【史】デジタルの始まり/IT全史を読む(15)
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この記事は、Podcast「にゃおのリテラシーを考えるラジオ」の2022年7月23日配信の書き起こしです。
読んでみよう
にゃおのリテラシーを考えるラジオ
読書と編集の千葉直樹です。
このチャンネルでは、読書と IT 時代の読み書き、そろばんを中心に様々な話をしています。
今回のタイトルは、
デジタルの始まり
IT全史を読んでいくシリーズの第 15 回です。
なぜデジタルなのか
今、僕たちが使ってるコンピューターはデジタルで動いているというのは、 IT に疎いという方でも何となく知っていると思います。
ただ、デジタルについてきちんと説明できるかというとなかなか難しいですよね。
デジタルが新しくて、アナログが古いみたいな妙なイメージを持っている方も結構いるように思います。
別にアナログが古いわけではありませんし、遅れているわけでもありません。
ただ、現代の技術水準ではデジタル化にメリットがあるというだけのことです。
シャノンの情報理論
コンピューターはデジタル化とともに進化してきました。
それは情報をデジタルで扱うという理論が生まれたことで可能になりました。
クロード・シャノンという人が情報理論というものをまとめたのが 1948 年です。
情報理論は、
世の中で起きる様々な現象を情報として捉えること
情報は数値に置き換えて表現ができるということ
数値化すると数学的な演算ができるようになること
とざっくり表現することができます。
アナログ量をデジタル化する
例えば、僕たちが音として聞いているものも、音の「周波数」と「大きさ」という量で表すことができ、その量は数値にすることができます。
周波数の変化とか、音の大きさを波の形で表現したとしたら、
ある瞬間に波を切った時の波の高さを数値にすることができるかも、
ということを直感的に理解できるでしょうか。
できるだけ細かい頻度で切って高さを測るということをして、その数値の並びを誰かに渡したら、渡された人がその数値を高さとする棒のようなものを並べていくと、元の波の形をある程度再現できるということが想像できませんか?
想像できたら元の波に近づけるには波を切る頻度を多くすればいいということも想像できると思います。
音について、想像できたら光も同じようにできそうだということもわかるでしょう。
人が直接感知できるこれらのアナログ量だけではなく、自動車や電車のスピードの変化とか、ある街のあるポイントを通る人の量とかを数値で表すことができますよね。
小説だって文字で表されているわけですから、文字 1 つ一つに番号をつけて、その並びとして表現できてしまいます。
小説を読んだ感想をアンケートでたくさんの人に答えてもらったとしたら、それを数字で表すことは可能です。
はもちろん、それは人の思考とか感覚のすべてではないかもしれませんが、小説を読んで感動した時の心拍数とか皮膚で起きる発汗とか、体温の変化みたいなものをデータとして捉えることができたら、感動を数値化することも不可能ではないかもしれません。
デジタル量は数学的に計算可能
数値化ができたら、それは機械でも計算することができるし、数値の列を通信で送って、元の量を遠くである程度再現することもできます。
僕たちが現在親しんでいるテレビとか、このラジオ配信などは現場で起きていることを一旦数字に置き換え、それをネットワークで送り、受信したところで、元のアナログ量に近いものに再構成することで成り立っています。
そして、数値化された大量のデータは貯めておいて、後で再現することができるし、何らかの処理をすることもできます。
映像になった自分の顔にフィルターをかけて盛ったりするのはよくやると思いますが、あれは顔の画像を細かく分解して数値で表して、そのそれらの数値を少しずつ調整する計算を行っているのです。
あらゆるものを数値に置き換えることで、コンピューターが得意な数値計算を使って処理をすることができるようになったわけです。
モノゴトを明晰に考える方法
違う角度で見ると、事象を細かく分解して、分解した単位で何らかの処理をするということを、分解したすべての要素について行うという風に考えることができます。
このような考え方は「我を思う、故に我あり」で有名なデカルトが考えた方法序説の「明晰に考える方法」に近いのです。
ちょっと難しいですが、デジタル化は明晰に物事を考える方法のひとつと考えることができるのです。
現代に、デジタル化が大きなテーマとなっているのは、このように、世の中を明確に理解するための方法として有効であるという思想があるからだと考えることができます。
コンピュータの力を借りて思考する
コンピューターを使うと、人の思考の一部を機械に任せることができます。
世の中をより細分化して考えるとしたら、人の力だけではパワーが足りなくなるわけで、機械の力を借りるのは当然ということができるでしょう。
もしも、古い人間という意味で、自分はアナログ人間だと言っているとしたら、 それは、
「何事も勘と努力さえあればできる」
と言っているのに等しいのですが、当たっていますかね?
ぜひ、考えてみてください。
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おわりに
読書と編集では IT を特別なものではなく、常識的なリテラシーとして広める活動をしています。
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今日もワクワクする日でありますように。
千葉直樹でした。
ではまた。
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