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右と左とわたし

わたしはどうやらずいぶんとアンバランスだから、些細なことが刺激になったり、逆に大変な刺激が感じられなかったりするらしい。多くのひとがたやすくできることが困難だったり、かと思えば、ひとよりするする理解して打ち込めることもある。あんまり多くはないけれど。

カウンセリングの後、また、眠ってしまっていた。疲労によりすやすやと気持ちよく眠れたわけではなく、身体がゆっくり潰されるみたいにして眠っていた。少しずつ意識が薄くなって、身体の両側がゆるく混ざっていく。意識と無意識の境界がだんだん曖昧になり、ぼんやりしたその線を踏み越えるかどうか、わたしの足はすくんで、まるで数ミリくらいの距離を行きつ戻りつしながら時間が過ぎる。メロンソーダのアイスクリームが溶けていくみたいにして。とろとろ、とろとろ。

「カウンセリングの後にすごくしんどくなるのは、変化が大きいからだと思う」カウンセラーは言った。カウンセリングの後、出来事や感情を整理しようとするとわたしは左脳優位になるのではないか、ということだった。混沌とした記憶は整理したいし、名づけたい。ばらばらに落ちていた出来事や感情や感覚やそれらへの理解を、一連の流れのある記憶としてひとつのものにして、心身の底へ「過去」として沈めたい。わっぱ型のお弁当箱に、卵焼きやミニトマトや塩鮭やおにぎりをきっちり詰めるみたいにして。器用に詰めたお弁当は、かばんの中で多少揺らされても大丈夫。きっちり詰まったお弁当を作るのに、わたしはいつもより左脳をつかう。

過去を扱うと、どうしたって記憶がよみがえる。漏れ出る。蓋が開く。引き出しから飛び出る。本棚から本が落ちる。アルバムが勝手に開く。表現はさまざまだ。
カウンセラーは、いやな記憶について「毒ガス」と表現した。毒ガス。すごい。毒ガス。言葉だけでぎょっとするほどのエネルギーがある。想像すると、わたしは行ったことも見たこともないアウシュヴィッツ収容所が目に浮かんで、喉のあたりがきゅっと締まるような感覚に襲われるのだった。アンネの日記。夜と霧。それくらいの知識しかないのに、毒ガスと聞いただけで小さく身体反応を起こす。わたしにも毒ガスがたまっているのか。カウンセラーの発する毒ガスという言葉は、きっとご本人が体験したからこそあまりにリアルで、透明なのにどす黒く重力がある。

左脳が過剰になっているときは、意識して右脳が働くような行為をしてみること。それがカウンセラーからのアドバイスだった。

右脳が働くようなこと。一般的には、右脳のコントロール下に置かれている左半身を使用すると、右脳が活性化するといわれている。
わたしはいわゆる「左利き」なので、そういう意味では右脳はつかわれているのかもしれないけれど、なんというか、たぶん、それが日常だから、たまに左脳を働かせると負担を感じやすいのではないか、という気もする。わたしの左脳も一応仕事ができるやつだろう、とは思う。勝手な自負だけど。でも、ひとより出番を減らされているかもしれない。

わたしが、決まって左半身をつかうこと。
文字を書く。絵を描く。お箸やスプーンで食事をする。歯磨き。お玉でスープや味噌汁を掬う。フライパンをゆする。右手のネイルと両足のフットネイル。かばんや買い物かごを持つ。コップを持つ。右腕に時計をはめる。ファンデーションやマスカラを塗る。アイラインを引く。リップクリームを塗る。スティックのりを塗る。コンタクトレンズをはめる。視力はあまり悪くないのに、コンタクトで矯正しにくい方の目(いつもちょっとぼんやりしている目)。

わたしが、決まって右半身をつかうこと。
包丁やはさみをつかう。大根をする。ボールを投げる、蹴る、打つ。スマホのフリック入力。スマホカメラのシャッターを押す。電卓をたたく。スポンジで洗い物をする。窓拭き。ひとの頭を撫でる。猫の頭をなでる。鍵を開ける。やかんでお湯を注ぐ。左手のネイル(おお下手)。ヘアブラシで髪をとかす。視力はかなり悪いが、コンタクトでたやすく矯正できる方の目(ぼんやりとくっきりのギャップが大きい目)。

あれ? わたし、右も左もつかってる。ペンや箸が左だと「左利き」と認識されやすいけれど、ボールは右でしか扱えないし、包丁は矯正されなかったのに右でしかつかわない。みんなどうなんだろう。(もしよかったらコメントで教えてください)

というわけで眠りからは覚めた。ちゃんと、仕事のときは意識が働くようにがんばってくれた。わたしの右か左か、どっちかよくわからないけど、えらい。がんばった。
バランスよくはつかえないけれど。微調整をしながら、細い糸で編むようにいしていのちをつないでいる。こうして近い将来のわたしと約束する。過去のわたしとも。もう少しつないでいくから、大丈夫。


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