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全身女優モエコ 第四部 第十一回:衝撃の挨拶!

 スタジオの空気はとんでもなく張り詰めていた。下手な冗談を言ったらスタジオが爆発しそうな程であった。これは明らかにモエコが先程海老島権三郎の楽屋で三日月エリカと大乱闘を起こしたせいである。それに加えて乱闘騒ぎの一方当事者である三日月エリカの空々しさにもほどがあるモエコへの歓迎っぷりが乱闘事件を知る大半の撮影スタッフを凍り付かせてしまった。

「モエコちゃん、そんなに怖い顔してどうしたの?初めてだから緊張しているの?でもエリカが一緒にいるから安心して。エリカに何でも相談してくれていいのよ。ほらほらそんなに緊張しないで。私たちはもう友達よ。エリカて呼び捨てで呼んでもいいのよ」

 三日月はモエコにまとわりついて潤んだ目を輝かせながら周りのスタッフに聞こえるようにわざと声を張り上げてモエコに声をかけた。ああ!なんと悍ましいまでのブリっ子ぶり。これは生まれてからずっと芸能界にいたものが自然に身につけた芸能しぐさなのか。芸能人はイメージが大事。イメージこそ自らの商品。それを幼い頃より肌身に知っている三日月がゆえにできるこの演技。三日月は多くの業界関係者がいるこの現場で彼らにお嬢様育ちの清純派三日月エリカを見せつけた。ああ!先ほどのモエコと三日月の大乱闘を知らないマスコミ等の業界人はこのブリブリのブリ三日月に簡単に騙されてしまった。やっぱり三日月エリカが人気があるのはわかるな。あんなズブの素人みたいな新人にも親しく話しかけるなんてな。ああ!こうしてみんなこの性格最悪クズ一直線の心の汚れ切った雌豚を清純派だと持ち上げる。三日月は張り付いた笑みでモエコの返答を待った。しかしモエコは自分に注がれる視線など無視して一心に台本を読んでいた。この有様を見て業界の連中は憤慨した。彼らからすれば怒って当然だ。この無名の新人女優は人気女優三日月エリカがわざわざ挨拶しにきたのに完全に無視しきって台本なんぞ眺めているのだ。業界人はこのモエコの反応に憤慨した。何だこの火山モエコってガキは!あの清純派女優の三日月エリカさんがわざわざ挨拶に来てくれたのに無礼にも程があるだろ!うんともすんとも言わねえでいつまでも台本なんか見やがって!三日月ちゃんが可愛そうじゃねえか。と彼らは口々にモエコを罵った。

 海老島権三郎を始めとする出演者のまたモエコの反応を伺っていた。礼儀知らずの動物のようなモエコ。まともに演技が出来るのか。いや、それ以前にちゃんとコミュニケーションがとれるのか。大俳優海老島権三郎は付き人に肩を揉ませながら憎さげにモエコを睨みつけていた。ああ海老島はきっとモエコへの復讐を考えているに違いない。自分の楽屋を荒らすだけ荒らして型通りの挨拶だけして去って行った小娘。この小娘に芸能界の厳しさって奴を教えてやるとか思っているのだ。三添薫も無表情でモエコを眺めていた。彼女は明らかに海老島からモエコの乱闘騒ぎを聞いているはずだ。先程海老島の楽屋で遭遇した騒がしい小娘。一体どんな演技をするのかしら。もしお話にもならない演技をしたら背中をつまんで叩き出してやるわと三添はその無表情な顔でこう考えているに違いない。それと危険人物の南峡一も笑みを浮かべながらモエコを見ていた。ああ!その視線はまさに獲物を狙うハンターだ。

 私は共演者たちの視線を見てゾッとした。ああ!このままじゃドラマ撮影どころではない。モエコは下手したらスタジオから叩き出される。私はモエコを怒鳴りつけてやろうと彼女の持っていた台本に手をかけようとしたその時だった。モエコは突然椅子から立ち上がり、私をチラリと見るとそのまま三日月を無視してセットの方へ歩き出してしまったのだ。私はそんなにまで挨拶したくないのかと慌てて彼女を連れ戻そうとしたが、彼女は私を振り払いスタジオのセットの真ん中で止まった。そしてモエコはスポットライトの下で両腕を広げて大声でスタジオのいるすべての者たちに向かって挨拶をしたのだ。

「皆さん、初めまして!私が今回杉本愛美ちゃんをやる火山モエコです!この愛美ちゃんの台本を読んだ時、この子を演じられるのら私しかいないと思いました。この子を演じられるなら死んでもいいと思いました。私はこの子が死ぬのなら自分も死ぬつもりです。女優は役を演じ生きるもの。与えられた役に殉じるものです。だから共演者の皆さん、そしてこのドラマを作ってくださっているスタッフの人たち。今日から杉本愛美ちゃんと、彼女を演じる、私火山モエコをよろしくお願いします!」

 あまりに強烈な挨拶に名を借りた女優宣言にスタジオ内は沈黙に包まれた。その沈黙の中をモエコがカーテンコールの終わりのようにゆっくりと退場してゆく。やがて誰ともなく皆が一斉に割れんばかりの拍手が起こった。なんて事だろう。モエコはこの新人女優に全くふさわしからぬ、というより他のものが同じ事を述べたらしたら救急車を呼び出されかねないような挨拶でスタジオに大衝撃を与えた。誰もがもはや先程彼女と三日月にあった事など忘れて、今はただ彼らの前に突然現れた火山モエコという衝撃に打ちのめされていた。しまさかここまで役にのめり込んで現場に来るとは。彼らはモエコの言葉を新人に特有の気負いだと考えたかもしれない。だが、モエコは気負いではなく本気で役と心中するつもりだったのだ。現に私はその後椿姫を演じた彼女は売春婦になって結核にならなきゃマルグリットの悲しみなんてわからないとか言い出して立ちんぼになろうとしたことがある。それぐらい彼女は本気であった。ああ!危険なほどに!

 だが拍手は突然鳴り止んだ。海老島権三郎が今すぐにでも殺しかねない目で当たりを睨み回したからである。ああ!睨み回していたのは海老島だけではなかった。三添薫もまた睨んでいた。そして三日月も……。

「まぁ、モエコちゃん素晴らしい挨拶だったわ!エリカもあなたを見習って頑張ろうって思ったわ!」

 三日月エリカは再びモエコに近寄ってきてブリブリの笑顔で先程の挨拶をこう褒めちぎった。だがその薄っぺらな笑みはモエコの表情を見た途端消えた。三日月はそこに火山モエコではなく彼女が演じる杉本愛美を見たのであった。彼女は恐らく役に完全に入り込んだモエコに自分への挑発を感じたに違いない。もう舞台は始まっているのにあなたたちはいつまで遊んでいるのと。恐らくこの自分達を完全に無視して自分の椅子に座るモエコの不遜極まりない態度に海老島を始めとする役者陣はこう思っていただろう。

『このガキ絶対ぶっ殺してやる!』

 まもなく撮影が始まる。これほど恐ろしい緊張感の中での撮影はスタッフも経験した事はなかっただろう。冬の寒さよりも凍ったスタジオの空気の中で人の移動する足音や機材を動かす乾いた音が鳴り響く。海老島も三添も三日月も憎悪を剥き出しにしてモエコを見つめている。ああ!本番こそが地獄だ。そんなスタジオの空気の読めぬ一人の男がモエコに近寄ってきた。あの南狭一である。

「モエコちゃん、さっきの挨拶ステキだったよぉ〜。ボクは君のような人と共演できて嬉しいよぉ〜」

 ああ!なんてやつだ。コイツはそう言いながらモエコにべったりと寄り添ってきた。ああ!その姿はまるで両生類のイモリ!男が女かはっきりせず腹に真っ赤な欲望を隠して!モエコは他の連中と同じように奴を無視しようとするが奴はどかない。血走った目でモエコを凝視する。しかしその時撮影スタッフから呼び出しがかかって南はモエコから離れてセットへ歩き出した。海老島や三添もセットに向かっている。そして三日月エリカもスタッフや関係者に愛嬌を振りまいてセットへと移動した。モエコも行かねばならない。私はモエコに向かって頑張れと声をかけた。しかし彼女は私の言葉を無視して椅子に置かれた台本に向かってしばし祈るとさっと身を翻してセットへと歩いて行った。



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