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尖っている意味

色々な会社で企画等、社内提案を求めたりする場面があると思います。
私も複数の会社を渡り歩いてきましたが、
それぞれの企業で提案を実施する事を求められる場面があり、
考えを述べてきて、企画を実現まで持ってきたこともございます。
その中で、私のビジネスにおける企画の考え方について述べます。

私は企画について「尖っている事が全て」だと思っています。

それは成熟期から衰退期に移行が進んでいる日本経済において、
今までの改善、機能拡張で対応を進めていると、内容が同質化して、
連続的な成長が見込めないと切り捨てるような短絡的な思考に陥り、
非連続的でいつ何が起きるかも分からない世の中のニーズに対し、
対応しきれないという理由があると考えています。

だからこそ、月に飛行機を飛ばすような無謀な挑戦(ムーンショット)
を目指すべきだと考えていますし、挑戦を阻害するような発言をする
人は不要ですし、挑戦を応援される文化こそ健全な社会とさえ思います。

では、「尖っている」とは何か?を考えた場合、
「領域内で誰かがやった事がない」というのが個人的には第一条件として
重要と考えており、それはAの業界で確立されている成功体験だとしても、
Bの業界で誰一人やっていなかったとしたら、それは先駆者だと考えています。

もっと言ってしまうと、これだけニーズが細分化されている世の中において、
完全に存在しないものを生み出すというのは、無謀というか、発明というか、
かなり難しい事だと考えています。基本的にアイデアは組み合わせによって、
生み出されると考えていて、何か新規のサービスが生まれた時に、
「●は▲のパクリだよね」と言う方は、創造に対する想像力が不足している
のかなと考えています。

では、「尖っているアイデア」を実現する為にはどうすれば良いでしょうか。

尖っているアイデアを考えられる人は、
私は個人的に、「(何かが)見えている人」であって、
見えない人との間に断絶されたような壁みたいなものが存在します。
その壁においては、言葉も違えば、前提も違い、想像も異なると考えていて、
何が大事かというと、「翻訳(変換)できる」事が大事かと考えています。

よく当noteで具体と抽象の話をする事が多いのですが、
「尖っているアイデア」というのは往々にして概念的で抽象的なものです。
だからこそ、具体化する過程で、角が丸くなると、
別の文脈の方が実現しているので、しょーもないものが出来上がったりします。

その時に大事なのは、先ほど書いた翻訳であり、具体と抽象の間を
行き来する事ができる能力こそ全てと言っても過言ではないです。

尖っていると、人間性であり、アイデアであり、
理解されない事で阻害される事があり、それはとても悲しい事だと思います。

尖っている人が尖っているアイデアを出して、
尖っているものが出来上がって、あなたの今いる世界は存在しているので、
尖っている事を理解してあげて、彼らの意味を理解してあげると、
より世の中は進歩して、皆にとって進歩を享受できる
豊かな社会が訪れるのかと信じております。

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