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うちはうち、よそはよそ

誰もが親御さんに言われた事があるでしょう、この言葉ですが、
私はすごく大事な事を語っていると考えています。

状況的には、何かを欲しがっている子どもに対して、
断る為の決め台詞のような感じですが、
この言葉を繰り返し使うと、ある事が得られます。

それは、「状況・境遇を他人事にしない力」だと考えています。

ビジネスにおいても、プライベートにおいても、
物事を自分ごとに捉えるって何より重要で、
知ってか、知らずか、世の親御さんはこの言葉を
当たり前のように使っています。

では、なぜその結論に至るのかというと、

まず、人は決められた境遇の中でしか生きられない訳で、
それをどう変えるかは自分次第だったりします。

それを隣の芝生は青いような、選択できない選択肢を
一刀両断するようなこの言葉は、選べない事に対して、
悲観してもしょうがない事を教えてくれると考えています。

そして、相対的に比較をする事がいかに安易かという話ですが、
よく子どもは「みんな持っている」「〜ちゃんが持っている」から
という理由で説得を試みようとします。

よくよく考えてみましょう。

みんなって誰でしょうか?抽象的ではありませんか?
サンプル数はどの程度集めたのでしょうか、異常値はなかったか、
因果関係が証明できるほどの結果をどうやって示すのか、

「〜ちゃんが持っている」って個人を比較対象にして、
〜ちゃんが偶々、家庭事情が良いという可能性は考慮しなかったのか、
個別事情を取り上げるという事は、質的なサンプルとして、
緻密なインタビューを取ったのか、背景は理解しているのか、

ビジネスライクに考えるなら、様々な疑問が生まれてきます。

つまり、人と人を相対的に比較するのであれば、
明確な軸と根拠が必要だと言えます。その事を伝えたいのかなと。

SNSが台頭してきて、自分と他人の境目が薄くなってきている
昨今ですが、大事にすべきは「自分の考え方」であり、「思考」であり、
相手に何かを伝えるのであれば「情熱」が必要だと思います。

大事にする価値観とすれば、他人と比べるのではなく、
「自分がどう感じていて、何が必要なのか」という事が大事と言えて、

そう考えると、「うちはうち、よそはよそ」の発展形で、
ローランド的な「うちか、それ以外か」の
絶対値での見方になってくるのかなと感じていました。

という訳で、私の子どもに対する育児・教育としては、
「君はどうしたい?なぜ?その為に何をする?」をしっかり問いたいな、
その上で答えを出せる子どもになって欲しいと感じました。

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