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三浦さん

 会社の同僚に三浦さんという人がいる。彼女は私と同期だが、地味目の美人でもないしブスでもない、まぁ言葉通りの普通の女性だ。だがしかし彼女とは十年くらい同じ課に所属しているが会話らしい会話は殆どない。それどころか私は一方的に嫌われていた。業務中に彼女の名前を呼んでも振り向きもしないし、昼食中に名前を呼んで向かい側のテーブルに座っていいかと尋ねても何も言わずにガンとして睨みつけてくる。帰りの電車でバッタリ出くわした時私はびっくりして「三浦さんかぁ!奇遇だなぁ」と声を上げたが、彼女はプイと私に背中を向けて別の車両に行ってしまった。

 しかしそのような酷い仕打ちをされても私は三浦さんが好きだった。とはいえ別に恋とかではなくただ彼女という人間が好きだった。仕事はよくできる人だし、気遣いのできる人だし、喋り好きでもあるし、頼りがいのある人でもある。

 だけどそんな三浦さんが何故こんなにも私を嫌うのだろうか。入社式の時知らずに彼女にセクハラ紛いのことをしてしまったのだろうか。あるいは私の存在そのものに生理的な嫌悪を感じるのだろうか。確かに私はたまに前日にシャワーを浴びずに会社に行くこともあるし、それで同僚の誰かに聞こえよがしに臭いと言われたことがある。だが普段はちゃんとシャワーや風呂は入っているのだし、長く付き合っているのだから誤解は解けていいはずだ。まぁ体云々は置いといて、生理的な嫌悪で私を嫌っているのだとしたら、もう仕方がない事だと思う。生理的な嫌悪はなかなか払拭できるものではないからだ。だがそれでも三浦さんとこうしてわだかまりを抱えたまま別れることになるとは残念だ。

 三浦さんは今月いっぱいで寿退社するのだ。外資系のエリートと結婚するらしい。私も会社の同僚もそれを聞いてびっくりした。二年ぐらいの付き合いだったらしい。会社の連中は三浦さんの退職を残念がったが、それと同時に今まで会社のために尽くしてくれた彼女のために何かしたいとも考えてさっそく送別会の企画が持ち上がった。

 私は三浦さんが退職すると聞いて皆と同じように残念だと思った。何故かわからぬわだかまりを残したまま別れていいものだろうかと考えた。しかし一方でこうも思うのだ。彼女は心から私を嫌っている。そんな人間から祝福を受けたいだろうか。ただ黙って陰から彼女を見送った方が良いのではないか。私は三浦さんの姿を見るたびに思い悩んだ。二人きりの入社式で自己紹介したら笑顔で三浦ですと行ってくれたこと。新人研修の時問題がわからず三浦さんに尋ねたら撫然とした顔をされたこと。それからの果てしない無視され続けた日々。だけど思い出すのは入社式の時の将来に希望を抱いた晴れやかな笑顔だ。やっぱりただ一人の同期として彼女には最後の挨拶をしなければ。

 そう決意した私は三浦さんが一人の時を見計らって名前を呼んで駆けつけた。彼女は私をいつもの撫然とした表情で迎えた。彼女は私に何の用かと冷たく聞いてきた。私は勇気を出して言った。

「三浦さん、結婚おめでとう。同期として祝福させてもらうよ」

 三浦さんは私の言葉に何故か呆れたような顔を見せた。私はどこまでも嫌われているんだなと思って立ち去ろうとした時、三浦さんがあのと言って私に話しかけてきたのだ。

「あの、ちょっといいですか?私ずっとあなたに言えなかったことがあるんです」

 さっきの呆れたような顔はいつの間にか真剣な眼差しに変わっていた。隠された秘密を打ち明けるような。今まで言えなかった言葉を口にするようなそんな顔をしていた。私は三浦さんの視線に動揺して思わず目を背ける。まさか、今更そんな告白をされても私はどうしていいかわからないではないか。

「私から目を逸らさないで今から言うことをちゃんと聞いてください」

 そして三浦さんは大きく深呼吸してから言った。

「あの本田さん?あなた私のことずっと三浦だって言ってるけど、私の名字は藤沢です。結局あなた最後まで私の名字覚えてくれませんでしたね」

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