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歴史のIF:大岡越前

「お前今日から大岡越後な」

「上様、それじゃ拙者悪徳商人みたいじゃないですか」

 八代将軍徳川吉宗はこの大岡忠相の態度をみてほくそ笑んだ。吉宗はずっと大岡越前に嫉妬していた。コイツがどんなドラマでもいい人役で出演しているのに自分は殺人鬼以外の役でろくに出たことがなかったのをずっと悔しく思っていた。だから無理やり越前の官職名を越後にしてしまったのだ。これでこの名前のせいでこやつは悪に染まるだろう、そして自分が悪に染まった大岡忠相を成敗するのだ。吉宗は大岡忠相を下がらせてそれからずっと忠相が奉行の地位を利用して悪事をしでかすのを待った。

 しかし忠相は悪事をしでかすどころか不平すら言わずに黙々と裁きをおこなった。やけくそで打首を連発することもなかったし、鬱憤ばらしにと商人の娘を手篭めにすることもなかった。彼はドラマの主人公そのままに誠実な人間だったのだ。だがそれが吉宗を一層腹立たせた。彼はもう頭にきて何を血迷ったか越前屋なる商人を引き立てたのだ。忠相は越前で有名だからコイツが悪さをしでかせば忠相のイメージは大幅にダウンするだろうと考えたのである。そして実際に越前屋は悪さをしでかした。しかしそれで忠相の評判に傷はつかず、却って民は越後様が可愛そうと自分の昔の官職と屋号が同じやつが悪さしてと忠相に同情したのだった。忠相は事件が起こった後すぐに越前屋を懲らしめると厳粛な吟味の後で打ち首獄門の裁きを言い渡したが、その時彼は越前屋にこう言い渡したのだった。

「そのほう、何故に越前を名乗ったか。余はかつて越前の官職を頂いた時、越前とは薬で有名な所、余もその名に恥じぬよう民の薬となるのだと喜んだものだ。その越前を名乗ったものが民の薬であることを忘れ私利私欲に走るとは。せめてあの世で閻魔大王に己の罪をわびるがよい」

 この言葉は有名になり、現代では越後と言えば大岡越後のこと、越前屋といえば薬売りの本文を忘れて悪事を行った悪徳商人の事となっている。


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