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老人と海

 ずっと昔。とある島の少年が小舟で海に出た。両親をはじめとした島民は総出で少年を探したが結局見つからなかった。少年は海に遭難して死んだとされた。やがて時が経ち、少年の両親も、少年を知る島民も亡くなり、島には少年を知るものは誰もいなくなった。

 海に火が昇り始める頃、小舟から一人の老人が起き上がった。老人はいつものように手慣れた調子で竿を持って釣りを始める。そして老人は釣りをしながらいつも物思いに耽る。

 朧げに見える島の懐かしい風景。あれはなんなのだろう。生まれる前の記憶なのだろうか。あの人たちは誰なのだろうか。この船でずっと一人で生きてきた自分にも知り合いがいたというのだろうか。老人は自分がなぜずっと一人で小舟で海にいるかという事を考える。まさか海から生まれたわけではあるまいに。彼は自分が乗っている小舟やそこに乗っている潮に焼けたものたちを見て深く考える。

 だが老人には何も思い浮かばない。もはや何かを思い浮かべるには自分は歳をとり過ぎた。後は死ぬしかあるまい。自分はいずれこの大海原に沈むだろう。そうして魚に食いちぎられ、海の藻屑となるだろう。だがそれでも構わない。自分は海と共に生きてきた。海が自分を育ててくれた。だからその恩返しに海に我が身を捧げよう。

 この地域はおかしなぐらいいつも快晴でシケもなく台風も来なかった。老人は陽光が照らす大海原でいつもこんな妄想に耽っていた。

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