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祝発売 『涙を呑む鳥 I ナガの心臓』感想 おまえも常識を反転させてみないか?

昨夜はよく眠れましたか?
好奇心旺盛、トッケビのポテチです。

『ドラゴンラージャ』に魂も思考も奪われて15年と幾年、
23年10月末、ラージャ電子書籍の発売に喜んでいると、時を同じくして、イ・ヨンド作の未翻訳小説『涙を呑む鳥』シリーズがついに日本語訳版で発売されました。
これはもうツインムーンの祝祭日。

岩崎書店さんによる突然のラージャ電子書籍発売がなかったら構築できていなかった今のラージャTL界隈のみなさんと繋がっている今、早川書房さんから翻訳版が出版される奇跡。
おそらく岩崎書店さんと早川書房さんはどちらも全く意図してなかったのだと思うけど、
ほんとに両者ともありがとうございます。
ほんとに奇跡すぎる、ありがとうございます。

本記事は読んだ時の興奮をなるべく伝えたく、既読勢の身内と分かち合うつもりでネタバレ全開で書きたい気持ちで筆を取っているが、できれば未読勢の人が興味を持ってもらえる入口になるととても嬉しい、ファンタジー界隈、児童文学界隈、海外小説界隈、その他読書好きの人でnoteを徘徊してるような人に届くといいなと思っている。

涙鳥発売までの備忘録

12月 日本語訳発売決定の報当時は10月末にドラゴンラージャの電子版再販によるお祭りで界隈が賑わっている中、12月上旬に、2024年に翻訳版発売の噂が。
until:2023-12-17 涙を呑む鳥 で検索するとだいたい雰囲気が分かるのでおすすめ。

公式ティザービジュアル動画

早川書房公式さんの動画…最高……
児童書だったラージャの時と違い、本作は挿絵がないのですが、現在進行中のゲーム制作のティザービジュアルが、大人になるにつれて失いつつある私の空想力を、そのハードで精密なイラストで補ってくれます。

これもゲームのティザーPV。
読むまではピンと来なかったけど、
これを具現化してくれるのホントすごい。

他にもゲーム制作会社のKRAFTON公式がいろんなビジュアル挙げてて、한국が分からなくても、おぉ、この場面…!となる絵がたくさんあった。あとカタカナの固有名詞はだいたい一緒だから分かる!

5月 予約購入

7/28(日) 上巻、到着

ほんとうに嬉しく、予約も済ませて届いた1冊を手に取ると、『ナガの心臓 “上“』の字が。

“上“?

早川書房さん公式のツイートを観ると、なんと下巻も同時発売だった、え、全然気づかなかった。
急いで追い注文して、次の日早速上巻を読む。

7/29日(月) 上巻1周目

涙を飲む鳥 ナガの心臓
ハングル表記は

눈물을 마시는 새 ヌンムル マシヌン セエ
심장을 적줄하는 나가 シムジャングウル ジョクチュルハンヌンン ナガ

表紙裏にハングル文字と、その読み仮名のローマ字
実は同じ時期にハングル文字を覚え始めたので、その勉強の合間にも読んでいる。すごく楽しい

下巻が揃う時間も惜しんで、さっそく上巻から読み耽る。

牧歌的な殺戮の日々を描いた、寓話的かつ示唆的な機知に富んだ言葉の数々で語られる物語の世界に迷い込む。

唯一無二の韓国ファンタジイ

人間(キム)と、他種族名と、大陸の土地名と、固有名詞に振り回されながら、読み進める。

読んでみると、まず世界設定や種族がほとんどゼロから創られている、そしてそのベースには韓国の文化が下地に描かれていることが読み取れる。

例えばトッケビという単語は韓国で広く知られる妖怪、奇妙な人を指す言葉らしい(日本でいう河童とか?)し、下巻に出てくる宿にはオンドル(韓国で古くから使われる床下暖房、確かに昔習った…!)が出てくる。

虚構の世界でありながら、そこに住み暮らす私たちの文化に根付いている話の延長にある深み。

特に、大陸を「南北」に分断している設定。
限界線を超える話、これは意図してか、そうでなくとも、あちらの国の興味関心として切っても切り離せない根付いた環境的文化だと思う。

そして語感にハングル感がある。
居城「チュムンヌリ」とか。

また、人間の代名詞がキムである点。作中で、トッケビに穀物の耕作を教えた人間の名前がキムであったため、人間種族は「キム」と他種族から呼ばれるようになった、とか。これこっちでいう「佐藤」とか「山田」、「鈴木」みたいな感じでしょ。

韓国の人に聞いたら、名前だけなら全員知ってるような感じなんだろうか。日本でいうジブリとか、ポケモンとか、そういうくらい韓国の人達に深く根付いてるコンテンツなのだと思う。

これが唯一無二のシリーズ累計百万部の大ベストセラー韓国ファンタジイ…すごい。

8/3(土)下巻到着

上巻も無事読み終わったところでようやく下巻が届いたんだけど、上巻の2周目が面白すぎて、下巻読むのを1週間後回しにして、いよいよ8/13日から下巻を読み始めた。

上巻冒頭の、「空を焼き尽くした龍の怒りも忘れられ、
王子たちの石碑も〜…」が、下巻まで読むと、なるほどとわかって、この話、大陸にとうにいなくなってしまった王を望むもの達と、龍が出てくる話であることが分かった。

そして読み終えると、下巻の巻末に訳者あとがきがあったことに今更気づく。

そこでこの本の縦横大小の面白いところをまとめてくれててとても助かった。そうそうこれが言いたかったんだとうなずけるものばかり。

あとがきを踏まえて、以下のとおりこの本の概要をまとめてみた。

3000文字で分かる!
この世界の種族を物語る

この物語を牽引する大きな縦糸を語るには、
この大陸に存在する4つの種族、人間キム、トッケビ、レコン、そしてナガの特異な生態と、同様に、ナガを通して語られる、種族的文化的常識の異常さを説明しなければならない。

ナガの生態 “宣り“と熱

南北の大陸のうち、限界線より下南の大半を占める森、キーボレンの都市に住む種族。鱗があり、脱皮をする、生き物を丸呑みするなど、描写からして蛇のような種族。
主人公のひとり、リュン=ペイは男性のナガであり、
ナガ種族は特に深くその描写が語られる。

まず読者がこの世界観に没入するにあたって、最初にぶち当たる特異な表現が「宣り」である。

ナガ種族は口から発する言葉を使わず、精神的なテレパシーのようなコミュニケーションを取る(宣りを送る、宣る)。

「~と宣った」、「そう宣うてるではないか」「精神を閉ざした」などの宣り特有の固有表現があり、原語では特に注釈がなかったらしく、物語前に訳者による注意書きがある新設設計である。

この翻訳版だが、この「宣る」という言葉を翻訳した時点で、もう9割勝ったようなものだと思う。
普通の読書体験には存在しない体験である。

この「宣る」という概念を起点に、ナガの生態を説明していくと、そのほか、瞳で視界をはっきり写すような視覚ではなく、熱を視る生態であり、また、普段言葉を発することがない(できないわけではない)から、聴覚もほとんど衰えている。

これの生態からして、ナガ→ナーガ=蛇人間と考えるとイメージがわきやすい。
韓国語では伸ばし棒の発音がないので、나가(ナガ)と呼称するものを、ナーガ(インド神話の蛇神)と同義のものと捉えていいと思う。

宣りというナガ特有の精神会話も、ハリポタでいう蛇語と思えばイメージがしやすい。

そして、副題にもある「ナガの心臓」が、リュン=ペイの物語の鍵となっている。
ナガは22歳の成人を迎えると、心臓の摘出手術を行い、「不死」に近い存在になるという。
つまり、心臓のないナガは、ある程度体を切られたり切断されても、再生できるという。(足を切られて1年、首を切られて2年など。)

ナガはこの通過儀礼のおかげで他の種族と並ぶ強さを得ているが、ナガは大陸の南に広がる森、キーボレンの中に都市を建設しており、それ以降の限界線は、酷暑のため超えられない、そのために他種族の領域を支配することなく、互いに一切の交流をすることなく生存している。

ナガの文化 反転する常識

ナガ種族は完全なる女性優位。女達の政略と駆け引きは、まるで大奥のような昼ドラ感がある。家や種族、政治の中心である女にとって、男は子を作る体液を出すためだけのもの。男なんて下に付いてればなんでもいい、むしろ頭は邪魔だ、とさえいわれる描写もあり、女尊男卑どころではない。
誰が父親なのかなど分かるわけもない“乱婚“文化であり、「父親」という概念が迷信とすら捉えられる常識。(あなたは母親が飲み食いしたものを父親と呼ぶの?)

男たちは家や苗字を持たず、複数人が家に「逗留」し、都度、「可愛いこと」と誘われ、家に招かれて搾り取られているなんか男はものすごくつらそうで、嬉しそうでもなんともない。男の願望は「安心して過ごせる穏やかな場所」への逗留らしい。「やっぱ女は違うのかな」とふっとでる言葉で締められる第3章の余韻は、独身男性の当事者としてどう受け止めたらいいのか分からない虚構の侵食に震える。

だがしかし、子を成すことよりも必要な役割がナガの男にもある。それは種族にとって必要不可欠な「女神」とのつながり。地上の「同じ人間」として数えられ、互いを認識している各四種族が信仰する「女神」の存在。
ラージャ民にはお馴染みというか、やはりこの世界の種族たちも女神の存在を信仰していて、実体こそ無いものの、その影響は大きく、どうやら概念に留まらないようす。

物語は、これから心臓の摘出を迎える2人の男性ナガのリュン=ペイと、ファリト=マッケローの友人関係の描写から始まり、2人の家族であるサモ=ペイや、ビアス=マッケロー、といった女ナガ達の家庭での立場や家同士の争い(家庭での次期当主の座争いや、ナガの女にとって子どもを産むために必要な男の獲得争い)の様相が描写される。

好奇心のトッケビ、鶏男のレコン

トッケビ、レコンの生態も同じように、我々を驚かせてくれる魅力のひとつである。

トッケビは常に陽気で好奇心旺盛。争いを好まないどころか、「血」という言葉そのものすら聞くことを嫌悪する種族。そのため生き物は殺さないし狩りはしない、自分の命が危険な時でさえも他者の命を奪うことはしない、できないというもの。
だからこそ、トッケビは血を流さない相撲が大好きらしい。
さらに、自在に様々な大きさ、形、温度の火そのものを起こすことができる。これはトッケビの妖術といわれており、熱を視るナガにとってはトッケビは天敵である、と言われている。

また、食べ物は穀物が多く、生食では食べられず、果実ですら火を通す。
これに対し、天敵のナガはむしろ生き物を生きたまま丸のみするのだから、面白い。
トッケビ種族の代表として旅に同伴するのがビヒョンという男で、旅の一行の中でも陽気で、好奇心旺盛な気分屋の印象。ずっと何かを喋ってたり、歌ってたり、常に質問をしたりと、ビヒョンが明るく振る舞うので空気が軽くなる。旅の一行の道中はどこか能天気で、ロードムービー的なほのぼの日常漫画を想起させる。

カブトムシのナーニ
レコンほどの大きさを誇るくそデカい黄金のカブトムシ

トッケビはこのデカいカブトムシに乗っているものらしく、背中に乗って飛んだりと、意思疎通ができるものらしい、また、ビヒョン曰くニーナはこう見えてもそんなに食べないらしいが、森の至るところの木々を盛大にかじり散らかしているようす。
また、カブトムシのナーニという名前について、
ナーニは一般的に、伝説の美女の代名詞らしく、
アフナイデルが自身のファミリアのコウモリにイルリルと名付けてることについて、えぇ…とちょっと引きつった笑いをされていた時のことがよぎる。ふふふ☺️また、トッケビにとって熟睡は最高の品性の表れだそう

「昨夜はよく眠れましたか?」という挨拶は、
トッケビにとっての「How are you?」なんだろうな。

レコンは鶏の頭をした3m級の巨人種族である。
種族の生態として、羽毛があり、鶏冠や肉髯がある。
また、嘴をカチンと慣らす(頷く)、肉髯を赤く膨らます、など、鶏の頭をしているらしい特有の描写が多くあり、想像力を掻き立てられる。

レコン種族から一行に合流するのはティナハンという男で、砂漠の地平線の向こうからドスドスと砂嵐を巻き上げて猛スピードでこちらに向かって走ってくる描写に、アニメざわざわ森のがんこちゃんのOPを思い出すなどした。

レコンは個人主義者が多く、自分勝手な振る舞いが多く描写される。いつも怒って身体を膨らましたり、顔を真っ赤にしたり、かと思えばガハハと声を出して笑ってたり、快活で大雑把でとにかく男らしい印象。

仲間を思いやる実直な面もあれば、当然ナガについてはよく知らず、ケイガンの忠告を無視してイライラしたり、しゅんとしたり、言動がオーバーで素直なのがかわいい。

また、レコンといえば極度の「水恐怖症」で、川には近づかない、川のそば(数十メートル離れている)では眠れない、雨が降ると、崖の壁をものの30分でぶち砕き、小住居をつくってしまう。上巻終盤のニルム川での戦いでは、川に近づけない代わりに、森の木々を引っこ抜いて空に森を作った(投げまくった)りと、描写のスケールがでかいが、同じくらい過剰ともいえるその反応がすごい。

下巻では旅の道中のトラブルに巻き込まれて水をかけられそうになり、逃げ去ってしまい、情けなくて大変悔しがるようすなど、本人の屈強な精神ではどうにも出来ないようす。(猫が蛇を嫌うみたいな感じだ)

常識を反転させ、相手の立場に立ち考える物語

キーボレンの森を歩く間、ナガ偵察隊にでくわすケイガン一行たち。ナガの生態は、音を全く聴かず、動く熱を感知するというもの。それを知るケイガンはしっかりとそれを説明したうえで、木々をでかい音を立てて薙ぎ倒しながら、ビヒョンに言わせると、カタムツムリとの火花を散らす接戦を繰り広げるほどのゆっくりとした動きで進んでいく(不用意に動いて体温を上げてしまわないように)。

南北で分断された世界では、他種族はナガと交わることもなく、その文化や生態は噂や伝承でしか伝わらないため、緊張感のあるシーンで、旅の一行のビヒョンとティナハンは、その反転した常識に対して、ある種読者と同じ立場で、頭を悩ませ、混乱してくれるので、
そのようすは、我々読者に新鮮な衝撃を与えてくれる。(ラージャ風に言うならば、後頭部をガツンと殴られたような気分にさせてくれる)
こちらも、そういうもんかと割り切って話を進めるしかなく、この常識でぶん殴られている感覚がたまらない。

主人公ケイガン=ドラッカーの牧歌的殺戮の日々

そしてその特異なナガの生態や文化に関して、精通している同じく主人公たる人間種族のひとり、ケイガン・ドラッカー。寡黙で多くを語らないが、ナガという種族と、その種族の生態、文化をナガ以外において誰よりも理解し、その立場に立って考えることができ、だからこそ彼らが最も望まないことである「ナガの殺戮」を行い続けている主人公。

物語は、彼が殺したナガを「最後の酒場」たる宿に運び込むところから始まる。彼はナガを調理するようあるじに頼むのだが、その衝撃は、酒場の主人曰く、当然常識はずれなもの。ナガはコミュニケーションができる生き物であり、「人」なので、それを殺すことも、食べることも、倫理的に道理を外れたものという認識だった。
そして断片的に語られる、主人公ケイガン・ドラッカーの牧歌的殺戮の日々。争いや血を好まないビヒョンはそんなケイガンの行為に憤慨し、辞めるよう説得しようとする。
ただ、ビヒョン(と我々読者)が困惑することに、ケイガンはナガ種族への狂気を孕ませながらも、どんなに事前に忠告したことを守らずやらかしても、怒ることなく再度忠告を伝える、軽口を叩いたり、笑ったり冗談こそ交わさないが、昔話をしてみせたり…。
トッケビ、レコン、さらにはカブトムシへの配慮や慈しみを怠らず、他人のために慮り、行動ができる人という。だが、ナガの気持ちが分かり、他人のことを他人立場に立って考えられるからこそ、彼らが最も嫌がることをするのだと言う。

私たち読み手はそういったマトモな反応を描写されないとこの世界の道徳ラインを判定できないので、あっ、こいつヤバいんだな…とわかる。

王とは何かを語る物語

そして、涙を呑む鳥の物語が迫るふたつの大きな謎は、どうやら「女神」と「王」の存在定義に迫るようであった。

心臓摘出を行わずに、事件に巻き込まれ、濡れ衣を着せられたことを知らずに殺された友人の使命を背負い、逃亡するリュン=ペイ、
リュンの罪を受け、ショジャインテシクトルという儀式に従い、地の果てまでリュンを追いかけ、必ず殺すことを命ぜられたサモ=ペイ

3種族による「ナガ救出作戦」の幕開け、リュンを救け、目的たる大寺院へ連れていく道中に出会う、帝王病患者と揶揄される旅人たちとの衝突……。
どうやらこの世界には、とうにいなくなった伝説の英雄王の血を継ぐと自称する帝王病患者が呆れるほどいるらしい

ナガ種族の家同士の政略と、濡れ衣、ひいては大陸の他種族を巻き込むほどの大きな「計画」(神殺し・・・?)が、大きな縦糸となって物語を牽引する。

そして、タイトルである涙を呑む鳥とは何なのか、
ケイガンが古い昔話を諳んじる形で示される。

水、血、毒薬、そして涙を呑む鳥。
涙を呑む鳥は長く生きられない
しかし、涙を呑む鳥が、最も美しい歌を歌う…

「王とは涙を呑む鳥である」
そして、王が涙を呑むため、民は渇き、戦争をする…

五章の冒頭、王国の逸話に、
ラージャ筋がものすごい音を立てて反応する。

王になりたいもの、支配欲がある者がいるのではなく、
王に支配されたいものがいる…

まさかの「王」にまつわる話に進んでいいくとは…

そしてケイガンは、自身を、血を呑む鳥が最も長生きだが、誰も近寄らない。と評する……

様々な視点、立場、種族、場面から展開される話に、形而上学的な概念上の力や信仰が世界の存続を大きく傾ける物語、やはりフューチャーウォーカーのような印象を受けるので、とても読み応えがある。

明日使える!火鉢を冷やすような形而上学的な言葉たち

大きな筋書きや縦糸の面白さを述べたが、最後に、さらに面白い知的好奇心をくすぐる要素として、各登場人物から語られるかつてのこの世界の情勢や、現在の世界の普遍的哲学の描写がある。

章立ての最初には、世界に残る伝承や格言が引用されており、劇中でもそれが意味を含んで登場してくる。

それらがイヨンド作品における形而上学的な哲学を備えていて、やはりこれを読みたくて仕方がなかったんだ!と気持ちが昂る。

特に、1章の冒頭、「三が一に対向する​──古い金言」は、繰り返し登場する最頻出するワードである

ナガを殺す自分に対し、ナガには自分を殺す権利がある

これはまさしくヘルタント式クソ度胸。
ラージャ筋がピクつく。

「女を皆殺しにし、男を全員強姦した」

ケイガンが余興として語ったアラジ戦士の逸話

アラジ戦士たちはという話に、一行が絶句、ドン引きするシーンがある。これは韓国でもよく話されるようで、BL界隈の伝統ミームらしい。笑った。
私たちと同じ常識を持つビヒョンとティナハンが青ざめる中、やはり反転した貞操観念を持つリュンはさほど驚いていなかったところも面白い。

下巻ではリュンの脱皮が特に丁重に扱うべきプライバシーであり、それを尊重しないことは処女を辱める行為と同義であることが語らる。邪魔に入った帝王病患者の登場によりリュンが辱めを受けるのだが、それまでの物語で常識を反転させた読者は、ナガの貞操観念に同調し、息を呑むような緊張感を体験する。
これはすごい体験だった。つらかった。
ものすごい没入感だった。

暇な薔薇を鼻の穴にー!!!

特に意味の無い叫び。
斗億神(ドゥオクシニ)という、神を捨てたためにあらゆる概念、理屈が通用しない生き物たち。言葉も意味がわからないので、本当に意味の無いのだけど、逆に全く意味の無い言葉を並べて意味を成さないように文を作るってすごく難しいのでは……と感嘆するなどした。
他にもいっぱいある。

「確かに言えることは、確かに言えることなど何も無いということである」

望みとは消えることはあっても絶対に満ち足りることは無い、火は常により多くの薪を望むが、薪を供給したからといって充足するわけではない

これこれこれこれ、これですよヨンド節。大好物。

蝋燭の灯火の発明を、
「人間が昼の一部を夜の中に引き入れた時───」
「昼によって追放された夜の一部を、トッケビが昼の中に引き込んだ」と語る口調や、

「夜の五人の娘、混乱、魅惑、監禁、隠匿、夢」
って、城が持つ性質(魅惑的な外形、迷宮、迷路、罠、秘密の通路)
って形容するの、美しすぎる。

さらに、夜の末娘である夢について、起き抜けに見る夢は、最も夜らしいが、同時に夜とは正反対の性質を持ち、夜は覆い隠すが、夢は露わにし、見つけ出すものだと…。

(最も〜だが、同時に〜って言い方のヨンド節、たまらない)

上巻冒頭、トッケビの居城チュムンヌリの説明の描写。
まさにこの形而上的な概念の物語、星と星を繋いで星座を神話に語ったような語り草が、ほんとうにたまらない。フューチャーウォーカー冒頭、北風が南へ旅をしていくことを語った時の筆の乗り方。たまらない……。

そして、下巻まで読み終わって、ようやく表紙絵の構図を理解する。

(上巻読走中)
表紙の2人、心臓に手を当ててるのがリュン、
向かいは…ビアス?
下で虎に跨って剣…シクトルを持ってるのが、
サモ・ペイ?

(下巻読後)
あ…龍と……虎か……!!!!!!!!!!!
黒い毛皮に包まれた…サモと……!!!
龍を肩に乗せている…胸に…心臓に手を当てているリュン……!!!

あとこれは与太話だけれども、涙鳥の第3章 (承前)で、
承前って前文を受け継ぐことって覚えた。

つまり、「続き」のお堅い用語なのかな。

多分TwitterでRT承前ってやつを見た事があるけどよく分かってなかった(承認をもらう前ですが、みたいな前置きかと思ってた)

終わりに

長々とつらつらと語ったが、この本のもつ物語の魅力を、私はほとんど伝えられなかった、みんなさっさと読んで欲しい。早く続編が読みたいが、私が韓国語を会得し、原語本を読めるようになるのと、どちらが早いかな…早川書房だけに。長い戦いになるだろうが、それまで死ねない理由ができた。楽しみ。

最後に、あらためて、涙を呑む鳥がこんなに面白くてほんとに良かった。

それを楽しめる時間に余裕のある生活を送れている今がほんとに嬉しいし、それを一緒に楽しめる人とパラソーシャルに繋がれてる奇跡がほんとに嬉しいってことを伝えたい。

参考図書とリンク

早川書房公式のnote記事

なんと同じ同世代のラージャの民のnote感想があった!
嬉しい!!!

至る所で“ドラゴンラージャ”を感じ、“イ・ヨンド節”を感じ取ってる……同じワードを錬成してる……!!!

しかもそう、西遊記!まさに!!!
他種族と4人パーティで寺目指すし!

さぁ君も手を取って

ポテチのラージャ関連

『ドラゴンラージャ〈1〉宿怨』 電子版をどうぞ

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