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ラブレターを書く

 恋愛とは半ば妄想だ。好きな相手を自分好みに仕立て上げ都合よくその成就を拵えるのだ。自分がこう言ったら相手はきっとこう答えるに違いない。恋愛は人にそう思わせ目的の実現に向けて行動させる。だが勿論そういう思い込みは自分が拵えたものでしかなくさまざまな形で現実に裏切られるのである。相手に振られた時は勿論だが、相手と交際し結婚したとしても人は妄想と現実との違いを感じ、そこで妥協点を見出して現実との折り合いをつけるのだ。

 誰でもラブレターの一つや二つぐらいは書いたことがあるだろう。ラブレターは自分の気持ちを思いの人に伝えるのに格好の手段だ。あなたはそこに自分の偽らざる気持ちを書き綴るだろう。思いのあまりつい読み切れぬほど長く書いてしまう方もいるかもしれない。だが、そこに書かれている相手の肖像は本当に自分の好きな相手なのだろうか。あなたはラブレターでイラストレーター、いや世界的な巨匠画家のように熱い言葉で相手のことを書く。あの時自分がこう言ったら君は少し顔を赤らめてそれ私も好きなんだって言ってくれたとか。しかしその相手の仕草は自分の主観で描かれたものに過ぎず、相手がその時実際に何を考えていたかなど当然わからない。ラブレターに書かれた思いの人の肖像は実際の相手から自分に都合のいいところだけを抜き出したものでしかないのだ。

 今、私は昔自分が書いたラブレターを読み返してそこに書かれていた思いの人の肖像に激しく萌えた。ああ!これこそが真の初恋相手だと思った。できるならこのラブレター相手と交際したかった。私は激しい悔いに胸を掻きむしられる思いがして泣きそうになった。読者はラブレターが手元にあるって事は結局渡さなかったんだねと安い同情をくれるかもしれない。しかし実際に相手にラブレターを渡し、そして長い交際を経て結婚したのだ。このラブレターは妻がゴミに捨てようとしていたのを私が救出したのだが、今それを読んでいるところなのだ。私はラブレターを読みながらラブレターと現実のあまりの食い違いに泣きそうになりながら過ごしてきた十数年の日々を思い返した。ああ!ラブレターに書かれた妻と同姓同名の昔の姿はなんと可愛らしかっただろう。出来るなら君と付き合いたかった。なのに実際に付き合ったアイツは……

「アンタ、何やってるのよ!さっさと下降りてきなさいよ!来ないとアンタのメシポチ子に全部あげるからね!」

 デブの妻がダミ声で私を呼んでいた。私は手紙をカバンにしまい下に降りた。

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