見出し画像

主人公は遅れてやってくる

 物語のバスに主人公を真っ先に乗せるなんてナンセンスだ。まだメイクも出来ていない彼女をいきなりバスに乗せて走り出しても、きっとあなたの物語のバスはパンク事故を起こしてしまうだろう。彼女を主人公として輝かせるにはまず彼女のメイクを完璧に施し、その行く道にレッドカーペットを敷くことだ。道は脇役たちが開いてくれるはずだ。華の主人公の彼女はそれからバスに乗せればいい。きっとバスは彼女を波乱に満ちたゴージャスな物語の旅に連れて行ってくれるだろう。

※※


 とあるバーで男二人が声を潜めて話をしていた。

「もうじきくるはずだぜ。あのグッとくる女が、胸の開いたドレスで腰を振りながらよ」

「しかし、その女ってのはどんな女だい?勿体ぶらずに教えろよ」

 三十絡みの男が女のことに触れた時、年嵩の男がいきなり彼にせっついた。年嵩の男は見知らぬ女の登場を待ちきれないのかソワソワし始めた。男はその年嵩の男をせせら笑って言った。

「おっさん、いい歳してはしゃいでも無駄だぜ。あの女は俺たちなんか相手にしないぜ。彼女を抱く資格があるのはこの街の名士だけだ。向こうの席を見ろよ。あのブランドばかり身につけた連中はみんな彼女を狙っているんだ。あの中にお前さんなんか入れっこないよ」

「いやそれでも挨拶ぐらいはできるだろ?そしたらその女の顔だって、そのドレスの中の胸の谷間だって拝めるじゃねえか。なぁ、その女はどこの誰なんだい?勿体ぶらずに教えろよ」

「チッ、色ボケじじいが。そんなら教えてやるよ。あの女の名前はな……」

 その時ベルの鳴り響く音と共にドアが開いた。ドアから白い肌を輝かせた女が……いやなんか原稿用紙持った男が現れた。

「すみませんみなさん。主人公さんなんですけどまだメイクの準備が済んでないんでもうちょっと場を持たせてもらっていいですか?念の為言っときますけど今度から名前言うのは無しでお願いします」


 男二人は再び会話を始めた。

「いや、名前はいいから彼女がどんな人間かだけ教えてくれ」

「そうさな。彼女は貧しい生まれの……」

 男がここまで言いかけたところでまた原稿用紙を持った男が口を出してきた。

「あの、勝手に主人公の来歴語るのやめてもらっていいですか?主人公の来歴は彼女自身に語らせるんで」


 年嵩の男がマスターに声をかけた。

「ああ、一杯やりてえな。おいマスター酒一杯くれ」

 するとまた原稿用紙がダメ出ししてきた。

「あの〜勝手に行動起こさないでもらえます?あなたたちにページ割くわけにいかないんで。そのまま彼女のことを来歴とか名前とかなしで喋っててください」


 また男二人は話し始めた。

「お前さん、そんなに彼女のことが知りたいかい?なら彼女がどんなドレスを着ているかぐらいなら教えられるぜ」

「どんなだい?」

「さっきも言った通り胸元がパッくり開いた真っ赤なドレスだ。しかも彼女はブラをつけてない。だから乳首が……」

 ここでまた原稿用紙がダメ出しした。

「あの下ネタめいたこというのやめてもらっていい?俺エロ小説書く気ないんで。もうあなたたちじゃ持たせられないからちょっと引っ込んでくんない?今から金持ち連中に時間持たせてもらうから」


 さっきからバーで女を待っている金持ち連中も未だ現れぬ女ぬヤキモキしていた。

「彼女今日はやけに遅いな」

「スチュアート。君はいまだに親の脛を齧っているのに……」


 原稿用紙は立ち上がって金持ち連中を怒鳴りつけた。

「お前ら端役のくせに名前なんかつけんじゃねえよ!それに設定もしてないテメエらのバックグラウンドなんか語り出すんじゃねえ!」

 この一喝に金持ちをはじめとしてバーにいた連中は皆ビビった。まじで消されると思った。原稿用紙の目は文字通りお前らの代わりなんかいくらでもいる。これ以上調子に乗ったら二重線で消すぞと言っている顔だった。それでバーにいた連中は皆黙りこくってしまったが、しかし原稿用紙は今度はバーの客全員に「オラなんか喋らねえと場が持たねえだろうが!」と怒鳴りつけた。彼らはしょうがなく言葉を絞り出して女について語り出した。

「あの雪のような肌。一体この中の誰が手にするのか」

「もしかしたら彼女にはすでに男がいるのかもしれない」

「宿命の女とは彼女のためにある言葉だ」

 バーにいた連中は原稿用紙に怒られない範囲内で必死に場を盛り上げた。だがだんだん言葉がなくなっていく。バーにいるのに酒さえ飲めず本当はまだあったことすらなく、もしかしたら生まれてさえいない女のことなんか長く話せるわけがない。とうとう限界が近づいてきた時、再びベルがなり扉が開いた。闇の中から白く輝く肌をさらした赤いドレスの女が……。いやまた原稿用紙だった。彼は先程と打って変わって偉く腰の低い態度でバーの連中に言った。

「いやぁ〜、みなさん申し訳ない。あの〜、主人公さん今日は頭の調子が悪くて来れないそうです。とりあえず今日は解散で」

 バーにいた連中は怒りのあまり原稿用紙に詰め寄って言った。

「お前自分の主人公のキャラ設定ちゃんとしてから俺ら呼べよ!」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?