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辛かったことも楽しめるように

料理が大好きで楽しいと先日の記事で書きました。


…なのですが、料理をする時間が辛い時期もありました。週に3回くらいしか料理をしなかったくらいに辛かったです。今と真逆ですよね。

でも、自分と向き合った結果、料理への見方が変わり、楽しめるようになりました。今回の記事では、どのようにして、辛かったことを楽しめるようにマインドチェンジしていったか、についてお伝え出来たらと思います。

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料理が辛かったのは、模範的にこだわっていたから。

正解の型にハマるために、自分を型に押し込んでたんです。世間が三角形が素晴らしいというなら、自分も三角形になろうというように、一汁三菜がお手本とされるから、自分の家の食卓も必ず一汁三菜にしようと。

別に一汁三菜にこだわらなくても良くない?今どきそんな人いるの?って思う方が大半だと思います。

お手本を目指す義務を自分で自分に課していたのは訳がありまして。私、当時は病院の管理栄養士だったんです。患者さんに対して、野菜を沢山摂りましょう!お酒はやめましょう!コロナで在宅ワークだからといってお菓子を食べてはいけません!なんていう机上の空論を振りかざしていました。仕事では理想を人に押し付けておいて、プライベートで自分勝手な食事をしている、という管理栄養士にはなりたくなかった。だから、模範となる食事をしたかったんです。

そうしたら、料理が全く楽しくない。

作る料理は、自分が食べたいものではなく、健康に良いもの。自分の食に対する欲をガチガチに鎖で縛って、出てこさせないようにさせ、型にはまった料理しか作っていなかった。

誕生から死まで、日曜から土曜まで、朝から晩まで、すべての活動が型にはめられ、あらかじめ決められている。このように型にはまった活動の網にとらわれた人間は、以下のことを忘れてしまう──自分が人間で あること、唯一無二の個人であること、たった一度だけ生きるチャンスを与えられたこと、希望もあれば失望もあり、悲しみや恐れ、 愛への憧れや、無と孤立の恐怖もあること。
愛するということ
エーリッヒ・フロム

まさにこの通り。型に囚われ、私が大切に持っていた「料理を楽しむ心」を忘れていた。
唯一無二の人間が生み出すのだから、料理だって唯一無二のものになるはず。なのに、「栄養がとれる」という自分にとってあまりしっくりこない型にばっかり囚われていた。
自分は食事が楽しくないのに、人に食事について教える仕事をしている。矛盾だらけの生活に心が萎びていきました。

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料理もあまりしなくなり、心も体も元気を失い、人生楽しくないなと思っていた頃。人生が楽しくないからといって、棄権することはできない。生きることからは逃れられない。ならば、せっかく生きてるのだし、楽しい気持ちで過ごしたいな。楽しい!って思う瞬間が一分一秒でも多くなって、人生の60/100位は楽しいで埋めたいな、と思い立ちました。

人生、意味のあるものにしなくては!、とガチガチに身体を緊張させて必死こいて生きていたのですが、この言葉をキッカケに自分に巻き付いた緊張の鎖をほどいてあげようと決心。他人からは無意味に見えて、なんでそんなことしてるの?と聞かれるようなことをしていても、楽しいから!と笑顔で交わしておけばいいやって思うようになったんです。

自分の心の高潔さほど神聖なものはない。自分を解放するがよい。そうすれば、人々はあなたに共感するだろう。 
[超訳]エマソンの「自己信頼」
ラルフ・ウォルドー・エマソン

他人からみてスゴイこと、なんてしなくていいんです。スゴイことをしようがガソリンになった行動って、下心というか、なんだか黒いもやみたいなものが透けて見えます。でも、自分のやりたいがガソリンになった行動は、どこか輝いて見えると私は思っています。

わたしのもって生まれた才能はわずかで平凡なものかもしれないが、わたしは現実に存在しているのだから、このことを自分で納得したり仲間を安心させたりするために、他の証拠を見せる必要などまったくない。
[超訳]エマソンの「自己信頼」
ラルフ・ウォルドー・エマソン

他人からの評価に縛られなくていいんです。自分の気持ちを大切にして生きていたら、自然と回りは認めてくれます。認めさせようとするよりも、じんわりと勝手に伝わっていくことを信じて、自分を信じて生きていく方が、楽だし、カッコイイと思っています。


――とは言っても、そんなことできないのが人間。なかなかもう一歩前に進むことができませんでした。

型にはまっていれば、ある程度の自分は保証されます。自分を解放してしまったら、自分の拠り所は世間の声ではなく、自分ひとりになってしまう。何か間違いを指摘されても、「みんながこう言っているから」という言い逃れができなくなる。正直怖い。

よりどころとすべきは自分自身であり、最も大切なのは自己信頼である。みずからの価値を深く自覚し、自分の本質に適った生き方をすれば、幸せになれる。世間に無条件に従うのではなく、自分の考えを信じて強く生きよ──。
[超訳]エマソンの「自己信頼」
ラルフ・ウォルドー・エマソン

でも、自分の価値観を大切にしない人生なんてもう辞めたかったんです。自分の価値観をないがしろにしたらどうなるか思い知ったあの経験をバネに、一歩前へ進もうと心に決めました。
葛藤を乗り越えた末、「こんな料理を作りたい、こんな味を自分の手で生み出したい」そういう自分の内側からあふれ出てくる心の声を大切にしようと、そんな自分に変わっていったのです。

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料理が億劫になった原因が、料理に凝るとお金がかかるでした。使いやすい調理器具や葉物野菜、お肉を炒めるならサラダ油よりバターなど、料理にこだわればこだわるほど、これがこれくらい欲しい!となり、食費が膨らんでいったのです。奨学金の返済もあり、なんとかして貯金をしたかった私は食費がかかってしまうのが許せませんでした。

でも、ふと気がつきます。食費を削って体調を崩したその先にあるのが奨学金の繰上げ完済。なんだか釣り合わないなと。
今を犠牲にして、未来のために頑張ることを否定するわけではありません。ただ、その未来が本当に自分の心の底から望むことなのか、その今を犠牲にして本当に良いのかは吟味する必要があると思います。
私は奨学金の繰上げ完済に意味を感じていませんでした。20代という時期は自己投資にお金を使いたかったからです。毎月の指定額が払えればそれでいいと心の底では思っていたのに、周りから早く返した方がいいという親の声に惑わされ、自分の声を無視していました。

食事を作り、食べる楽しみは何にも押し殺されてはならない。それが、私のポリシーでした。

お金のことは後から考えよう。少なくとも出費を食費で調整するのはやめようと思い、簡単な一品料理を作ったり、リュウジさんのバズレシピの真似っこをしたりと、自分の美味しそうだなと感じる感覚を羅針盤にしていきます。これまでは、高カロリーではないもの、ビタミン・ミネラルが取れるもの、健康的なものだったのですがね。すると、段々と料理が楽しくなってきて、自分を取り戻せていったのです。

自分の根幹にあるものは、自分の食べたいものを作りながら料理を楽しむこと。これに気がつけたとき、本当に世界が広がりました。

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料理ってすごくて、自分1人では完結しない。食べてくれる人がいて初めて全ての旅路を終えるのです。お家に帰るまでが遠足というように、誰かに食べてもらうまでが料理。

それが故に、自分が美味しいと思っても相手は美味しくなかったというズレがあるのだけど、逆に自分も美味しくて相手も美味しかったときのピタリ感といったら、何にも変え難い。自分が好きで料理をして、自分が美味しいと喜ぶ。それをお裾分けしてみたら、相手も美味しいと喜ぶ。自分が喜びを感じたものをお裾分けするのが私の料理と向き合う上での大前提。

料理ってお裾分けができるから、たくさんの人に愛を届けられる。

こんなことに出会えたことは奇跡だなと。たくさんの人に愛を届けられる料理という行為が楽しいと思う自分に出会えたことは今後の人生を大きく変える出来事でした。

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世の中に溢れるこれが正しい、これがダメ。確かに理論的にはそうなんです。でも、それに押しつぶされるのは苦しいから、自分を解放して、正誤をとっぱらう勇気と、自分にとって心地よいものを知る努力が必要。

自分を解放することが怖くなったら、この言葉を思い出してください。

人は、詩人や賢人の世界の輝きよりも、自分の心の内側できらめくかすかな光を見出し、それを見守るようにしなければならない。
[超訳]エマソンの「自己信頼」
ラルフ・ウォルドー・エマソン

ここでいう光とは、自分の心地よくなること。自分の心地よくなること探しをしてみてください。もしくは、自分の心地よさを阻むことを考えてみて、それを取っ払ってみてください。光を失わなければ、なんだかんだ機嫌良く生きていける。機嫌良く生きていたら、人も寄ってくるし、何かハプニングイベントがおきても何とかなる。

大丈夫。お金も大切だけど、まずは自分が機嫌良く楽しく生きることが大事だから。機嫌良く楽しく生きていたら、仕事にも何とか行けるようになる。お金は後からついてくる。(ご機嫌とり出費と給料の収支バランスの限度はあるけどね)

あなたの心の中にある、唯一無二の光。
どうか、大切にしてください。

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