着いた。方向音痴激しめのわたしにしては快挙。

目的の場所で予想以上のカタルシスを得た後、エナジーチャージしてもらう。浄化行為はその最中、苦しいものだ。何度経験しても、毎回、崖に立たされたみたいに足もとが震えて不安になる。
そしてまた、数時間前に降りた駅へ向かう。

駅までの道、秋が似合う川があった。

なんとなく下を向いて、初めての土地を、わざと来た道と違う小さな道を選んで歩く。誰にも見られたくないような気持ちになりながら足音さえ気にして。誰も見ていないよ。自意識過剰だよ、ははっ。いつものわたしの中のやり取り。
下を向いていたら、でも綺麗な川底が見えた。小さな橋の欄干で、ぐいと体を乗り出して水の流れと水中に揺れる植物をただ見た。ずっと見ていたいと思いながら、時間を気にするふりをしてスマホで写真を撮る。ここでずっと、この川底を見ていたっていいのに。どうせそれもできないんだろ? 「見ていいよ」って言われても、なんのかんのと理由をつけて見るのをやめちゃうんだろ?
あんまり考えるとつらくなりそうな気がして、水面を撫でるようにまたねと口の中で言う。そして歩く。

夜の初めの新幹線に乗る。昼の用事の場所で流れたある音楽が、ずっと頭の中を巡っている。サビの歌詞の始まりが印象的で、うつむいて聴いていたのにやたら体の川をとくとく流れていった。歌っていた女性の声がまっすぐで、凛としているのに柔らかで思い出しては何度も泣きそうになった。泣いちゃだめ。びゅんびゅん進む新幹線の車内。頭の中だけで曲を再生しながら、ピアノで弾くならとコードを考え、スマホにメモをしてみる。合ってるんかなこれ。頭の中だけで鳴らした音楽を実際に弾いてみたらあれ?ってことはよくある。音楽だけじゃないよねこの現象、となんとなく一般化してみたら思いのほかしっくり来てしまって、発見やなあとスマホ画面に思う。

電車を乗り継ぎ、実家に着く。あまり何も考えないように意識するとともに、湧き出る感情に呑み込まれないように、感情ばかりを信じないようにしようと決意する。そうだ、「感情は感じるもので、従うものではない」のだった。感情に基づいて行動しなくてもいいし、でも感情にOKを出してもいい。
「おかえり」
玄関にはパンプス二足だけ。家は母ひとりだった。ふう。とりあえずの息をつく。つけた。

かばんを置いて手を洗って、まず向かったのは二階のある部屋だった。薄暗くて埃臭くて、いまでは物置同然になっているこの部屋。雑然と物が積まれている中、何年も調律のされていないアップライトのピアノが置いてある。部屋の扉をきっちりと閉めてピアノの前に戻り、手近にあったぼろのタオルでうっすらと見える埃をぬぐう。かつては美しかったのよ、とでも言いたげなカバーが掛けられた蓋を開け、わたしは椅子の上の荷物をどけてそのピアノの前に座った。

レファラ。左手で和音を鳴らす。古い楽器特有のくぐもった音が鳴る。部屋は特に防音というわけではないのだけれど、音は余韻を持たず空中で消えた。
昼間耳にしてからずっと頭の中で流れていたあの音楽を、わたしはその古いピアノで弾き始めた。たどたどしくコードを探り、行ったり来たりしながらメロディーの相棒を見つけていく。メモしてたんだったとスマホを開き、アルファベットの羅列を左手で音にした。すっとなじむ和音もあれば、まったくそぐわないものもあった。やっぱり。実際に音を鳴らさないとわからないものなんだ。
全体が弾けるようになると、歌詞を思い出し弾き歌いをした。昼間聴いたあの女性の声を思い出しながら、できるだけ重ねるように、近づくように歌う。
「だいじょうぶ」
歌詞の一部のその言葉を抱きしめるように歌う。自分で自分のことを抱きしめるみたいに。よしよし。まわされた腕は温かくて、いきなり離されたり突き飛ばされたりしないものなんだ。
もっと安心しなよ。弾きながら思っていたら階下で音がした。反射的に口をつぐみ指を動かすのをやめ、部屋はしんとする。
安心? わたしはピアノの蓋を閉め、部屋の明かりを消す。扉の外は現実だ。「だいじょうぶ」扉をくぐりながらわたしは言う。だいじょうぶ、足もとは震えていない。


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