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久しぶりにプールで泳いだ

 今日は久しぶりにプールで泳いだ。コロナでずっと閉まったり、入場制限がかかったりしてたから、なんとなく足が遠のいてしまった。でもある日ふと水と戯れたいという思いが頭をかすめ、それがだんだん大きくなった。それで今日プールに来てしまったのだ。プールは今ではもう誰でもはいれるようになっており、もう体温検査や、住所と名前を書くことはなくなっていた。だけどこの三年間の間に入場方法が変わっていて少し戸惑った。前は自販機でカードを買ってそれを切符みたいにゲートに差し込んで通る方法だったけど、今ではそれがQRコードに変わっていた。私は自販機からペラペラの紙が出てきたので何よこれは!レシートじゃないのよ!とプールの芋臭い男のスタッフを怒鳴りつけてやった。すると芋男はビビッてそれは入退場に使うQRコードだと教えてくれた。私は殴る寸前で拳を止めて彼の肩を烈しく叩いて謝った。彼は私の真摯な謝罪を受け取ってくれたようで涙を流し体を震わせながら両肩を抑えていた。

 そんなわけで私は久しぶりのプールに入ったのだった。プールに入るまで感じた男たちのいやらしい視線なんて入ってしまえばどうでもよくなった。プールから漂う塩素の匂い、この匂いは好きじゃないけど今の私にはとても懐かしく感じる。プールに入った瞬間思ったより水深が深かったので少し驚いた。だけどフリーコースでしばらく平泳ぎしているうちにだんだん昔の感覚が蘇ってきた。ああ!昔はただ何も考えずにこうして平泳ぎしたり、ただ浮かんで瞑想にふけっていた。現実なんか忘れてこの水の中にずっといたいなんて馬鹿な事を考えた。こうして水に浮いていると自分の体に巻き付く水着が煩わしくなる。ああ!こんなもの破ってしまいたい。いっそ何も家も捨てて生まれたままの姿でずっとこうしていたい。だけどその私の妄想はすぐに現実に引き戻される。ああ!不細工な男たち!みんなしてこの美人すぎる私をじろじろ見るんじゃないわよ!しかも入場者の男たちだけじゃなくて監視員の連中まで私を見てる。あの私が美人すぎるからってそんなに穴が開くほど見るのやめない?私はあなたたちの見世物じゃないんだから。これ以上この美人すぎる私を見たら警察に訴えてやるから。

 私はたまらずフリーコースから出て、隣の競泳コースに移った。だけどここで私は監視員のバカ男に注意された。私は頭にきて何よ、ちゃんと矢印通りに泳いでたじゃない!って言ったら、このバカはもう休憩時間だとか言い出したの。何が休憩時間よ!私にそんなものいらないわ!私にはこのプールこそが休息なのよ!そこら辺の私に欲情しているジジイや、私に嫉妬のあまり高血圧で倒れそうなババアと一緒にするんじゃないわよ!私は休憩時間中頭にきてこのバカをずっと怒鳴りつけてた。したらこのバカは他の監視員たちと相談して私のために特別のコースを用意してくれた。やっぱり美人過ぎるって得ね。わがままを言えばなんでも許してくれるんだから。

 こうして自分のテリトリーを手に入れた私は思う存分泳いだ。ここは私だけの世界。水に入れば世間の喧騒なんてすっかり世界の外の出来事に思える。体にまとわりつく波打つ水、それは今までのどんな男たちの愛撫よりずっと気持ちがいい。こうして水の愛撫を受けていると今まで気取っていた自分が馬鹿らしくなる。美人すぎるから身を守らなきゃって気を張っていた私。誰よりも心優しいのにわざと高飛車にふるまっていた私。そんな私が水の愛撫で裸にされていく。これが自然なんだ。これが本当の私なんだ。私自身さえ知らない自分が今この水中にいる。

 だけどこんな事はきっとプールから出たら忘れてしまうんだろう。プールから出たらもう美人すぎる私に逆戻りだ。本当の自分をこうしてみることが出来るのはこの水中の中だけ。だけどもう少しこうしていたい。いっそこの水の中で自分に溺れてしまいたい。まるでナルシスだけど、この美人すぎる私を愛する資格があるのは私しかいないのよ。その時大学の英文で習った詩の事を思い出した。

『おれたちは、海の部屋で、赤や茶の海草を花輪のようにまとった海の魔女たちのそばをうろついた。人間の声が、おれたちをよびさますまで。そしておれたちは溺れる』

 ああ!溺れそうだわ!


「お~い、監視員の兄ちゃん、あのヒステリックなババア溺れてるぞ!早く助けてあげろよ」

 

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