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僕が君を殺す理由

 何故人を殺してはいけないかなんて哲学的な命題の答えが単に国家がそういう法律を作っているからだと理解するまでにさほど時間はかからなかった。平常時に誰もが口を酸っぱくして人を殺してはいけないと言っていたのに、今ではその同じ人間が人を沢山殺せと言っている。殺人の是非を決めるのは僕ら自身ではなく国家なのだ。勿論国家は人を殺せと直接には言わない。彼らは拳を握り締め僕らを鼓舞させようとひたすら演説するのだ。

「今は国家存亡の危機である!この国を守るのは君たちだ!今こそ銃をとれ!我らが土地を奪おうとする奴らを撃退しろ!愛すべき家族を守るのは君たちだ!」

 そう僕らが今いるのは戦場だ。二週間前に招集通知が来て軽い訓練を得て今銃弾が頭を掠めるような最前線にいる。最前線なんて本来はベテランが配属されるものだろうに。この間まで軍隊とは全く関わりを持たず普通に暮らしてきた僕が最前線なんてどうかしている。しかも最前線に配属されていたのはほとんどが僕と同じど素人だった。仲間内じゃ僕らは捨て駒だっていう噂すら流れていた。

 僕らの指揮官である軍曹はよく僕らにこう言っていた。

「お前ら、敵は人間だと思うな。奴らを野獣だと思え。敵を見つけたら遠慮なく引き金を引け。絶対にためらうな。ためらったらやられるのはお前らなんだぞ。だけどそうは言っても誰だって最初は人を殺すのはためらってしまう。そんな時は自分の家族や恋人を思い出すんだよ。コイツらをこのまま生かしたらいずれ家族や恋人は殺される。場合によって殺される以上の事をされるんだ。お前らもテレビやネットで散々見ているだろ。連中が我が同胞にどんな悍ましい事をしてきたか。いいかお前らが行うのは人殺しじゃない。神の名による鉄槌だよ。いざとなった時この言葉をいつでも呼び出せるように胸に刻んでおけ!」

 今、僕は塹壕の中にいる。敵は押し迫っているように見えるがあたりに漂う火薬の煙のせいではっきりと見えない。僕らは軍曹に命じられるがままに盲滅法で銃を撃ちまくる。どうせ誰にも当たってはいないだろう。いやもしかしたら流れ弾で誰かに当たっているかもしれない。全く憂鬱だった。これがFPSならどんなによかったか。FPSなら喜んで突撃しただろう。多少傷ついても勝利すれば仲間と祝い。負ければ慰め合って明日のリベンジを誓っただろう。だが僕が今いる戦場にはそんなものはない。ただみんな今日を生きるために銃を撃ち一日が過ぎるのを待つだけだ。

 戦場に来るまで一日がこんなにも貴重なものだなんて思わなかった。あの自堕落な生活をこんなに愛しく感じるなんて思わなかった。今僕は自分の若さが恨めしい。若いから戦場に連れてこられこうして毎日無駄に弾を撃っているんだから。職場のみんなの前で自分が戦場に行く事が発表された時、五十代のオヤジの同僚が私ももう少し若ければとか抜かしていたが、僕は奴が真から安堵した顔をしていたのを忘れない。あんな奴らを守るために俺が駆り出されるなんて!だがその一方で恋人や友達の顔が浮かんでくる。そういえば彼女は医療班として招集されたという。首都に近いから少なくとも僕よりは安全だ。しかしここを突破されたら彼女の命の保証はないだろう。彼女もまた命どころか全ての名誉をぐしゃぐしゃに破壊するような事をされてしまう。それだけはゴメンだ。

 毎日毎日が同じことの繰り返しだった。戦況は一進一退で僕は毎日ひたすら塹壕の間を走っていた。そうしているうちに僕はだんだん敵を真から憎くなり始めていた。僕が今こんな状況に置かれているのはお前らが攻めてきたからだ。俺たちはずっと平和に暮らしてきたのに何故突然戦争を仕掛けてきたのだ。僕らの後ろには多くの人々が暮らしている。その彼らをお前たちにむざむざと殺させはしない。僕はそうおもいながら煙だらけの前方に向かっていつものように盲滅法に銃を撃った。

 その時、騒音と共に突然僕の隣の奴が倒れた。彼は部隊の中で一番の話相手だった。銃声と絶叫があたりに響いた。どうやら周りを囲まれているようだ。今まで見えなかった敵の姿が今はハッキリと浮かふ。だがそれも一瞬であった。軍曹が手慣れた調子で次々と敵を撃ったからだ。一瞬で敵を追い払うと軍曹は倒れている僕の隣の兵士を抱き抱えて呼びかけた。兵士の息はもう虫の息だった。だが対照的にその胸からはドクドクとまるで生きているかに見える新鮮な血が溢れ出している。彼は死ぬと部隊の誰もが思った。心の中でアーメンと彼のために祈りを捧げる準備をしていた時、上から足音が聞こえた。僕は顔を上げて足音の方を見た。

 そこにいたのは僕とほぼ同じぐらいの若者だった。その若者は敵の軍服を着ていた。僕はこんなにハッキリと敵の顔を見たのは初めてだった。男は僕らを前に震えていた。仲間のほとんどを撃たれ逃げ遅れたらしき男は銃を手に後ずさっていた。その男のあまりにも戦場に似つかわしくない滑稽な姿はまるで僕そのまんまだった。きっと僕も男と同じシュチュエーションに陥ったら同様の事をするだろうと思った。やっぱり彼も僕と同じように徴兵されてここまで連れてこられたに違いない。そのいかにも戦場を知らない間抜けヅラは僕そのままだ。きっと彼も戦場に来るまでは僕と同じように自堕落な毎日を送っていたに違いない。彼も僕と同じようにこの最前線で愛国心や戦場のルールを叩き込まれたに違いない。僕は一瞬彼に今すぐ銃を捨てて逃げて欲しいと思った。できれば人なんて殺したくはない。もう誰も死ぬとこなんて見たくはない。だが彼はそうしてくれなかった。彼は突然立ち止まって銃を構えた。

 その姿はもう僕と同じ若者ではなく敵そのものだった。僕の一番の話相手を死に追いやった奴らだった。僕は再びこの最前線が破られた時に待つ未来を想像した。破壊された故郷。すすむてきか進む敵軍の戦車。そして言葉では言い尽くせないほど無惨に殺された恋人や友達たち。僕は彼らをコイツの手から守らなきゃいけないんだ。僕は憎しみのありったけを込めて男を撃った。銃弾が頭に命中した男は一瞬で地面に崩れ落ちた。人殺しがこんなにあっさりと終わるなんて思わなかった。ついさっきまで生きていた男はすでに頭に血糊をつけたただの動かない人形と化していた。

 男の他に敵はいなかった。大隊からの連絡によると敵は一旦撤退したらしい。死んだ僕の親しい兵士は毛布に包まれて駐留所まで運ばれた。その夜僕は眠れなかった。僕は今日初めて仲間の死と敵の殺害を経験した。もう戦争前のあの日常が遠い昔どころか作り話にさえ思えてくる。僕はこれからも人を殺し続けるだろう。たとえそいつが僕と同じような、いやあるいは昔の親友であろうが遠慮なく殺し続けるだろう。何故なら僕は兵士であり人殺しを義務付けられているからだ。僕は君を殺す理由。それは君が敵だからだ。

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