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《長編小説》全身女優モエコ 第十七回:文化祭演目『シンデレラ』舞踏会

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 誰かがモエコの靴が赤く染まっていると叫んだ瞬間、会場は再び騒ぎに包まれた。どういうことなのだ。あの透明なガラスの靴が赤く染まっているなんて、もしかしたらあれは彼女の血ではないか?だとしたらこの舞台は止めねばならん!観客が次々と声をあげて会場は大騒ぎになった。

 モエコは観客の騒ぎを見て自分の靴の異変に気づいた。彼女は恐る恐る自分の靴を見た。ああ!なんてことだ!自分の足が血で赤く染まっているなんて!しかしモエコはもう一度自分の血で赤く染まったガラスの靴を見た。赤く染まったガラスの靴は、ライトに照らされなめらかに、そして美しく輝いている。彼女はそれを見て思わず全身から声を振り絞って歓喜の叫びを上げた。

「ああ!靴までこんなに赤く輝いて!こんな綺麗な赤い靴を履けるなんてシンデレラは今とっても幸せよ!」

 ああ!この台詞はあからさまなモエコのアドリブだ!しかしその叫びはあまりにも真に迫っていた。まるで最初からシンデレラに用意されていたとっておきの決め台詞のように!

 担任はモエコの靴が赤くなっているのを見て、女子生徒たちが靴の下に画鋲でも入れたのだろうと想像し、その想像は完全に当たっていたのだが、しかしこの会場の有様を見てはもう洒落にもならず、この舞台は終わったと思った。クラスの女子生徒によるモエコいぢめは教育委員会で問題となり、自分は懲戒免職になるだろう。そうなったら自分はもう終わりだ!彼がまた頭を抱えて蹲ると校長が彼の肩を叩くではないか。担任はハッとして校長を見たが、校長は眉間にシワを寄せ、歯をガチガチと鳴らしている。担任は校長に頭を垂れた。ああ!なんて憐れな我が身よ!こんなクラスの担任になったばかりに!そして校長が紅潮した顔で担任の肩を叩いて叫んだ。

「君!どうなっているんだ!この舞台は!一体何なのだ!説明したまえ!全く呆れるにも程があるよ全く……。素晴らしい……実に素晴らしい!なんて素晴らしい舞台なのだ!これは芸術だよ!まさかシンデレラにアンデルセンの赤い靴をかぶせてくるとは思わなかった。これでシンデレラ役の子があんなボロい服を来ているのも馬車があんなにひどい落書きだらけなのも腑に落ちた!これは演劇によるシンデレラ批判なのだな!つまりシンデレラの物語などというものは赤い靴という狂気に囚われた憐れな少女の幻想に過ぎないのだと!君そうなのだろう!答え給え!」

 担任が校長がまたわけの分からぬことを言い出したので、やっぱり自分のクビはなくなったと調子に乗って適当な事を言い出そうとした瞬間だった。先程のモエコの台詞に観客が一斉に拍手をはじめたのだ。それだけではない。続いて地響きが起こるほどの歓声が起こった。担任の隣の校長も担任など無視してひたすら拍手してこう叫んでいた。

「なんて素晴らしい舞台だ!赤い靴を履いた彼女は身を持ってシンデレラを体現しているのだ!それが偽りであり、悲しい幻想であることを知りながら!」

 ああ!この校長の言葉はモエコの女優としての本質をついていた。そう、モエコは宿命に導かれて、全身女優という赤い靴を履いてしまったがゆえに、一生女優という舞台を狂ったように踊り続けた。その彼女の狂気の踊りを止めることができたのは死だけであった。それが偽りであり幻想であったとしてもモエコは舞台を踊らざるをえなかった。だがその話は今は語るまい。今は彼女の全身女優としての目覚めを書かなくてはならないのだ。


 スポットライトがステージを照らすといつの間にか舞台は舞踏会の会場になっていた。モエコ演ずるシンデレラは「まあなんて素晴らしいのでしょう!」と感動してボロボロのドレスと赤いガラスの靴で舞踏会の中央へと進んでゆく。ああ!そこにいるのは女子生徒演ずる姉たちだ。しかし姉たちはササッとモエコから逃げてしまう。画鋲だらけの靴を履き足を血塗れにさせて必死の演技をするモエコに恐れをなしたのだ。

 彼女たちはモエコを見ては、自分たちがしてきたことへの罪の意識に苛まれはじめた。度重なるいぢめに負けずその美しい顔をあげて必死の演技をするモエコ。そのあまりに神々しい姿に耐えられず目を背け黙りこくってしまった。モエコはなんとか場を取り繕おうと地で染まった赤い靴を鳴らして笑顔で歩き回るが、相手からの台詞がなければ舞台など成り立たない。

 モエコは歩き回りながら女子生徒たちに目線で台詞を言うように促す、しかし女子生徒たちはそのモエコの要求に応えられずただ顔を背けて立ち尽くすだけだ。彼女は再度もうあからさまに台詞を言えと口には出さずその表情で訴えた。しかしモエコに睨まれた女子生徒たちはますます臆して縮こまってしまう。ああ!なんて事なの?普段は私を煤っ子だの散々いぢめといていざとなったときに何も言えないなんて!さあ何やってるのよ!いつも通り私を罵りなさいよ!煤っ子だの、貧乏人だの、●●●だの!●●だの!●●●だの!いつも私に酷いこと言ってたじゃない!さあ、今存分に言いなさいよ!チクショウ無理矢理にでも言わせてやる!とモエコが女子生徒たちに飛びかかろうとした瞬間だった。

「おや、煤っ子じゃない。あなたこんなところで何してるの?そんな似合わないドレスなんか着て。ここはあなたの来るところじゃないのよ。さっさと出ていきなさいよ!」

 なんと、先程魔法使いを演じていた女子生徒がついに台詞を喋ってくれたのである。他の女子生徒たちは一斉に台詞を言った女子生徒を見た。彼女はモエコを上目遣いで誠に憎さげに見つめていた。それはあきらかに演技であった。彼女はモエコの足を血に染めながらの熱演に応えるために勇気を出して自分にできる精一杯の演技をしたのである。その女子生徒の姿を見て他の女子生徒も続けとばかりに台詞を喋り始めた。彼女たちは口々にモエコを罵倒する。「お姉さまのいうとおりよ!あなたなんか舞踏会にお呼びじゃないのよ!さっさとお帰りなさい!」「煤っ子がいい気になってんじゃないわよ!」「あなたはドレスなんか着ているより豚の世話をしている方がよっぽど似合っているのよ!」

 何ということだろうか!普段あれほど自分をいぢめて、この舞台すらモエコいぢめショーにするつもりだったクラスメイトが、今初めてまともに演技してくれている。モエコは彼女たちの目にこの舞台を共にやり遂げようという強い意志を見た。彼女はそんな女子生徒たちの意志に答えようと全身を振り絞って屈み込んだ。姉たちのいぢめに耐えられず晴れの舞踏会でふさぎ込むシンデレラ!不思議なことだが、日常的に行われていたモエコいぢめをそっくり再現したようなこのシーンでクラスはやっとひとつになったのだ。今、彼女たちはこの舞台を成功させることだけを考えていた。モエコも、女子生徒たちもそのために己のモテる力のすべてを注いでいた。

 姉たちはさっさとシンデレラから離れダンスの相手を探しはじめた。しかし残念なことにこのクラスには王子役の生徒しかイケメンは存在しない。立っているのは多少マシな部類に入る男子生徒だ。この生徒を見た観客は思わずプププと笑ってしまった。田吾作みたいのが事もあろうに貴族の衣装を着ていたからである。女子生徒はしかたなしにその田吾作とダンスを組む。その時女子生徒たちは男子生徒に胸揉んだら殺すと言って脅しつけた。

 ああ!なんて憐れなシンデレラ!ダンスの輪に入れぬまま虚しく時間が過ぎてゆく。柱の時計を見るともう十二時の10分前ではないか。自分はこのままずっと一人で立っているのか。しかし内気なシンデレラは誰にも声をかけられない。モエコはシンデレラの悲痛な思いを叫ぶ。

「ああ!シンデレラはこのまま一人ぼっちで帰らなければいけないの?せっかく魔法使いさんにドレスをもらったのに、一人で寂しく帰るなんてもう耐えられない!」

 その時だった。舞台の袖から誰かが風のように現れてシンデレラのそばに来てこう言ったのである。

「お一人でしょうか。よかったら僕と踊りませんか?」

 モエコ演ずるシンデレラは顔をあげると驚いて目を見開く。ああ!どうしたことだろう!シンデレラのそばにいるのはなんと王子ではないか!王子はもはやシンデレラ、いやモエコにしか眼中になかった。彼はこめかみの血管を浮き立たせ、血走った目を危険なぐらい剥いて、ひたすらモエコを凝視していた。



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