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ドイツ 冷たい夕食が教えてくれるストレスフリーな暮らし

北ドイツはいよいよ本格的に冬突入といった感じで日中でも5℃くらい。
さらにこれからは気温がマイナスになっていくらしい。

曇りや雨が続くと自分の気分もなんだか落ち込む。青空や太陽が見れた日には清々しく、気持ちいい。
いかに天候が人間に与える影響が大きいかを実感している。太陽の力って偉大だ。

天候について言えば、人は本当にないものねだりだなと思うこともある。
そんな私の思いはまた別の記事で書く日がくるだろう。


さて、私はこのnoteで以前にドイツの食文化についての記事を書いている。

日本にいる頃は、ドイツ人はソーセージとビールばかりを食べて、飲んでいると思っていた。(我ながら偏見がすごい笑)

そんなことを思っている私でも、最近はパンばっかりの食生活にも慣れてきて、なんやかんやで受け入れつつある自分がいる。
そして、そんな彼らの食生活を観察していて、気づいたことがあるのでこの記事を読んでくれている人に共有したいと思う。

記事を読み終える頃には、ドイツの冷たい夕食もありだなと思えるようになっているかもしれない。


自分に甘いドイツのお母さん

※注:お義母さんとは仲良しです。決して負の感情を持って、書いてるわけではありません。

私の記事をいくつか読んでくれている方はご存知かもしれないが、現在、私は彼の実家で、彼の両親の家に居候をさせてもらっている。(1月から引っ越すことになりました!ヤッター!!)

専業主婦のお義母さん。この家は彼女の城でもある。
毎週、曜日ごとに何を作るかのメニューを考えて(もちろん温かい料理は1日1食お昼のみ)、メモをしてキッチンのすぐ近くの壁に貼り付けている。
そのメニューを見て、彼がいつも「またこれか・・」とうんざりした様子でつぶやいている。

そう、お義母さんのメニューは、ほぼローテーションなのだ。
日本でもカレーを作った日の次の日もカレーを食べたりするので、そんなに驚くことじゃないかもしれないが、もう一度考えてみてほしい。
一日のうちの唯一の温かい食事でさえも毎週ローテーションされていることを。
私の身体は、そのローテーションされている食事(主にジャガイモ)とパンで成形されつつある。


ある日の日曜日の夕食での出来事。
(日曜日は夕食に温かいご飯を食べることがあります)
その日は朝からキッチンに大きなキャベツがドン、ドン、と並べられていた。外出していた私と彼は、帰りの車の中で、今日の夜ご飯はキャベツか〜という話をしていた。

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帰宅してみると、キャベツがなくなっている。きっともう料理を終えたのだろうと私は少し楽しみにしていた。
夕食の準備もそろそろかなと思って、キッチン周りを見渡すと特に料理をした痕跡がない。鍋が置いてあるわけでもない。
あれ、まだ料理してなかったのか、と思っていると、お義母さんが、

「今日の夕食、どうする?」

と聞いてきた。
あれ、キャベツは?と彼が聞くと、

「今日は料理をする気分じゃない」

とお義母さんが答える。

なるほど。と一瞬、固まる私と彼。

お義母さんにもそんな気分の日があるんだろうと結局、パンとハムとチーズ、をいつも通り食べました。

この出来事は初めてではない。

メニューを考えているお義母さんもその日に突然、料理をする気分じゃなくなることがある。
もちろん「母」という存在の人が絶対に料理をしないといけないわけではないし、料理をしたくないお義母さんを責めているわけでもない。

むしろ、お義母さんのように、「母」や「妻」が怠ける日があったっていいと思う。専業主夫の「父」や「夫」が怠ける日があったっていいと思う。

ドイツのお母さんは、頑張らないことが上手だなと思った

"日本のお母さん" と "ドイツのお母さん"

日本には美味しいご飯がたくさんある。それは海外に住んでいる人からすればより強く思うかもしれない。
日本ではそんな美味しいご飯が気軽に、手頃な値段ですぐに食べられる。
そうした環境で育てば、日本人は知らず知らずのうちに、食への意識が高まっていくのだと思う。


日本の弁当文化。
学校に行く娘や息子、仕事に行く夫や自分のために朝、早起きをして作るお弁当。私も子供の頃は、お母さんの作るお弁当が大好きだった。
(特に運動会などのイベントの時に作ってくれるオムライスが最高だった)
お弁当用の冷凍食品も豊富にあるのがとても日本らしいなと思う。


私個人の視点から言えば、”日本のお母さん”はすごく頑張っていると思う
いや、むしろ、”お母さん”に限らず、日本人は頑張りすぎだと思う
海外よりも、世間の目や他人からの評価に敏感な日本人らしいのかもしれないが、自分で自分にムチ打って、頑張っている人が多いように思う。

一方で、"ドイツのお母さん”は手を抜く時は、抜く
メニューを考えるのがストレスなら、パンを食べる、もしくは何も食べない。料理をするのが面倒なら、何もせず、自分の時間や自分の気分を優先する。
食へのこだわりが比較的低いからできることなのかもしれないが・・・。


冷たい食事は私にとってはやはり物足りないし、寂しいが、それで心と身体、ストレスのバランスが取れるならそんな夕食もありなのかもしれないと感じた。

冷たい夕食が教えてくれたのは、「頑張らなくていいんだよ」ということ。

毎日、違う料理が並んでいた日本での食卓を思い出し、母の偉大さに改めて気づくとともに、冷たい夕食の存在意義についても考えさせられた。
冷たい食事を見るたびに、「私もそんなに頑張らなくていいか」と思えるようになった。

(私はそれでも温かいご飯を望む)








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