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カビの生えた自画像

 久しぶりに見た亡き友人の未完の遺作は驚くほど変わっていた。その絵は彼の自画像であるが、絵の中には白カビらしきものが生えていてそれが顔らしきものを形作っていた。吹き出したようなカビはまるで生前の彼の無表情な顔を荒々しい筆のタッチを思わせるようにキャンバスの中をうねっていた。この絵の作者であり我が友人ヨハン・クラウスは十年前に自殺した。自殺の理由は理想と現実の相剋といったありきたりで古めかしい理由だ。彼は画家になりたかったが、今君たちが目にしているこの自画像が示すように才能などこれっぽっちもなかった。しかし哀れなことに彼は現実ではあまりにも無力で役立たずで能無しであった。ヨハンは想像力などからきしなかったので画題は自ずと制限された。彼は毎日飽きもせず自画像を描き、片手間に静物画や風景画を描いた。ヨハンは我々によくこんな事を言っていた。

「僕は芸術と一体化したいのだ。そうすればこのあまりにつまらない現実の苦悩から逃げられるのに」

 ヨハン・クラウスが最後に描いたのは自らのデスマスクである。彼はある日大量の睡眠剤を飲むと自分の顔にありったけのペンキを塗った。そしてキャンパスに自分の顔を擦り付けたのである。しかし彼のこの芸術家としての全てを賭した最後の賭けは惨めな失敗に終わった。残念なことにキャンバスにはほとんどペンキつかずただのクソのようなものになってしまった。ヨハンの家族は彼の死後このあまりに呪わしい絵をどうすべきか考えたが、結局どうすることもできず、ただ彼のアトリエのあった離れの物置にしまっておいたらしい。だがこうして久しぶりに外に出された彼の哀れな遺作は十年の時を経てカビによって一つの作品になろうとしていた。

 これは一種のゴースト現象なのだろうか。彼の霊はこの身を果てたキャンバスの中に今も存在しそしてカビで自らの作品を完成させようとしている。私は目を凝らしてカビで描かれたヨハンの自画像を見て彼の言葉を思い出す。

「僕は芸術と一体化したいのだ。そうすればこのあまりにつまらない現実の苦悩から逃げられるのに」

 その結果がこれなのだろうか。ヨハンは死して永遠の芸術を手に入れたのだろうか。明日になればこの絵はさらに別のものに変わっているのだろうか。私は絵を見せてくれたヨハンの家族に礼を言い彼らと別れた。

 翌日私はヨハンの家族から電話を受けた。絵がおかしな事になっていると言う。私はすぐさまヨハンのアトリエに向かい絵を見た。絵は昨日まであったカビがすっかりなくなってただ知れ真っ白なキャンバスがそこにあった。私たちが唖然として部屋を見渡すと、そこに一人の男が立っていた。家族のものが男をみて「ヨハン!」と叫んだ。私はその声で今自分が見ている人間がヨハン・クラウスその人である事を確認した。私もヨハンに向かって呼びかけたが、しかし彼は誰の声も聞かず後退りにキャンバスから遠のくと、今度はそこから猛然とキャンバスに向かって突っ込んだ。耳をつんざくような夥しい騒音がなり、我々は耳を塞いで目を閉じた。しばらくして目を開けた私たちはキャンバスにヨハンが自殺した時につけたクソのようなシミを見た。

 もしかしたらヨハン・クラウスは自殺してから永遠にこのような事をしてきたのかも知れぬ。芸術への未練が死後も彼に取り憑こうとは。いくらカビで自分を描いても、いくら芸術のために死のうとも彼には才能自体がまるでないのに。彼をこの呪いから解放するには彼に才能がない事をわからせるしかない。だが幽霊となった彼にはそれをわからせる事が出来ない。

 芸術とは誘惑である。このように才能のない人間でさえもこのように死後に至るまで狂わせてしまう。才能なき人間をさも自らが特別な人間であるかのように錯覚させるのが芸術というものだ。私は小説家ではないのでただ単に事実を語った。この話は亡き友人ヨハン・クラウスに誓って全くの事実である。ヨハン・クラウスは何者であるかは別の話であり、私が何者てあるかもまた別の話である。今私の前にキャンバスがあり、そこにはクソのようなシミがついている。いずれそこからカビが生えて私の顔を描いていくだろう。誰かがやってきて私に黙れと言う。だが芸術家を黙らすことが出来るのは自らの芸術作品だけだ。

「僕は芸術と一体化したいのだ。そうすればこのあまりにつまらない現実の苦悩から逃げられるのに」

 カビが再び我が顔を完成させた暁には私は再び芸術と一体化するであろう。

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