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文体の構成でわかるあなたの性格

 グッドアフタヌーン、ねぶた祭り。アフタヌーンと書いて何故かねぶた祭りの事を思い出しました。まるでシュールレアリズムの自動筆記みたいですね。ブルトン、アラゴン、ダリ、エルンスト。なんか調子に乗ってシュールレアリズムの芸術家を並べてみました。

 まぁ、こんなどうでもいい前置きはこの辺にしてさっさと本題に入りましょう。今回の記事はズバリ文体から読み取れる人の性格についてです。人は文章を書く際自分の書きたい内容、相手に伝えたい内容、表現したい内容を書くためにどうすればそれを効果的に伝わるかを考えて書くわけですが、当然ながらその文章の文体は人それぞれなわけです。時には文章の書き方みたいな本からすれば酷く間違った文体でもそれが最も効果的ならば人はそれに従ってしまうのです。それはやっぱり人の個性からきているのだと思います。文体とは主語述語を並べたものですが、当然ながらその言葉自体は殆どが既成のものであります。その文体をオリジナルにしているのは文体を書く人の性格であります。人は文章で相手にどう内容を伝えるかを考える際、相手を自分に当てはめてから文体を作成するのではないでしょうか。勿論先程挙げたような文章のレクチャー本を真似して書く場合もあるでしょう。しかしその場合でもこれではあまりにも機械的すぎる。まるで下手なAIで作成したように読める表現があると思われたらその部分はやっぱり自分にとって最も良いと思われる言葉に直してしまうのではないでしょうか。

 文章というのは意外に書き手の思いとかが反映されるので、どっかから借りてきた文章はいくらそれが名文であろうが人の心を打つ事はできません。逆にどんな悪文でもあなたの思いが充満に込められていたら人はあなたの文章に心打たれ時に涙さえ流すでしょう。その文章の根本である文体こそ書き手の性格が最も表されているものなのです。


 先日私は勤めている会社の同僚の男性が書いたnoteの記事を読みました。その人は改行なしの文体で文章を書いていたのです。内容も漢字や熟語だらけでなんだかわからず読んでいて酷く息苦かったです。それを読んで私はやっぱりこの人はコミュ症だと改めて認識したのです。改行しない。読めない漢字ばかりや意味のわからない熟語を使った文章などまともに人とコミュニケーションをとっていたら書けるものではありません。だから私は翌日会社で彼に会った時こう諭してやったのです。

「あなた昨日のnoteの記事読んだわよ。あなたまんまコミュ症ね。性格はともかく文体ぐらいまともに書けないの?もっと行を開けてわけのわからない漢字とか熟語減らさないと誰も読まないよ」

 彼は私の言葉を聞いてショックだったみたいでその翌日からずっと会社を休んでいますが、noteの記事はそれからも続けていて、私のアドバイスに従ってちゃんと行を開けるようになったし、熟語も無くして最低限の漢字しか使わないちゃんとした文体の文章を書けるようになりました。内容も心に迫るものがあって彼はその記事の中でとある先輩女子社員から受けた酷いいぢめについて書き続けていました。なんでもそのいぢめ女は彼を日々コミュ症だと陰口を叩いていて、しかも先日その彼に面と向かってコミュ症だと言い放ったそうです。全く酷い女。一体どんなブスなんだろう。

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