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大嫌いな同僚

「やぁ、いつも張り切っているねぇ、お二人さん。互いに切磋琢磨して今日も頑張ってくれよ」

 と課長がいつものように私と隣の同僚に向かって冷やかしの挨拶をした。私と同僚は笑みすら浮かべず相槌を打つ。すると課長は私たちの険悪な雰囲気を見ていつものように肩をすくめて私と同僚のもとから離れてゆく。これもまたいつもの出来事だ。

 私はこの男性社員の同僚と二年前から机を並べているけど彼とははっきり言って仲が悪い。なんと表現していいかわからないくらい仲が悪い。それは最初彼と会った時からそうだ。何故かこんなにも彼が嫌いなのか自分でもわからない。だけど世の中はわからない理由で戦争まで起こるのだからこれもまた世の摂理なんだと思う。それでもコイツが仕事の間地蔵みたいに黙っていてくれれば私もコイツの存在を無視して仕事ができるけど、世の中はそんなに自分に都合よくは回らない。この同僚は細かい性格で私の文書のちょっとした表現の誤りを見つけてはすぐにイヤミったらしく指摘してくるのだ。

「お前ってさ、俺が何度指摘しても同じミスするよね。お前さ、学ぶってことはしないの?自分のスキルを上げようとかちょっとぐらい考えないの?」

 コイツのひたすら上から目線の物言いを聞くたびに私はこのボンクラを殴ってやろうかって思った。だけどコイツの言っている事にはそれなりに正しいし、自分の至らなさは自分が一番よく承知しているつもりなので私は「ご指摘ありがとうございました!」とキレ気味に言うだけに抑えていた。

 というわけで今日も私と同僚はいつものように無言で働いていた。今日はどうやら何事もなく終わりそうな予感がした。お昼休憩が過ぎ、終業時間まで1時間切り、そうして終業のチャイムが鳴ってさて帰ろうと席を立った時、私は大変なことに気づいた。なんとネームプレートの中のIDカードがなくなっていたのである。ああ!まさかさっき行ったトイレに置きっぱにしていたのか。私は帰る同僚にまぎれて空いたドアから執務室を出ると慌ててトイレに向かった。しかし間の悪いことに女子トイレには列ができていた。待っているうちに頭がおかしくなってきていっそ男子トイレに入ってしまえと考えたが、すぐに冷静になって今はトイレするために来たんじゃないだろと自分の頭を殴りたくなった。ようやく私の入っていた部屋が空き、早速中に入って探したけどカードらしきものは何もなかった。では更衣室にあるのかと思って開けて探したけどそこにもない。私は完全にパニックになってもう一度執務室に戻って改めて自分の席のPCを裏返したり、机の引き出しを開けたりして必死にカードを探した。しかしどこにもない。執務室にはいつの間にか私以外誰もいなくなっていた。同僚も帰ったようだ。

 私は自分の席に座るなり頭を抱えて声を上げた。ああ!起こるはずのないことが起こってしまった!始末書、弁償、嘲笑。いやそれだけだったらまだいい。もしかしてオフィスの連中の誰かが私のIDカードで悪さなんかしたら……。しかもそれがアイツだったら最悪だ。明日の朝に自分を待っているであろう事態に絶望すると涙が出そうになる。私はそのまましばらく机と睨めっこしていた。その時、後ろからドアの開く音がしたので、私はビクッとして思わずドアの方を見た。ドアを見た瞬間心臓が止まるほどビックリした。これは比喩じゃなくて本当にだ。ドアの前にはアイツが、あの同僚がいつもの無表情な顔で立っていたのだ。

 あなた帰ったんじゃないの?というかなんであなたが戻ってくるのよ。まさかコイツ、私のIDカード拾ったんでそれで私を探していたのか。ああ!よりにもよって一番拾われたくない人間に拾われてしまった!なんと切り出したらいいのか。一応カード拾ってくれたんだしお礼ぐらいはしようか。いや、コイツはこっちが下手に出るとすぐ調子に乗ってディスってくる。だから私はわざと強気の調子で言った。

「あなた、私のカード知らない?」

 だけどコイツは訝しげな顔で答えた。

「カード?いきなり何言い出すんだお前?何のカードだか知らねえけどそんなもの俺が持ってるわけねえだろ」

 コイツがまさかここまで嫌な奴だとは思わなかった。私はもう怒り気味に問いただした。

「だから私のIDカード知らないかって聞いてんの!持ってるならさっさと出してよ!」

 すると同僚は真顔になって私に言い返した。

「お前のカードなんて持ってるわけないだろ!」

「じゃあ、あなた一人で残って何してんのよ!」

「何してんのよじゃねえよ!俺は今日戸締まり当番だろうが!」

 そうだった。すっかり忘れていた。コイツは今日当番だったんだ。なんでコイツが当番の日に限ってこんなことが起こるのよ!

「大体お前こそ何してんだよ。早く帰ってくんねえと戸締まりできねえんだがな。なぁ、早く帰ってくれよ」

「帰れって言われたって……」

 ああ!コイツは本当に私のカードを持っていないようだ。じゃあカードはどこにあるのよ!私は足が貧乏揺すりが大になるほど足を震わせた。ああどうしよう!彼はそんな私の表情を見てやっと事態を察したのか、急に表情を変えて自分の席に座ると私に尋ねてきた。

「おい、お前まさかカード失くしたんじゃねえだろうな?」

 その通りだというしかない。だけど無意識レベルの反発でどうしてもそれを口に出せない。もうこいつには完全に私の心理状態は見透かされている。そうよなんて今更強がったってバカにされるだけだ。すると同僚がその私に向かって今度は異様に真剣な表情で言った。

「おい、俺はカード失くしたのかって聞いてんだ。答えろよ!」

 私はその真剣な眼差しに気圧されてただ頷いた。すると彼は意外にも私を嘲笑ぜず、といって怒るわけでもなくただ真顔で私に聞いてきた。

「お前、普段共連れとかしてないよな?」

 していないと私は答えた。いや、たまにしちゃうんだけど、今日はカードでちゃんと入っていたはず。だけど彼がこんなにも心配してくれるなんて正直に言ってかなり驚いた。普段あれだけ私を無視して、声をかけるのは私がミスしたときだけの彼が。

「だとするとカードは執務室の中にあるはずだ。お前、カード持って最後に出入りしたのいつだ?」

「17:25分ぐらい」

「それからカードなくしたことに気づくまでなにしてたんだ?」

 ええっと、と私は執務室に戻ってきてからした事を考えた。たしか……。

「ええっと、まず課長のとこ行って、それから庶務のとこ行って、それからロッカーに資料しまって……。それだけよ」

「じゃあ、その辺を探せばいいんだな?もしかしたら誰かがお前のカード気づかずに蹴ってるかもしれないから机の下も探さないとな」

 そう言なり彼は席を立ち課長の席までの場所を見回り始めた。彼はカードを見つけようと近くの机の下や課長の机を屈んでまで探し出した。そうやって私のために必死になって探してくれている彼を見ていたらなんだか申し訳なくなってきた。私は耐えられずに彼に言った。

「あの、申し訳ないけど、私の為にこんなことしなくていいからもう帰って。あなたの気持ちはわかるけど、私のやらかしにあなたの貴重な時間台無しにしたくないから。ねっ、お願い」

 しかし、彼は私の言った事を聞いても探すのをやめようとはせず、それどころか私を怒鳴りつけてきた。

「うるせえんだよバカやろう!人がモノ探してる時にごちゃごちゃ言ってくんじゃねえよ!集中できねえだろうが!大体人がこうしてお前のカード探してんのに、お前はなんでぼうっと突っ立ってんだよ!お前も探せ!自分のカードだろうが!」

 私は彼の剣幕に圧されてすぐに他の心当たりがあるとこへと探しに行った。

 だけどあの同僚が私のカードをこんなに必死になって探してくれているとは全く予想外だった。普段の同僚からは全く想像できない事だった。彼は普段のように上から目線の説教もせずただ必死になってカードを探してくれていた。そうして私たちは執務室の中を徹底的に探したけどカードは全く見つからなかった。私たちは探すのを諦めて自分の席に戻った。

「もしかしたら机の引き出しの下の奥深くに入り込んでいるのかもしれない。だけど机はPCがあるから下手に動かせないしどうしたもんか……」

 彼はこう言うと気の毒そうな顔をして私を見た。

「ありがとう。だけどもういいよ。私明日始末書書くから……」

「まぁ、残念だが仕方ないな。お前これからはちゃんとカードの管理しろ。カードは毎回ネームプレートに入れとくんだぞ」

 彼は普段とは全く違う優しい眼差しでこう言った。本当に今日はこの同僚にビックリされ通しだ。いつもあんなに嫌なやつなのに、こうして優しいところを見せられると本当に動揺してしまう。ひょっとして根はいい人なんじゃないだろうか。いつもあんなにつっけんどんなのはただの照れ隠しなんじゃないだろうか。いや、照れ隠しにしてはあの態度はあまりにもひど過ぎたけど。

「でも、不安だな。まだここにあるんだったらいいけど。誰かが持ち去っていたらどうしよう……」

 彼の優しさにほだされたのか思わず話しかけてしまった。すると彼は言った。

「始末書書く前に課長にメールでも送っておいたほうがいんじゃないか?まさかここの連中に他人のカードを悪用するやつなんていないだろうけど、念には念を入れておいたほうがいいな。で、念ついでに一応聞いておくけど、お前、自分のジャケットとかのポケットちゃんと確認したんだろうな?」

 ポケットを確認?今更なに言ってるの!私は至る所全部探したのよ。ポケットぐらいとっくに探してるはず……。

「ないよ。だいたいポケットにあったらどうしてこんなに必死になって探してるのよ。今から探すから見てなさいよ」

 そう言って私はまずはジャケットのポケットを弄ったのだけど、手を入れた瞬間爪がプラスティックの硬い板に当たった。ああ……まさか。そのまさかだった。私はカードに刻まれた文字の凹凸の感触を指でハッキリと感じた。間違いないこれは私のIDカードだ。私はゆっくりとカードをポケットから出すと、彼に向かって苦笑いを見せながらカードを見せた。

「あの……ごめんね。カード、ポケットの中にあったわ」

 彼は私が手にしているカードを見るなり憮然とした顔で私を睨みつけた。確かに明らかにマズい対応だった。私の友達とかもっと気のいい同僚だったらバカだなお前なんて馬鹿笑いしてそれで大団円だったかもしれない。しかし真面目なこの男にはそんな冗談は通用しない。彼は私の苦笑いを見てバカにされたような気分になったかもしれない。俺が必死になってカードを探して挙げたのに、お前はなんで俺をバカにしたようにヘラヘラと笑っているんだ。そんな事を思ったかもしれない。彼は思いっきりため息を付くと席から立ち上ると私に言った。

「おい、カード見つかったんならさっさと帰れよ。俺は早く戸締まりしなきゃいけないんだから」


 翌日は凄く気が重かった。あんな無駄な手間を取らせてしまった同僚にどうやって対応したらいいのか考えた。どうせ彼はいつものように二言三言しか私に話しかけないだろう。しかしそれでもこっちには辛いことだった。彼にとんでもない借りを作ってしまった。あれだけ心配をかけて、しかもその心配自体が全くの無駄だったなんて。多分真面目な彼は私に対して凄く怒っただろう。あんなバカのためになんて無駄な時間を犠牲にしたんだって絶対煮えくり返っているだろう。ああ!どうしよう!と思っていたらいつの間にか執務室に入っていて、しかも自分の席のすぐ側まで来ていた。同僚は一足先に席に座っていてPCを立ち上げている。私は隣に座ると彼に向かって挨拶をした。

「あの、昨日のことは本当にごめんね。これからは気をつけるから」

 しかし彼は予想通りそのままこちらを振り向きもせずに相槌を打つだけだった。

 そのまま私はいつものように彼の隣で自分の業務を始めたけど、本当に苦痛で胃まで傷んできた。ああ!自分はなんてことをしたのだろう。あのときちゃんとポケットを確認しておけばこんなことにはならなかったのに。自分のうっかりミスでとんでもないことになってしまった。いっそカードなんて本当に失くなってしまえばよかったとさえ思った。そのせいで根は優しい人間であろう彼を全く無駄な事に巻き込み、そして最後に苦笑なんかして酷く不愉快な想いをさせた。ああ!いっそカードになって机のしたに入ってしまいたい!どうせこのままやり過ごしていたら、再びいつものように戻るのだろう。けど、やっぱりそれは良くない。あれだけ借りを作っておいてこんなその場しのぎの謝罪で済むわけがない。やっぱりちゃんと彼に謝ろう。私はそう決めてお昼休みを待った。

 お昼休みになると私は彼がいつも弁当を食べている駅前の広場に行った。なぜ私が彼の食事場所を知っているかというと、単にいつも食べる店に行くためにそこを通るからだ。彼はいつもぽつんと一人で弁当を食べていた。私は震えながら彼のもとに近づいてゆくと、彼は気配を感じたのか顔を上げて私を見た。私は緊張のあまり思わずつばを飲み込んだ。だけどこんな緊張感味わったのいつぶりだろう。受験のときだって、就活のときだってこんなに緊張しなかった。この緊張感は高校時代にスキだった先輩に告白したときに似ている。いや、似てねえよ、なに考えてんだ私。全然シチュエーション違うじゃねえかよ!なんでただの同僚に謝るのにそんな事思い出してんだよ!とにかく私は彼のそばに行って声をかけた。

「あの、食事中のところいいかな?」

「なんだ?話すならさっさとしろ。こっちはお前に付き合ってる暇なんかねえんだから」

 いつものようなつっけんどんな対応だった。普段どおりの対応なのに今日は彼の言葉が心臓に突き刺さってくる。私は完全にビクビクもんになって震えながらなんとか声を出した。

「昨日のことなんだけどさ。やっぱり謝っておくよ。私の単なる勘違いであなたに迷惑をかけたことは勿論だけど、やっぱり一緒にものを探してくれた人間を笑ったりしちゃだめだよね。私はあなたを笑ったんじゃなくて、むしろバカな自分を笑ったつもりだったけど、いきなり笑ったらやっぱり誤解するよね。だから……ごめんなさい!」

 二人の間に沈黙がやって来た。彼は私を見つめたまま黙っている。しかし彼は弁当の蓋を閉じると私に向かって開いているベンチの端っこに座れと言ってきた。私は自分でも驚くくらい素直に彼の命令に従った。そして私が座ると彼が話しかけて来た。

「あのな、昨日の事は別になんとも思ってねえよ。俺は二年間もお前と付き合っているんだぜ。お前の事は他の連中よりずっとわかっているんだよ。あのさ……」

 と彼は私を見つめてきた。

「ずっと勇気がなくて言えなかったんだけどさ、お前がこうしてわざわざ俺のとこまで来てくれたんだから、もう思い切って話すよ。昨日さ、あの後俺一晩中お前のこと考えていたんだ。なんでお前のことこんなに考えんのかって自分でも思いながらさ。そしてもう全部話そうって思ったんだ。その結果やっぱりお前を傷つけてしまうかもしれない。そうなったら本当にごめん。だけどやっぱりこれだけは言っておかなきゃいけないって思うから……」

 彼はそう言うとさらに顔を近づけて来た。このまま近づいたら唇さえ触れそうな距離で。私は思わぬ事態に動揺して目を閉じて彼の告白を待った。なんてことだろう。さっき私が高校時代の事を思い浮かべたのは勘違いじゃなかったんだ。どうしようとっくにヴァージンじゃないのにこんなに胸が高まるなんて!お願い待って!まだ心の準備ができてないんだから!だけど彼はそんな私の気持ちを無視して勝手に語り始めてしまった。

「俺は机を並べてからずっとお前のことが気になっていたんだ。悪いけどずっとお前を観察していた。俺はお前を見ながら確かめたかったんだ。自分の推測が正しいのかって。だけど俺は昨日のお前を見てやっぱり俺は間違ってなかったって思った。俺もう正直に言うよ……」

 恥ずかしくてとても聞けたもんじゃない告白。ねえ、あなたってどうしてそんなに不器用なの?女子に告白するのにどうしてそんなに持って回ったような言葉使うのよ。そういう事はダイレクトに言ってよ!

「お前さ。今のような生活続けていたら若年性のアルツハイマーになるぞ。俺は二年前からずっとそれを気にしていたんだ。この女がこんなにバカなのは生活態度が悪いからだ。そのせいで頭の回転が異様に遅いんだ。俺はそれをずっとお前に言ってやりたかったんだが、勇気がなくてできなかった。なんとかハラスメントに当たるかも知れないからな。だけど、昨日のあの惨事を見て俺はこのままお前を放って置いたらとんでもないことになるって恐ろしくなったんだ。お前の脳はお前の自堕落な生活のせいで大事なIDカードをストラップから抜いてポケットに入れていた事にさえ気づかないほど破壊されていたんだ。いいか?もう一刻の猶予もないんだ。もう外食はやめて今から挙げるものをバランスよく食べるんだぞ。おい、何やってんだよ。スマホ開いてメモ取れよ!青魚、アマニ油、ナッツ、緑黄色野菜、ベリー、大豆、チョコレート。チョコレートはお菓子だからあんまりバクバク食べるんじゃねえぞ。あくまで添え物としてだ。お前はバカだからこれだけ食べればいいと考えるだろうが、ちゃんと他のものも食べるんだぞ。でないとお前はあとニ三年後には完全にアルツハイマーになる。いいか俺は冗談で言ってるんじゃないぞ。真面目に言ってるんだ。だから……」

 私はこいつの長広舌を聞きながら思った。


『やっぱりこいつでえ嫌いだわ!』








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