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行動の証

「だからごめんって言ってるじゃん」
こういうとき存外まっすぐな目で見るんだな、と彼の顔を、瞳を見て思った。
「謝ってるじゃん」
まっすぐ、なのか? 眼球の表面に野生動物みたいな強い光をたたえている。何だって跳ね返してやる。そういう強さを感じる目。
わたしはそこで、うん、と言えなかった。うん、わかった、いいよ、と、かつてのわたしならば脊髄反射のごとく速さで反応していただろう。そう、行動でなく反応だ。行動はわたしの意思が反映されているが、反応にはわたしの意思は反映されていない。反応は、自分のコントロール不可能な領域で起きていることだから。

うん、と言えないいまのわたしは、つまりコントロール可能な領域を生きている。彼を目の前にしても、音もたてずに砂鉄が磁石に吸い付くような反応はしていない。砂鉄から磁鉄鉱を丁寧に取り除く作業をしているわたしは、つまりものすごく地道で終わりの見えない作業を進めているわたしは、でも確実に反応でなく行動の領域に差し掛かっている。彼を目の前にしても。

「謝ってるじゃん」
彼は言う。言い続ける。いまのわたしには無意味な言葉なのに。まるで、日本語が通じない外国人に、どうにか日本語を伝えようと何度も何度も繰り返し、ゆっくり発音しているみたいに。だめだよ、通じないよ、だって相手は日本語わからないんだもの。「謝ってるじゃん」は「ayamatterujan」というただの音の羅列なんだよ。どんなに繰り返したって、相手にとっては未知の言葉なの。それが彼にはわかっていない。もう未知の世界のひと。違うステージを生きているひと。

うん、わかった、いいよ、と表面を取り繕って、その場をやり過ごすこともできるのだ。それも乗り切る方法のひとつ。サバイブのひとつ。
けれども、それがわたしにとって「表面を取り繕った行動」に過ぎなくても、相手からすればわたしから言質を取ることのできた重要なシーンとして捉えらえてしまう。「あのときいいよって言ったじゃん。許してくれたってことだろ?」と切り札を突き付けられるのはわたしだ。

謝ってほしくなんかない。
こころの中のもうひとりのわたしが言う。もちろん口には出さない。わざわざ揉め事を起こすような真似はしない。
謝っている相手が望んでいることは、わたしに許してもらうこと。もうご破算にしてもらいたいということ。なかったことにしてもらいたい。つまり変化を望んでいるのだ。謝罪して、それが受け容れられれば、ふたりは次の関係性へと進んだことになる。

わたしは、べつにあなたに謝ってほしくなんかない。
謝られて受け容れれば、上に書いたように相手との関係性は変わることになる。べつに次の関係になんて進みたくない、というとき、どんな反応をしたらいいのだろう。あ、あれか、「謝って済むと思ってんの?」ってやつか。
「謝って済むと思ってんの?」は、謝ってほしくない証拠だ。つまり関係を変えたくない証拠。あなたとの関係はもう変化しませんよ、次に進む気なんてさらさらありませんよ、の証拠。

「謝って済むと思ってんの?」は、復讐したいってことかもしれない。謝罪なんていらないから、思う存分復讐させてくれ、ってところか。次のストーリー展開は望んでいない。これにて終了。
でも、いまのわたしにはちょっとしっくりこない。復讐というのとは違う。諦めを含んだ何かのようなものが大きい。色濃い。

「謝ってるじゃん」
彼は繰り返す。わたしが予想する以上にきらきらした目でこちらを見て。きらきらしたものは怖い。震え上がりそうになりながら、わたしは何も言わない。何もしないという行動をする。わたしは目を伏せる。ただ静かに伏せる。


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