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ミニマリストの論理

 慌ただしい日常は人にショートカットの技術を身につけさせる。みんな自然にめんどくさい過程を飛ばして自分の生活の中で本当に必要なものだけを実行するようになる。今必要なものなんて考える必要すらない。いや考えること自体不必要だ。自分はただ必要なことを無意識にするだけだ。

 私は日常を送っている中で無意識に不必要なものを捨て去っていった。ファッション、アート、グルメ、恋愛、マネー、交友関係。こうしてめんどくさいもの徐々に切り捨てていって身の回りを整理していった。繰り返しいうがこれは意識的な行動ではない。ただ無意識の判断に従ってそれを実行したに過ぎない。そうしていらぬものを捨て去っていってしばらく経ったのだが、私はまだいらないものが多すぎるように感じるようになった。洗濯、掃除、食事、仕事、人生。ああ!全てがいらぬように思えてきた。それらについて考えること自体煩わしくなった。

 人間として生きていくためには実にいろんなことを考えなければならない。考える。それだけで苦痛なのに。今私のアパートはゴミで散乱している。生ゴミ、可燃物、不燃物、粗大ゴミ。私はそれらに囲まれている。毎日地球が一回転し終えるまで私は何もせずただぼうっとしている。何もしないこと。それがいらぬものを全て捨て去った私の生活だ。その何もしない日常さえ満足の出来ない私はそれをショートカットしようと眠りに入る。眠れば一日をショートカットする事ができる。眠り続けること。それが私の見つけた唯一の生活だ。

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