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雪国慕情 〜雪降る街に芽生えた天かす生姜醤油全部入りうどんの絆

「オラ!酒出さんかい!酒を三回出すんだよ!」

「お客さん、勘違いしないでください。ここは居酒屋じゃなくてうどん屋です」

 とある雪国の街のうどん屋で先程からカウンターに座っている労働者風の男がカウンターの向こうの店員らしき女に酒をせびっていた。しかしうどん屋の女は顔として男の要求を跳ねつけた。それでも男はしつこく女に酒をせびる。

「アホかお前!こんなクソ寒い夜にうどんなんかで体が温まるかい!さっさと酒出せや!置いてんだろ?」

「ウチはただのうどん屋ですよ。お酒なんか置いてあるはずないじゃないですか!」

「ああ!そうかい!会社の総会そうかい!チッ、とんだ寄り道しちまったぜ!あばよ!水一杯に金なんか払わねえからな!」

 男は啖呵を切ると力任せに戸を閉めて店を出た。そして男は腹立ち紛れにうどん屋の入り口の立ててある雪の積もった看板を思いっきり蹴倒した。倒れた看板には『手打ちうどん つくし』とあった。


 男が出て行った後、誰もいない店内で女は肩を落とした。また今日も誰もうどんを食べに来なかった。この街にうどん屋を開店してから半年経つ。だが店は常に閑古鳥でもう限界まで来ていた。女は割烹着をたくしあげてその北国育ちの白肌を濡らす涙を拭いた。だが涙は次から次へと溢れてくる。女は耐えきれず叫んだ。

「ああ!なんでみんな私のうどんを食べないの?こんなに一生懸命作っているのに!」

 その時戸の開く音がした。と同時に外から冷たい風と共に雪が舞い込んできた。女はハッとして慌てて割烹着で涙を拭いた。吹き荒ぶ雪と共に現れた客はグレイのつばの拾い防止に同じくグレイのマントのようなものを羽織った男で、どこかムーミンに出てくるスナフキンに似ている、と思っていたら男がいきなりの自己紹介でおんなじ事を言い出した。

「俺はうどんを求めて全国を彷徨っている風来坊だ。皆俺をスナフキンみたいだっていうが、俺はスナフキンならぬうどんスキンさ。まぁ、略してうどんスキと呼んでくれていいぜ」

 女はこの風来坊を自称している男がドヤ顔で言い放った愛称らしきものの微妙な語感の悪さと今日の夜のようなあまりの寒さに乾いた笑いしか浮かべられなかった。男はその女に向かってドヤ顔のまま喋りはじめた。

「たまたま雪の中この通りを歩いていたらうどんの泣き声が聞こえてきたんだ。俺はうどんが泣いているのを放っていける男じゃない。それで泣き声の出どころを探していたらここに辿り着いたってわけさ」

 女は自分の泣き声が外まで漏れていたと思って恥ずかしくなった。それと同時に男がなんか怖くなった。この男は私が泣いているのを聞いて変な気をおこしたんじゃないだろうな。人の弱みにつけ込んで私を自分が何度も美味しく味わうために私を一晩中漬けておく気じゃないだろうな。今までもこんなふうに甘い誘いをかけてきた男は沢山いる。だけどうどん屋のプライドにかけてそんな誘惑をハネつけてきた。バカにしないでそんな見え透いた誘いには乗らないわ。女は眉間に皺を寄せて男を睨みつけた。しかし男はそれでも喋り続ける。

「それで店の前に来たら外の看板が倒れて雪に埋もれているじゃないか。それを見た時俺はゾッとしたぜ。とりあえず立て直してはやったが、だけどな……」

 とここで男はいきなり話を切って店内を見回した。男は一通り店内を見まわしてからポツリとこう言った。

「景気がいいとはとても言えなそうだな……つくしんぼうなんかとても生えそうにないぜ」

 女は男の無礼極まる発言に心底腹が立った。この男もさっきの男のようにただ嫌味を言いにきたに違いない。いつもの彼女だったらぐっとこらえて注文を聞いただろう。しかし一向に来ない客。先ほどの労働者の悪態。そして嫌味を言いにだけ店に入ったきたこのうどんスキンなる珍妙なニックネームを名乗る男のせいで彼女の忍耐は完全に限度を超えてしまった。彼女は手元の付近を叩きつけて男を追い出そうと突進していった。しかしその時男が渋みのある声でうどんを注文してきたので驚いて立ち止まった。

「うどん一杯……くれないか?」

 久しぶりにうどんの注文であった。うどんの注文を聞いた途端女の頭の中から先ほど男に対して抱いた疑惑や憎悪はあっという間に消し飛んでしまった。彼女は慌てて乱れ切った割烹着を整えうどんスキンなるニックネームを名乗る男に「何うどんにいたしましょうか」と震える手でペンとメモ用紙を持って尋ねた。男は渋く「かけうどんでいいぜ」と答えた。どうやら本当にうどんを食べに来たらしい。もしかしたらさっきの男の話は私の気を引くためでなく本当の話かもしれない。あのうどんスキンというたわけたニックネームも親父ギャグじゃなくて本当にそう名乗っているのかもしれない。女は男に向かって快活に今すぐお作りいたしますと言ってすぐに厨房に駆け込んだ。

 厨房に入ると女はすぐにうどんを茹で始めた。久しぶりに客のためにあげるうどんであった。彼女は店を構えて初めて客にうどんを出した時を思い出して妙に緊張した。客はうどんスキンと名乗っているぐらいなんだからよほどうどんを食べ歩いているに違いない。恐らく本場の讃岐にも何度も足を運んでいるだろう。そんな人間がこの雪深い街の外れにある廃業寸前の店のうどんを食べてどう思うのか。

 女はうどんが出来るとすぐさまカウンターに座っている男の元に持って行った。男はすでに割り箸を持って待っていた。女は「お待たせいたしました」と言って男の前にゆっくりとうどんを置いた。男は目の前のうどんを愛しむように眺めて割り箸を割った。そして静かにうどんを啜り始めた。

 しかし男は一口啜ったところで突然うどんから箸を離した。そして女を見てこう言った。

「うどんが泣いている理由がわかったぜ」

「泣いている?」

 と女は思わず聞き返す。確かさっきもそんな事を言っていたけど、それは自分が泣いていたからではないのかと彼女は訝しんで男をみた。

「そううどんが泣いているのさ。見なよ、このうどん、こんな寒い雪の中真っ裸で外に出されてるんだぜ。それじゃ寒くて泣いちまうぜ。客だってこんな真っ裸のうどん食べて体も心も温まるわけねえ。こんなんじゃつくしんぼうだって育たないぜ」

「だけどこれはただのかけうどんなんですよ。お客さんだってかけうどんって注文したじゃないですか」

 女は男の言葉に納得がいかず思わず食ってかかってしまった。自分がうどんを真っ裸で外に放り出すわけがない。この男は自分が今までどれほどうどんを愛しみまるで我が子のようにお腹を痛めて産んでいったかわかっていないのだ。それを真っ裸なんて下品はたとえで貶し挙げ句の果てに店の屋号に下手な当て擦りをして許せないと思っていたら、男が突然着ていたコートのポケットから何かがパンパンに入ったビニール袋を取り出した。それをカウンターの上に置くと、男は女に向かって生姜と醤油はあるかいと聞いてきた。「生姜は出来るだけ沢山持ってきて欲しいのさ」

 女は男の言う通り瓶詰めの生姜をそのまま持ってきた。男は彼女の持ってきた生姜の瓶を見るとにっこりと笑い、突然パンパンのビニール袋を開けてそのまま中身をうどんにぶちまけた。そして先程女に持って来させた瓶から生姜を匙で山盛りに掬ってそのままうどんに落とした。最後に男はカウンターにあった醤油を五回まわしでうどんに垂れ流した。ああ!女が丹精込めて作ったうどんはあっという間にゴミの山と化してしまった。その天かすらしきものはまるで生ゴミのようにつゆとうどんを汚して、生姜は食べずにそのまま捨てたご飯のように天かすの生ゴミに乗っかっていた。そして醤油はまるで料理の残りの油であった。ああ!近所迷惑も甚だしい!ゴミ捨て場の回覧場に赤字で注意書きしておかなくちゃいけない事態だ!

 女は頭にきてこの迷惑客を追い出してやろうと思った。やっぱりさっき私が思ったことは間違いではなかった。この男は思った通りの迷惑客。きっとコイツは迷惑系YouTuberの一人に違いない!彼女は怒りに駆られ男に向かって叫んだ。

「人が精魂込めて作ったうどんをこんな生ゴミみたいにして!お代はいいから今すぐ出て行ってください!出て行け!消えろ!」

 だが男は全く動じず怒りのあまり顔を真っ赤にしている女に向かって言った。

「アンタこれがゴミの山に見えるかい?俺にはうどんに着させる白いおべべのようにに見えるけどね」

 そう言うなり男は天かすと生姜と醤油が全部入ったゴミうどんを啜り出した。うどんに絡みつく天かすはゴミの回収車にへばりつく生ゴミよりも遥かにグロテスクだった。男はそのグロテスクの極みの代物をうまそうに食べる。女は男があまりにもうどんをうまそうに食べるのを見て思わず唾を飲んだ。もしかしたら本当に上手いのか。男はあっという間にうどんを平らげて女に言った。

「やっぱりうどんには天かす生姜醤油だよな。これがなきゃ心も体も温まらない。アンタも天かす生姜醤油全部入りうどん食べてみるかい?天かすなら後もう一袋あるぜ」

「あんな生ゴミみたいな食べるだなんて……」

 女は先程の天かすの山を思い浮かべてそう呟いた。だが彼女さそう言ったものの男のあのうまそうに食べている顔を思い浮かべ、もしかしたら男の言う通り本当に美味いのかもしれぬとも思い始めた。男は女の言葉を聞いてフッと笑い静かな声で言った。

「フッ、やっぱりアンタには天かすが生ゴミにしか見えないかい?俺には雪山のように見えるし、綿菓子のようにも見えるし、雲のように見えるし、そして今は白いおべべのように見える。うどんを食う場所によっていろんなものに見えてくるんだ。天かすは人の心の有り様を見せる鏡なのさ。アンタが天かすを生ゴミにしか見えないのだとしたらそれはアンタの心が生ゴミで覆い尽くされているんだ」

「なんですってえ!私が生ゴミですって!言わせておけばいけしゃあしゃあとまぁペラペラ喋り出して!いいわよ!今すぐ天かす出しなさいよ!私が食べてちゃんとうまいかクソまずいか判定してやるわ!」

 女はそうタンカを切るなり肩を怒らせて厨房に飛び込んだ。あんな生ゴミみたいなうどんが美味いはずがない。うどん職人のこの私が食べてハッキリとマズい事を証明してやる!そして天かすの生ゴミうどんをあのうどんスキンなる小っ恥ずかしすぎるニックネームを自称しているバカ男に思いっきり投げつけてやる!女はうどんを作り終えると早速カウンターに戻り男に向かって食べてやるから天かす出せと怒鳴りつけた。

「あんまりプンプンするんじゃねえよ。せっかくの美人が台無しだぜ。ほら天かすだ。こぼさねえように袋の口を持って……」

 しかし女は男が言い終える前に天かすのビニール袋をふんだくりどんぶりに思いっきりうどんにぶちまけた。女はそれから男がやったように生姜を大さじ一杯山盛りでいれ、最後に醤油を五回まわしで注いだ。それが全部終わると女は男を睨みつけて凄んだ。

「さて、お望み通りあなたの天かす生姜醤油全部入り生ゴミうどんができたわよ。これがどんだけまずいかあなたの前で私が食べて確かめてやるわ!」

 そして女は箸を持つと喉元にあふれメンチのように出てくる吐き気を抑えて無理矢理うどんをかっこんだ。

 食べた瞬間、彼女が感じたのは気持ち悪さではなく暖かさだった。うどんにへばりついた生ゴミと思っていた天かすは実はうどんが着ていた暖かい白いおべべであった。この懐かしい感じはなんなのだろう。両親に連れられてうどん屋で初めてうどんを食べたあの日。それからうどん職人になろうと店で修行をしていた日々。そんな懐かしい感情がこの天かすから染み込んでくる。天かすはまるで雪のように白いおべべでうどんを包み込み、生姜はかまくらの中の鍋のように心を温める。そして醤油は人の生かせる暖かい血潮だ。ああ!私はなんてバカだったのだろうか。うどん屋がうまくいかないからって心まで腐らせてうどんを育児放棄していたのだ。こんな冷たい母に育てられたうどんなんか誰も食べるはずがないではないか。女はうどんを啜りながら号泣した。うどんに対する心からの謝罪。ああ!彼女は今うどんを啜り終えた。

「ごめんなさい!生ゴミだったのは天かす生姜醤油全部入りうどんじゃなくてこの私だった!ああ!私はすっかりうどん職人の本分を忘れてしまっていた。うどんを子供のように愛情で暖めるという大事な事をすっかり忘れていた。こんな育児放棄のうどんなんか誰も食べるはずがない。ありがとうございます!私に大事な事を気づかせてくれて!」

「いいってことよ。それよりうどんもう一杯くれないか」


 それから男は再び女の作ったうどんに天かすをかけて食べた。そして食べ終わるとじゃあと言って財布を出した。

「あ、あの!今日はありがとうございます!私あなたのおかげでこれからもお店をやっていく決心ができました。またいつかいらっしゃったらその時にはうどんスキンさんの満足のいくうどんを作って見せます」

「言われなくったってまた来るぜ。その時までにはちゃんと天かす生姜醤油全部入りうどんをメニューに入れとくんだぜ。それがなかったら心が冷えちまうからな」

 男の言葉を聞いて女の表情が明るくなった。

「えっ、天かす生姜醤油全部入りうどんをメニューに加えてよろしいんですか?あれはあなたのメニューじゃないですか?」

「いいってことよ。俺は元々最高の天かす生姜醤油全部入りうどんを求めて日本津々浦々を廻っているんだ。アンタが最高の天かす生姜醤油全部入りうどんを作ってくれたらいうこたあねえ」

 女はこれを聞いて急に男と別れるのが惜しくなった。窓にはいつからか大粒の雪らしきものが当たっている音がする。

「あれ?今日は雪は少ししか降らないって予報があったのに」

 女は近くの窓を開けて外を見た。夜の街に大粒の雪が舞っている。今夜はきっと大雪だ。女は男に言った。

「ねえうどんスキンさん。今夜は大雪になるわ。多分電車もタクシーも止まってしまうわ。だから朝までお店に泊まった方がいいわ」

 男は女の熱い吐息から発せられたこの言葉によろめきかけたが、いかんと頭を振って「さらばだぜ」と言って一万円札を投げ出して見せを飛び出した。女はすぐさま男を追って店を出たが雪の降り積もる街に男の姿はもう見えない。彼女は諦めて店に戻り片付けを始めた。


 翌日朝起きて彼女は自分で作った天かす生姜醤油全部入りうどんを食べていた。食べている最中に何度も男の事を思い出した。あのうどんスキンという男は何者なのだろうか。最高の天かす生姜醤油全部入りうどんを求めて全国を放浪している謎の風来坊。うどんスキンにまた会えたら今度は彼のために最高の天かす生姜醤油全部入りうどんを作ろう。そして彼に愛を告白して天かす生姜醤油全部入りうどんで一生ここに閉じ込めよう。二度と他のうどんを食べさせないように。

 女がこんな妄想に耽っていると外からキザったらしい声で誰かが呼んでいるような気がした。まさかうどんスキンさん?彼女は慌てて食べかけのどんぶりを持ったまま店から出た。店から斜めのあたりにいつの間にか銅像みたいなものが出来ていた。彼女は銅像がうどんスキンにそっくりなのを見てハッとした。一体いつ誰がこんな銅像を。まさか昔からここにあったものなのか。銅像は天かすらしきものを持っている。彼女はそれに気づいてハッとした。この銅像はおそらく昔からあったものだろう。しかし何故自分はそれに気づかなかったのか。おそらく自分の心が荒んでいたせいだ。彼女はここでハッとして胸を押さえた。きっとこの銅像はうどんの神様を祀ったもので昨日現れたのはうどんの神様自身だったのだ。彼女は銅像の前にしゃがんで泣いた。神様ありがとう!私を救ってくれてありがとう!そうしてしばらく泣きまくっていたが、ふと銅像から声がしたので泣くのをやめて顔をあげた。

「泣いているところすまねえがお湯かなんかかけてくれないか。俺昨日あんなの店出たときここで凍っちまったんだ」

 女はやっぱり神様じゃなくてただの人間だったのかといささかの幻滅感を覚えながらうどんスキンに向かって思いっきりうどんつゆをぶっかけた。するとうどんスキンは「アチィ!」と叫んで雪の中を転がり廻った。

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