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愚かしさという名の自画像

 小説家小山内光一は執筆作業の片手間に自画像を描いていた。とはいっても別に彼に絵心があるわけではなく、その絵はハッキリ言えば稚拙なものでありとても人に見せられるものではなかった。だから当然彼は自画像を人に見せず一人じっと自画像を見つめるのだった。彼が下手くそな自画像を描くのは自分の精神状態の確認であった。今、自分がどれほど惨めか、どれほど病んでいるかを全て書き留めたかったのである。そして彼は描き終えた絵を眺めてその陰惨極まりない絵に自虐的な苦笑いを浮かべた。全く酷い絵だ。他人には決して見せられたもんじゃない。自分でさえ見ているだけで死にたくなるほど酷い絵だ。彼はこうして絵を眺めて自分の精神状態を確認するとさっそくPCに向かって小説を書いていった。
 書いていると頭の中に今さっき見た自画像が浮かんできて嫌な気分にになってくる。彼はその不快な気分をインスピレーション源にして小説を書き進めていった。今度の小説もいつもと同じでブサイクな青年が身の程知らずにも美女に恋して惨めに振られる物語だ。驚く事に彼はずっとこのパターンの小説を書き、どういう訳かかなりの人気を博していた。何故こんな誰もいい気分にならない小説が人気が出たのか。それは小山内の語り口にある。彼は小説の主人公と適度にとり、主人公を茶化すような調子で書いていた。そうする事によって読者に対して主人公を客観視させ、作者と一緒になって主人公を茶化すように仕向けたのだ。しかしそれは彼にとって惨め極まる作業だった。こんなものを書いても気分など良くなるはずもなかった。なぜなら主人公は小山内自身であり、彼は小説内で自分自身をいぢめまくっていただけからだ。彼は主人公をいぢめるたびに身を斬るような痛みを覚えた。しかしいぢめればいぢめるほど本は売れるのでいぢめざるを得なかった。そして書き終わったらまっすぐキャンバスに向かい例の下手くそな自画像を描くのだ。これが彼の生活であった。絵を見て自虐的なシュチュエーションのインスピレーションを得て、それをネタに小説を書き、そして小説を書き終えるとまっすぐキャンバスに剥き出しの自画像を描く。小山内の執筆活動はこんな陰惨の堂々巡りであった。当然ながら彼には彼女などなく、今までずっと一人で過ごしていた。小山内は時たま自分の将来を考えては深く絶望した。恐らく自分は一生恋人に恵まれないだろう。自分に待っているのは孤独死という道だけだ。だが小山内は絶望に深く沈みながら希望は捨てることはできなかった。ある日ひとりのか弱い少女が自分のもとに降りてきて深い孤独の中から救い出してくれることを。

 そんな小山内に希望の光が見えてきた。彼が編集者との連絡と、そして出会いを求めて使用しているLINEに見知らぬ女性から送信があったのだ。彼は最初女性からのLINEを見たときどうせ出会い系サイトの勧誘だと思った。今までこんなことは頻繁にあったからだ。最近はなかったのにどういうことだろう。まあ考えるまでもない。そう思って静かに女のLINEをブロックしようとしたとき小山内はふと女のメッセージを見て驚いた。なんと正真正銘の自分宛てのメッセージだったのである。宛名にははっきりと小山内光一先生へとある。何度見ても間違いはなかった。メッセージにはこうあった。
『小山内先生いきなりのメッセージごめんなさい。私は先生の読者の市原紗栄子です。とあるサイトで先生のLINEIDを見つけて来ました。』
小山内は何度もメッセージをくれた女の名前を見たがそのたびに動悸が走った。彼は画面を前にして返事を書くべきか迷ったが、とうとう勇気を出して返事を書いた。
『小山内光一です。メッセージありがとうございます。ごめんなさいなんてとんでもないです。まさか僕なんかに女性の読者がいるなんて思わなかった』
 女は小山内のメッセージにすぐさま返信してきた。
『女性の読者がいないなんて誤解もいいとこです。先生には女性の隠れ読者がいるんですよ。実際私の友達なんか先生の小説に夢中になっているんだから。で、先生お願いなんですけどしばらくの間私のお話相手になってくれませんか?』
 小山内はこちらこそとスマホに前のめりになりこちらこそよろしくお願いします。とつぶやきながら承諾の返信した。

 それからLINEで小山内と女は頻繁にメッセージを送りあった。そうしてメッセージのやり取りをしているうちに小山内はこの顔も知らない女にすっかり恋をしてしまった。恋する男はいつだって愚かで純真。と昔の歌謡曲にあるようにひねくれ者の小山内もただの恋する愚か者になってしまった。恋にとりつかれた彼は自分の部屋にある醜い自画像をすべて燃やそうと思った。こんな過去のゴミはいますぐ捨ててやれ!今の僕は恋に浮かれたハッピーボーイなんだ!しかし彼はキャンバスに手をかけたところで考えた。これを燃やしても自分の陰惨きわまる過去は消せはしない。だから更新すればいいのだ。つまりこの醜い自画像の上に新しい恋する僕を正直に描けばいいのだ。小山内はそう決めると早速醜い自画像が描かれたキャンバスをイーゼルに掛け、これが最新の僕だといわんばかり鏡の前で顔をほころばせながら新しき自分の自画像を描き始めた。彼女との出会いもそのうち小説に書くだろう。今までの僕よさようならお前なんか屁をこいて吹き飛ばしてやる!
 小山内は描き上げた新しい自分の自画像をみんなに見せてやりたかった。出版社の連中にも、非モテの彼をバカにしまくっていた大学の同級生にも、そして愛するあの読者にも。LINEでやり取りを続けているうちに女はやたらに小山内がどんな顔をしているのか聞きたがった。明らかにブ男であった彼はいつも質問をはぐらかしていたが、しかし女の心優しい性格を知って彼は自分の全てを告白しようと考え始めた。彼女にだったら全て話そう。そして自分の描いた自画像も見せよう。出来れば彼女の写真も欲しい。そうしたら自分の隣に彼女を描けるから。
 小山内はこう決めるとスマホを手に持って自画像を撮った。緊張から来る手ぶれのために撮った写真はブレまくり削除しては何度も撮り直した。こんな僕の自画像を見て彼女は何と思うだろうか。そしてようやくまともに写真が撮れたのだが、小山内はその写真を見て自分の絵に納得のいかないものを感じた。こんなのは今の俺じゃない。たしかに俺は過去を更新して新しい自分を正直に描いたつもりだ。だがこうして絵を撮った写真を客観的な視点見たらまんま昔の俺じゃないか。陰惨な内面をどうにか取り繕っただけの絵じゃないか。こんなのは俺じゃない。書き直しだ。もっと明るくハッピーな自分を見せないと彼女はこの絵に引いてしまうだろう。小山内はスマホの写真を全て削除してもう一度絵を描き直した。
 そして一晩かけてようやく書き終わった絵をスマホで、今度は一発撮りで決めてLINEで彼女に送ったのだ。
 写真を送った後小山内は彼女の返信がないか何度も確認した。しかし何度見ても彼女からのなかった。小山内はこの事態に絶望し深く悲しんだ。やはり彼女も他のほかの女と同じなのか。ありのままの俺の自画像を見て嫌悪のあまり逃げ出したか。彼女だけは違うと思っていたのに!それから小山内は彼女との熱烈なやりとりを思い出して号泣した。あの心に染みる言葉の数々は全て嘘だったのか。何が私は先生がどんな顔をしていても決して先生から離れたりしない。だって私は先生の事を全て知っているから。先生の小説とは違う本当の先生を知っているから!今まで生きてきてこんなに真摯な言葉をかけられたことはなかった。お願いだ!僕になんでもいいから言葉を返してくれよ!しかしそんな彼の願いは虚しく女から返事がくることはなかった。

 それから小山内は絶望のうちに沈んだ。もはや小説など書く気になれず、毎日をただ無為に過ごした。彼は毎日部屋に篭って女のために描き直した自画像を見ていた。全く見ているだけでいたたまれなくなる。こんなにありのままの自分を曝け出したことはなかったのに。自分の全てをあの女に見てもらいたくて描いたのに。一体どうして君は去ってしまったんだ。僕はこれからどうしたらいいのだろう。彼は自分が絶望のどん底にいるような気分になった。ああ!全ては終わりだと。

 しかし絶望にどん底というものはなく、終わりなど勝手に決められるものではない。本人が終わらせたいと願っても現実は容赦なくありのままの事実を彼に突きつける。
 いつものように執筆もせず、ただ部屋の中でボケーっとしていた小山内の元へ突然電話がかかってきた。編集者からだ。彼はどうせ原稿の催促だろうと思いだるい動作で電話をとった。すると編集者が息急き切って大声でいうではないか。
「お前Twitter見ろよ!とんでもねえ事になってるじゃねえか!どうなってんだよ!」
 何が大変なのだろうか。小山内は編集者に尋ねたが編集者はただ言うだけ言うと電話を切ってしまった。
 小山内は電話を終えるととりあえず言われるがままにTwitterを開けた。するとトレンドの1番上に自分の名前がありそこにはこうあるではないか。
『変態ラノベ作家小山内光一 女子大生にLINEで交際迫る!』
 彼はあまりの事態に唖然としてすぐさま自分の名前をクリックして中を見て頭が真っ白になった。なんとそこにはLINEであの女に送った自分の自画像がデカデカと貼られているではないか。頰を赤く染めてキスでもしたいのか、くちびるを梅干みたいに窄めた自分の自画像があるではないか。しかもその自画像の隣に隣は君の特等席だよと空白に丸がしてあるのまでバッチリあるではないか。彼は恥ずかしさのあまり大絶叫した。その彼の自画像の下にはこんなコメントが書かれていた。
『このラノベ作家が俺の彼女にやたら迫ってだんだよ。こんなキモい絵なんかつけてさ。彼女このラノベ作家知らないんだけどたまたま男を釣って遊んでたらコイツが引っかかったらしいのね。だけどさ。なんかコイツがマジになっちゃって本気で迫ってきてやばかったよ。こんなキモい絵まで送りつけてきてさ』
 そのコメントの下には大量のコメントやリプがついていた。その中には小山内の読者もいて彼らも大ノリで『世界一キモいラノベ作家の小山内先生なら絶対こういう事やると思ってました。でも小学生じゃなくてよかったです』と小山内のしでかした事に大喝采を送った。Twitterでは小山内をボロクソに批判するものと小山内をさすがキモ中のキモと褒めまくるもので分裂した。小山内はそれらのコメントをただ無表情で眺めた。よく考えれば予測できたはずの結末を見てもなんの反応もなかった。ただ改めて己というものがこの世界でどういう存在なのかを認識したぐらいである。彼は一通りスマホで自分の事件の反応を見るとすぐさま先程の編集者に電話をし、今度の事件をネタに小説を書きたいと言った。編集者は乗り気になり今からだといつ出来上がる?話題になっているうちに出版まで漕ぎ着けたいと言ってきた。小山内は言葉少なめに多分あなたの予想よりずっと早く仕上がると答えた。すると編集者異様に興奮してできあがるまでなんでもするから、俺の部下も寄越すよと言ってきたが彼はそれはいいと答えて電話を切った。

 電話を終えると小山内光一は部屋のカーテンを全て下ろした。そして彼は小説を書く前にイーゼルの頰を赤く染めてくちびるを梅干しみたいに窄めている自画像に押し出した絵の具のチューブをそのまま押し当てた。そして何色かのチューブをキャンバスに叩きつけ新しい自画像を描いて行った。描きながらあの恋に浮かれ切った自分に悪態をついた。全く愚かしい。全くもって愚かしい。なんて薄っぺらな人間だろうこの俺は。見ろよ。この醜悪極まりない自分を全く愚かしさという名の自画像だ。


 



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