交響曲第二番「フォルテシモ」
第一楽章
私は度々未来のクラシック界を背負って立つであろうカリスマ指揮者大振拓人を記事で取り上げているが、読者の中には記事を読んで、どうしてこんな指揮者がいつまでも人気があるのだと疑問を感じる方もいるかもしれない。実際に彼について人は、こんな大舞台で失敗ばかりしている奴がまだカリスマ指揮者として持て囃されているのはおかしいとか。まともに成功したコンサートはあるのかとか。そもそもこの人まともに指揮できるの?とか疑問とも中傷とも取れる事を言い、疑り深い人はこの大振拓人とかいう指揮者は某広告代理店の仕込みだろうとかいうことまで口にする。
だがこういう事を口にする方たちは皆大振拓人という若手指揮者随一のカリスマをよく、いや名前程度しか知らない人たちだ。本当に大振を知っている人間ならそんな事は絶対に口にはしない。何故な大振拓人は事実素晴らしい指揮者であり、幾つもの感動的なコンサートをやり遂げているからだ。とこう書くと読者はこう指摘してくるかもしれない。では何故お前はその感動的なコンサートの事を記事に書かず、大振が惨めに大失敗したことばかり書くのだと。お前は実は大振をバカにしているのではあるまいかだとも言うかもしれない。この指摘に関しては私の答えはこうだ。私が大振拓人の成功譚を書かないのは、そんなことばかり書いても彼の魅力は全く伝わらないからだ。偉大なるカリスマ指揮者。まるで神の如くフォルテシモに指揮しまくる大振拓人。そんな事を書いても人は却って大振を敬して遠ざけるだけだ。だから私はこの記事であえて一見完璧超人そのものに見える大振拓人のダメなところも晒して、彼も我々と同じ人間なんだ、ドジっ子なところもある可愛い人間なんだと言う事をアピールして大振拓人という人間に興味を持って貰おうとしているのだ。
あともう一つ。大振拓人が大舞台で失敗ばかりしているのに何故相変わらず毎回チケットが即完売するほど人気があるのかについても書いておきたい。大振のチケットを買うのは大体大振ファンである。時たまファンでないものたちもチケットを買うことはあるが、その人たちも大振のフォルテシモの叫びを聞いた途端必ずファンになってしまうのだ。ここで男性アイドルとファンの関係を例にあげてみよう。基本的に男性アイドルファンというのはアイドルの行動を全て許すものである。ハードコアなファンは男性アイドルの不祥事さえ許す。昔の話だが、某人気男性アイドルグループがテレビの生放送の歌番組でいつものように口パクでパフォーマンスしようとした時、機材の故障で肝心の歌が出ず、仕方なしに自らド下手くそな歌を歌って視聴者に失笑を買った事件があった。だがそれでそのアイドルグループの人気が落ちる事はなく、それどころか今なおトップアイドルグループとしての人気を保ち続けているのである。大振とファンの関係もそれと全く一緒である。だからベートーヴェンの第九の合唱でオホーツクとフォルテシモの大失敗をやらかしても、ラフマニノフのピアノ協奏曲で演奏放棄して共演ピアニストとフォルテシモとロマンティックの罵倒合戦をやらかしても、ワーグナーのトリスタンとイゾルデでトリスタン役と全裸の絡み合いをやらかしても、大振の人気は全く落ちないのである。それどころかトリスタンの件でむしろ逆に人気が上がってしまったのだ。まさかあの大振がバイセクシャルだったとは。しかもあんなガチムチ男がタイプだったなんて。昔からそう思ってBLのネタにしていたが、やっぱりそうだったとファンは胸のハートをズッキュンさせてしまったのだ。
前置きはこのへんにしてそろそろ本題に入る事にしよう。今回私が記事に書くのは前回のトリスタンとイゾルデの舞台の大失敗の後に起こった出来事だ。
大振はあのトリスタンとイゾルデの舞台での大失恋事件から未だ立ち直れずにいた。暗闇の中で愛の死を演奏している最中に衝動に耐えきれなくなって思わず指揮棒を放り投げて全裸になり歌っているイリーナに飛び込んだら、何故か同じく全裸になっていたホルストの方に飛び込んでしまい、勘違いしたイリーナに思いっきり罵倒されたあのトリスタンの舞台での事件である。ああ!何故あんなブタをイリーナだと思い込んだのか。イリーナは舞台が終わると大振に挨拶もせずにさっさと当日便でヨーロッパに帰ってしまった。その夜大振はイリーナが空港に行ったと聞くとすぐさまタクシーに乗ってイリーナを追った。そして深夜の滑走路でこれも同じようにイリーナを追ってきたホルストと今度は服を着たまま殴り合うつもりで体が滑って舞台の時と同じようにまた激しく絡み合ってしまったのだ。この一連のトリスタン事件は当然関係各社によって隠蔽されまくったが、一連の事件はその後の大振拓人の演奏活動に暗い影を落とした。
大振はトリスタン事件以降も先に書いた理由で人気が落ちるどころか上がってしまい、相変わらずコンサートを満杯にしていたが、ただ彼の指揮は以前とまるで変わってしまった。演奏スタイルは苦悩の色彩を強め、パフォーマンスも自分の苦悩をさらけ出すようなものになっていった。あのフォルテシモも今までのようなロメオやハムレット的な若々しい情熱の叫びではなく、ラスコリニコフ的な陰鬱で人でも殺しかねないようなものに変わってしまった。馬鹿に鋏は持たせるなという言葉があるが、今の大振に確実に刃物は持たせてはいけなかった。彼に刃物をもたせたら即フォルテシモに切腹してしまったであろう。勿論コンサートはすべて大成功で評論家からも絶賛され、中には以前のコンサートよりはるかに素晴らしい。ひょっとしてトリスタンの舞台の経験から彼は何かを学んだのではないかと意味深な事を言っている評さえあった。しかしファンはコンサートをやる度に憔悴してゆく大振が気が気でならなかった。ああ!拓人何があったの?ホルストさんに振られて落ち込んでいるの?私女だからホルストさんの代わりにはなれないけど、よかったら私をあなたのはけ口にしてもいいのよ。ああ!拓人あなたを慰められるのは私しかいない。ねえ振り向いて!ホルストさんなんかよりずっとあなたを愛しているんだから私の胸に飛び込んで来て!ファンは憔悴した姿で指揮をする大振拓人を見る度に心の中でこう叫び、彼を励ますためにフォルテシモの絶叫をしたが、しかし彼女立ちの祈りは指揮台で絶望の底に沈んでいる大振には全く届かなかった。
大振の演奏する曲は甚だしく重くなり、ベートーヴェンの運命も希望さえ見えぬ程絶望的になった。チャイコフスキーの第四も第五も絶望一色でもうこれで悲愴なんかやったら確実に彼は自殺しているだろうと思わせる有様だった。マーラーも同様に鬱な曲がさらに鬱になりあの第五の有名なアダージェットなど官能よりもストレートにあの世への憧れを奏でるようになってしまった。聴衆は大振の演奏するアダージェットを聴きながら大振はヴィスコンティの映画の美少年じゃなくてガチムチ男のホルストの筋骨隆々とした背中を見ながらベニスの浜辺で死ぬシーンさえ想像した。
それは彼が定期的にやっている子供向けのコンサートでも同じであった。大振は以前の記事で折にふれているように子供好きで度々親子限定のコンサートを演っていたが、その時でも唖然とするぐらい暗い演奏をした。ロッシーニのウィリアム・テルを演った時など、彼はとんでもないスローテンポでまるで騎馬ではなくて重戦車の移動のように地響きを立てるかのような演奏をして、それを聴いた子どもたちを恐怖に怯えさせた。また運動会でおなじみのオッフェンバックの天国と地獄を演奏した時など例のラスコリニコフ的な絶叫とともにとんでもない轟音で曲を鳴らし、子どもたちに運動会への恐怖を植え付けた。ラストの連続のフォルテシモと会場を揺るがす轟音は、教師の説教と、走っている自分たちを潰そうと後ろから転がってくるトゲトゲのついた石を想像させて子どもたちを絶叫させた。
そんな大振を見て皆いけないと思いながらもしかしたら大振は直に死ぬのではないかと思いはじめた。今見ているのは大振が死ぬ前に見せた最後の輝きなのではないか。ああ!自殺か天然死かはわからないが近いうちに大振拓人はこの世から消え去ってしまうかもしれない。それはありえないことではなかった。実際に評論家の一人は大振のシューベルトの未完成交響曲の演奏を聴いて私はこれが彼の白鳥の歌のような気がした。彼は演奏の最後に珍しくにこやかに我々に手を振った。まるで我々聴衆に対する最後の挨拶のようにと書いているぐらいだ。
関係者は当然この大振の憔悴ぶりを心配していた。クラシック業界はせっかくのドル箱指揮者をこのまま死なせてなるものかと大振を励ました。しかしその励ましの言葉は大振に届かなかった。大振がチェコ人のイリーナに惚れていたのを知っていた関係者は彼を池袋の東欧美女を揃えている金髪ガールズバーに誘ったが激怒されただけだった。彼らはではやはり噂通りホルストのようなガチムチの筋肉男がいいのかと思って六本木の外国人専用のゲイバーにも誘ったが、大振はそれを聞くなり手に持っていた指揮棒をへし折り、それを関係者の鼻に突っ込もうとした。もう打つ手はなかった。大振は見る度に憔悴しもう死ぬ寸前のような状態になっていた。
そんなある日のことである。この日大振拓人は昼間から事務所でソファーに沈みながらプロモータからコンサートの打診を受けていた。しかし大振はハイドンの交響曲『驚愕』『時計』『ロンドン』の三連発というあまりにロマンティックに欠けたつまらないプログラムを見てガックリした。彼は覇気のない表情でプロモーターに向かって今の自分にはこれらのロマンティックに欠けた曲でフォルテシモすることは出来ない。申し訳ないが他のボンクラ指揮者に回してくれと断った。だがプロモーターはあなたじゃなければ客が入んないからお願いだとしつこく彼に食い下がってきた。
「じゃあ合間にドヴォルザークとか混ぜればいいですかぁ?それだったら対応できますよ。うんと言ってくださいよぉ大振さぁ〜ん」
大振はドヴォルザークと聞いて身の毛のよだつものを感じた。ああ!あのチェコから薄っぺらなボストンバッグにドヴォルザークの農民の魂を詰め込んで花の都大東京にきた女。もはや死んだはずの恋が何故亡霊のように未だにこうして我が身に取り憑いてくるのか。ドヴォルザーク!ドヴォルザーク!かつて愛した作曲家も今ではその名を聞くだけで呪わしい。大振はソファーから立ち上がるとプロモーターに向かって「出て行け!」と一喝した。プロモーターはその一喝に驚いて慌てて出ていった。
一人事務所に取り残された大振はイリーナの事を思い浮かべた。ああ!なんと呪わしい女。終わったはずの恋がまだこうして我が心を未だに燻っているとは。イリーナよ、君はあの時なぜ僕の言い分も聞かずチェコに飛び立ったのか。あの時僕は暗闇でホルストを君だと誤解してしまったんだと正直に弁明した。なのに君はあなたはなんで大事な舞台で全裸になって舞台をぶち壊したのよ!いきなり指揮を放り出して全裸になるマエストロが世界のどこにいるのよ!と叫んで耳を塞いでしまった。イリーナよ、全裸で君の元に向かったのは君を愛していたからだ。その愛の衝動が僕を全裸に駆り立てたんだ。それが君にはわからないのか!ああ!だがそれもすべて終わった。我が唯一愛した人よ、我が宿命の女よ。お前を忘れるために俺はどうすれば良いのだ。こうしてお前を想っている間も闇が徐々に俺を侵食しはじめている。俺の中が闇ですべて覆われたらもう死ぬしか道はない。イリーナよ、我が愛しい人よ。いくら忘れようとしても忘れられぬ。ああ!望むならもう一度逢いたい!
大振は突然事務所の客間を飛び出してピアノ室へと向かった。そして部屋に入ると彼はピアノを開けて頭に浮かんだ調べを弾いた。ああ!なんて呪わしい曲なのか。飛行機でイリーナに去られてから無心で作った曲。彼女を取り戻そうとして作った曲。だがよくもこんな曲を書けたものだ。こんな呪わしい曲はもうやめてしまえ。ピアノを閉じて、我が人生も閉じるだけだ。
その時誰かがピアノの鍵盤にうつ伏せになっている大振に声をかけた。大振はハッとして顔を上げてボサボサの髪から声のした方をみたが、なんとそこには先程追い出したあのプロモーターがいたのだ。彼はしばらく大振を見つめてから彼に尋ねてきた。
「あの先ほど弾いていた、懐メロ……いやフォルテシモなほどにロマンティック香りのする曲はなんという曲ですか?」
大振はプロモーターが曲を聴いていたことに動揺して思わずいつから部屋にいたんだ、出て行けと言ったじゃないか!と怒鳴りつけた。しかしプロモーターは大振りの一喝に対して冷静に、事務所を出ようとしたら大振の絶叫が聞こえて来たので足を止め、戻るべきかと考えていたら、突然懐かしい、昔ラジオでよく流れていたような曲が流れていたのでここに来た。それはまるでニッポン放送でかかっていたような歌謡……いやまるでロマン派の巨匠が書いたみたいな見事な芸術作品だったと言い。そして目をぎょろつかせて「で、大振さん。この素晴らしい芸術作品の作曲家は誰ですか?」と尋ねてきた。だが大振は質問に答えず髪を垂らして項垂れた姿勢のまま再びプロモーターを怒鳴りつけた。
「答えぬ!貴様出て行けというのがわからんのか!」
だがプロモーターは怯むどころか逆に大振に詰めよって目を剥いて彼に再度尋ねた。
「ひょっとしてこの曲書いたのはあなたじゃないですか?」
大振はプロモーターのこの言葉を聞くなり椅子から立ち上がって両手で男の襟を掴んで締め上げた。
「俺の曲だとしたらどうだって言うんだ!こんな曲などいくら書いたって現実は変えられないんだ!全くバカバカしい限りだ!情熱に浮かされて交響曲まで捧げようとしたのに、情熱の全ては燃え滓となり、今こうして消えたはずの愚かな情熱への未練のためにこうしてまた交響曲を書くなんて!虚しい!虚しい!こんなチャイコフスキーの悲愴を遥かに超えるアダージョを書いたところで失ったものは何も戻ってこないんだ!」
プロモーターは大振から自分が発した質問の答えを聞くと目の色が変わった。この男はクラシックのプロモートをしているくせに大してクラシックを知らない人間であるが、彼は業界人の勘で曲のさわりを聴いだけでこの曲が絶対に馬鹿売れすると確信した。この甘い、甘すぎてクラシックを飛び越えて歌謡……いや音楽の垣根を超えてしまった名曲が売れないわけがない。このロマン派の誇大妄想狂そのままに生きている男がこんなキャッチーな……いやどんなバカでも一聴すればすぐ偉大な芸術作品だとわかる曲を書いてしまうとは。プロモーターは大振に向かってわざとらしく驚いて彼の曲をまるでラフマニノフみたいな芸術作品だと褒めちぎった。すると大振は眉間に皺を寄せて不満げにラフマニノフ?て聞き返した。するとプロモーターはああ!間違えたとこれまた頭を叩いて「いや、ラフマニノフなんかじゃない。マーラーですよ!あなたも知っているように彼は生前作曲家として大して評価されず、もっぱら指揮者として知られていました。あなたはあの天才芸術家そのものです。まさかグスタフ・マーラーの生まれ変わりがここにいたとは!これは奇跡だ!」と過褒にも程があることを言って徹底的に大振を褒め尽くした。だが大振は褒め言葉に喜ぶどころか撫然とした顔でプロモーターの首に指揮棒を当てた。
「バカものが!そんな見え透いたお世辞はやめろ!確かに俺の曲は今お前があげたどの作曲家よりも遥かに優れている。だがそんなクラシックの最高傑作を書いた所であの甘美な日々は二度と戻ってこないのだ!」
だがプロモーターは自らの首に突きつけられた指揮棒を握り激怒する大振に向かって優しく諭した。
「だけどその戻ってこない甘美な思い出を芸術に昇華して永遠に残すのがあなた方芸術家の役目ではないですか。かのベートーヴェンだって自らの辛き恋の思い出を芸術として昇華して永遠に、我々の生きているこの時代にまで残してくれたのではないですか?」
このプロモーターの言葉を聞いた途端大振は指揮棒を落とし膝から崩れ落ちて泣き叫んだ。ああ!確かにそうなのだ。芸術とは永遠に生きるものなのだ。俺はせっかくクラシックの史上最高傑作を書き上げたのに一時の感情で全て捨ててしまうところであった。ああ!なんとばかげたことを考えていたのだ。たかが失恋如きでクラシック最高の交響曲どころかクラシック最大の天才のこの命まで捨てようとしていたとは。そうなのだ。この失恋は神が挫折を知らない俺に与えた試練なのだ。大振は涙で顔どころかいろんなところを濡らしながらまるで牧師にでも縋るようにプロモーターに縋りついて問うた。
「俺は一体何をすればいいのだ!」
プロモーターは突然涙まみれの顔で迫ってきた大振を気持ち悪がって逃げようとしたが、しかしここで逃げたら逆にこの金づるから逃げられてしまうと自分を抑えてイヤイヤ大振の肩に手を置いて即席の牧師となって告げた。
「今度やるコンサートはハイドンの曲を減らして、代わりにあなたの傑作を演奏する時間を差し上げましょう。あなたはそこで自らの大傑作を演奏すれば良いのです」
牧師の如きプロモーターがこう言うと、大振もすっかり従順な信者となって彼の前に跪き目を気持ち悪いぐらいキラキラとさせながら尋ねた。
「ですがプロモーター様、私の曲はフルオーケストラでなければ演奏出来ないのです。私の交響曲はフォルテシモほどにロマンティックな嵐のようなスケールの大きい曲で、ハイドンのちっこくてビンボ臭くてつまらない交響曲と本来一緒に演奏出来るものではないのです。それでも、それでも私の曲をコンサートで演奏させてもらえるのでしょうか?」
このあり得ないほど従順な仔羊のようになった大振の問いにプロモーターは慈悲深く微笑んで答えた。
「ご安心なさい。私はあなたの素晴らしき芸術作品のためならどんな犠牲も厭いません」
このプロモーター牧師の慈悲深いお告げを聞いて我らが大振拓人は涙まみれの手で牧師の手を握り感謝の言葉を述べた。ああ!あなたのおかげで命が救われた!あなたは神にも等しい人!大振は今度のコンサートではあなたに我が交響曲を捧げますと誓ったが、しかしそれからいくらもしないうちに大振は我に返ってなんでこの大振拓人が貴様ごときに跪いて手を握っているのだと叫んで指揮棒でプロモーターを叩きのめしてしまった。
「貴様如きが俺に説教を垂れるとは無礼千万なるぞ!許してつかわすから今すぐに俺の偉大なる交響曲にふさわしい会場をセッティングしろ!」
ここで少し大振拓人が『交響曲第二番:フォルテシモ』を書いた経緯を少し語ることにする。以前記事で少し触れたが大振はかつては作曲家志望であった。彼は音大に入ってから未来のベートーヴェンにならんとして交響曲や管弦楽曲を沢山、それこそ千曲以上も書きまくった。彼は自分が天才であると確信し自信満々で、現代音楽家として有名な、大振によるととんでもない凡才教授に、千曲の中から選りすぐりの傑作を見せまくったが、凡才教授は楽譜をひと目見て爆笑し、彼の肩を叩いて君自身のために作曲はもう止めたほうがいい.。君は指揮者としての才能は十分すぎるほどあるんだからそっちに精進しなさいと言ったのだった。大振はこの判定にショックを受けた。彼はこんな偉大なる俺の曲が笑われるなんて!彼は現代に深い絶望を懐き、二度と現代に生きている四十六億人のお前らみたいなクズのために曲なんか書いてやるもんかと書き上げた楽譜を全て燃やしそれから二度と作曲をすることはなかった。
しかしイリーナ・ボロソワと出会ったことで彼の中の眠れる獅子の如き作曲家魂が再び目覚めた。この天使のために俺の全てを残らず、絞りだすほど捧げたい。そんな想いが彼にペンを取らせた。イリーナよ、イリーナよ。作曲中に何度彼女の顔がちらついたことか。大振は楽譜に音符を書いていくうちにこれは交響曲にしなければ収まらないと思った。イリーナへを想うと楽想が次から次へと溢れてきてメロディとピアノを弾く指が止まらなくなったのだ。結局大振は合唱付きの二時間超にわたる大交響曲を書き上げてしまった。彼はこの交響曲を交響曲第一番と名づけた。大振はこの交響曲の楽譜をイリーナに捧げるつもりであった。溢れんばかりの愛を乗せて。
だがその願いは叶うことはなかった。あの不幸なトリスタン事件が大振の願いを断ち切ってしまったのだ。彼は事件の後ショックのあまり現実を認識出来ず、ただ毎日イリーナを求めて泣き叫んでいた。その思いは止まらずもはや現実と幻想の境目さえつかなくなっていた。その現実と幻想の狭間で彼は自分の元を去ったイリーナを呼び戻そうと再び交響曲を書き始めたのであった。彼はピアノに向かうと泣きながらメロディを弾き、メロディを弾きながら泣いた。そうして涙の果てに完成したのが、イリーナへの想いがダイヤモンドのレベルにまで凝縮された一時間超の涙の大傑作『交響曲第二番:フォルテシモ』なのだ。
第二楽章
さてそういうわけで会場はいつもの武道館に決まり、早速コンサートの発表会見が行われた。日本を代表するカリスマ指揮者大振拓人のコンサートに記者会見は欠かせない。記者会見から彼の指揮は始まっているのだ。会場に詰めかけたマスコミは記者会見席のバックボードに『二十一世紀のマーラーここに現る!、カリスマ指揮者大振拓人が交響曲『交響曲第二番:フォルテシモ』を提げて作曲家デビュー!』とデカデカと書かれているのを見て一斉にどよめいた。二十一世紀のマーラー?冗談のつもりか?大振拓人はイリーナ・ボロソワかホルスト・シュナイダーかわからないけどどっちかに振られたショックでとうとう頭がおかしくなったか。いくらカリスマ指揮者だからって作曲なんか簡単に出来るわけがない。作曲家を舐めるな。マスコミ連中は仲間同士でこんな事を言い合った。
そこに大振拓人が颯爽と登場した。マスコミ連中は大振が最近までの憔悴ぶりが嘘だったかのような普段通りの自信に満ち溢れた足取りで歩いているのを見て驚いた。そんなマスコミ連中が見ている前で大振は会見席にふんぞり返って足を組んで座っていた。マスコミは久しぶりに見た大振の尊大な態度に相変わらず生意気なガキめと発奮し、質疑応答が始まると我先に大振に質問を浴びせた。大振はそれらの質問に例の尊大な態度で答え、トリスタンの舞台のことやイリーナやホルストに関するゲスな質問には指揮棒を振り回しながらそんな戯けた質問など答えぬ、貴様は小学生から礼儀作法を学び直せ!と言い放った。そして半笑いで二十一世紀のマーラーとは大きく出ましたねと質問されると彼は憤然としてこう言い放った。
「何が大きくでただ。マーラーなど僕にとってあまりにも小さすぎて比較の対象にすらならない。僕はプロモーターがこの宣伝文句を僕に伝えた時、本気で怒って怒鳴りつけたものだ。僕とあの小男を一緒にするとはどういうことだ。せめてベートーヴェンにしろ、彼なら僕とまともに張り合えるとな。だが奴はマーラーのほうがクラシックを知らない一般人に受ける。だからこれでお願いしますとか無理矢理押し込んできたからしょうがなく聞き入れてやっただけだ!」
マスコミはこの大振のこのあまりフォルテシモな発言に彼は本気で頭がおかしくなったのかと思った。大振はそのマスコミたちに向かってさらにこう捲し立てた。
「ここで僕は皆さんに改めてこの大振拓人というクラシック界最大の天才が何故クラシックを指揮しているかについて語りたい。僕がクラシックを指揮しているのは別に作曲家に対する尊敬のためではない。むしろ逆だ。僕は彼らの曲を彼らが想像さえしなかった程高次元なものにするためにこうして指揮をしているのだ。その証拠に僕の指揮した楽曲は彼ら自身が書いたものより遥かにロマンティックでフォルテシモになっているではないか」
この連続のフォルテシモの極みな発言に現場のマスコミは勿論、中継されていたテレビやネットの視聴者も驚愕した。いろんなところでハイドンの驚愕よりさらに驚愕な、コンサート会場が軍隊で時計ごと破壊されそうなほどのフォルテシモな騒ぎが起こっていた。そんな騒ぎの中まだ会見は続いた。
大振はマスコミが交響曲でもフォルテシモですか、やっぱり大振さんにはフォルテシモは欠かせないですよねえという冗談めかした質問に「当たり前だ。それのどこがおかしい」と全く表情を変えずに答え、次にはじめての交響曲なのにどうして第二番なのですかという誰もが気になっている質問には眉間にシワを寄せて「実はこの交響曲を書く前に既に第一番交響曲を書き上げているのだ。だがその交響曲は永遠に発表されることはないだろう。あれはもう過去の思い出でしかないのだから」と暗にトリスタン事件を匂わせるような返答をしたが、大振ファンはこれを聞いてああ!拓人はまだホルストさんにまだ未練があるのね。舞台上であれだけ激しく愛し合った二人ですもの。簡単に忘れられるはずがないわと彼のために涙を流した。しかしファンの気持などしらない何故か会見場にいた週刊誌のマスコミは興味津々に「で、やっぱりイリーナさんのことが忘れられないんですか?」と他人の家に土足で踏み入るどころかゴミを撒き散らすほど厚かましく無礼な質問をして大振とファンを激しく激怒させた。大振は憤然と立ち上がって質問した記者に向かって出て行けと一喝し、ファンも拓人はホルストさんが好きなのよ!あんなビッチを持ち出さないで!と液晶画面の外からマスコミを罵った。
それから記者会見は混乱して一時中断となったが、しばらくしてから再開し、双方の短いやり取りあった後、司会がそろそろ時間なので質問はこれで最後にしてくださいといったの一人の女性記者が立ち上がって大振にコンサートへの意気込みを聞いた。すると大振は立ち上がってマスコミの前に出てきた。そして指揮棒を高く掲げてこう言い放った。
「皆さん、来るべきコンサートであなた方は僕が天才指揮者であるだけでなく天才作曲家でもあった事を知るでしょう。その日まで楽しみに待っていてください」
この大振の記者会見はやっぱり大反響を呼んだ。傲慢なカリスマ指揮者大振拓人を久しぶりに見たとファンは彼の大復活を喜んだ。ああ!復活した彼の指揮が見れるだけでなく、なんと彼自ら書いた交響曲まで聴けるなんて!しかし不安は勿論あった。大振拓人が素晴らしい指揮者であることはわかりすぎるほど分かっているが、その大振の作曲した交響曲が果たして彼の言う通り偉大なる作曲家の作品を上回るほどの大傑作であるのだろうか。ファンは聴衆から罵声を浴びて号泣する大振を想像してゾッとした。しかし彼女たちはそんな想像をしてはダメ、拓人を信じるのよ、と迷いを振り切り一心に大振拓人の初交響曲が大傑作であり、コンサートが大成功することを祈ったのだった。
その記者会見後すぐにチケットの販売がはじまったが、なんと始まると同時に秒速でソールドアウトになってしまった。これは大振拓人のチケット完売記録トップである。SNSなどでもやっぱり大騒ぎになり、チケットを購入できたもののフォルテシモの声と、チケットを買えなかったものの荒らしの騒音がSNS中を駆け巡った。チケットは転売どころか、転売詐欺にまで利用され、普段詐欺に引っかかるなんてバカだと軽蔑しているはずのファンまで怪しいと思いながらも、このビッグウェーブに乗らなきゃ損だと言って喜んで詐欺の被害者になってしまったのである。
そんな騒動の中、大振拓人はひたすら自作の交響曲の初演に向けて稽古を重ね毎日オーケストラをフォルテシモに叱咤していた。大振も自分の曲を演奏するのでいつもより猛烈なフォルテシモで荒れ狂っていた。言い忘れていたが今回のコンサートのプログラムは二部構成で第一部がハイドンの『驚愕』と『軍隊』。第二部がメインの大振が作曲した『交響曲第二番:フォルテシモ』である。最初は第一部は別の大振のいわゆるボンクラ指揮者にでも任せようかという声が上がったが、俄然やる気になっていた大振は俺のコンサートにそんなボンクラ指揮者なんぞ立ち入りさせてたまるか!俺が全部やる!と言い張り結局ハイドンも大振が指揮することになってしまったのだ。
大振は毎日稽古前と稽古中と稽古後オーケストラを前にして自ら作曲した交響曲がいかなるものであるのか楽譜を手に語っていた。彼は語るだけでは収まらず、オーケストラのためにテキストまで作成し、団員たちにそれを渡して起床時、昼食時、就寝前に必ず読めと誓約させることまでした。大振は毎日オーケストラに向かってこう語っていた。
「この交響曲は失った恋へのフォルテシモな回想だ。フォルテシモなほどに結ばれた二人がそのフォルテシモな故に強い思いが仇となって別れることになるというのがこの交響曲の根底に流れるストーリーだ。第一楽章のアレグレットは愛の幸福とその不幸な結末を暗示する楽章になっている。これはヘーゲルの弁証法に影響された楽章だ。反発するAとBが恋愛というCで結ばれたが、やはりAとBはそれぞれ別個の価値のものであるので結局の所不幸なことにAとBは結ばれず別れてしまうのだ。本来ならシェイクスピアのロメオとジュリエット、あるいは……いややめておこう。そのような二人であるべきはずだったのに、反発する磁力が弁証法を上回って悲劇を迎えたのだ。第一楽章ではその二人が弁証法の如くCで結ばれた出会いと、そして磁力に負けてCがAとBに戻ってしまう運命とを暗示しているのだ。第二楽章の甘いアンダンテはその二人の短い幸福の時を鳴らしている。それはまさに先程例に上げたロメオとジュリエット、そして……いや、やめておこうその名をあげるだけで涙が出てきそうだ。ここで僕は古今東西のあらゆる恋愛物語の要素を取り込んだ。ギリシャ文学の名作ダフネスとクロエから源氏物語までそのエッセンスを凝縮してこのアンダンテに注いでいる。このアンダンテは間違いなくラフマニノフごときのそれを遥かに上回るものであろう。第三楽章のスケルツォではその二人の悲劇の結末が描かれる。このスケルツォはあのベートーヴェンでさえ書けなかった激しいスケルツォだ。Cの恋愛で結ばれていた二人が突如、まるでシェイクスピアの嵐のようにやってきた不幸に引き裂かれ磁力の反発によって再びAとBに戻されてしまう有様が激しすぎるスケルツォで鳴らされる。天地を揺らすほど激しく鳴らされるティンパニと金管は運命からの二人に対する苛烈な打撃だ。そして最後の第四楽章のアダージョは一人取り残され、もはやこのシンフォニーを書くことでしか恋人を記憶にとどめて置くことが出来なくなった芸術家の悲嘆の叫びだ。ここにはソフォクレスから連綿と受け継がれてきたあらゆる悲劇が凝縮されて取り込まれている。芸術家は一瞬だけニーチェの永劫回帰を夢見て長い輪廻の中でいつか失いし恋人に出会わんと願うが、しかしそれは儚い幻想でしかない。だが夢見ざるにはいられない。しかしだんだん小さくなってゆく音楽は芸術家自身を夢ごと消し去ってゆく。さらば夢よ、さらば恋よ。生は幻、死こそ永遠。だが芸術家は去りゆく寸前に死に抗って最後の抵抗をする。この楽章はチャイコフスキーの悲愴のアダージョなんぞ遥かに超えている。これは真からの絶望だ。恋に裏切られ、芸術にしか生を求められなくなった俺の叫びだ。俺はこの交響曲に音楽どころか俺という人間のすべてを注いだ。俺の文学、俺の哲学、俺の生き様を。今までこれほどあらゆる芸術を器楽だけで鳴らした交響曲があっただろうか。もしかしたらお前らはベートーヴェンやマーラーを引き合いにだしていやあったと抗弁するかもしれない。だが、ベートーヴェンはともかくマーラーなど俺に言わせれば構成力のかけらもなく、器楽だけでは大して表現もできない二流作曲家だ!この圧倒的な構成力を持ち器楽だけであらゆるものを語った俺の交響曲は間違いなくクラシック音楽の最高峰だ。この交響曲こそ未来永劫聴かれ続けるべきものなのだ!」
オーケストラはいつものようにこの大振の長広舌を聞いていたが、いざその大振拓人の全部が込められているらしい交響曲を弾いてみると大振の小難しくてよくわからないがなんだか凄そうな曲の解説と、実際の曲のあまりのギャップに鼻白らむのであった。なんだこれ?ベッタベッタの通俗ものじゃん。これってなんか古臭くさくてダサい映画のサントラみたいだよな。こんなの交響曲、いやクラシックだって言っていいの?だってたしかにキャッチーでバカな奴らに受けそうだけど。第四楽章のマエストロご自慢のアダージョなんかはっきり言って歌謡……。
「そこのクズども!いつまで無駄口を叩いておるか!今俺達は崇高な芸術作品の創造に取り掛かってるところなんだぞ!黙って俺の偉大なる交響曲の楽譜を熟読してろ!」
……とこのように自身の曲の初上演に駆ける大振の思いはフォルテシモに激しく、稽古中にオーケストラが私語でこんな正直な感想を言っているを見つけるとすぐさま指揮棒を投げて思いっきり怒鳴りつけるのであった。
武道館でリハーサルに移ると大振はフォルテシモを最大限に上げてオーケストラをシゴキ尽くした。大振はリハーサル前に自らの交響曲がどれほど人類の知性に貢献するかを連綿と語りお前たちは今歴史を作ろうとしているのだとフォルテシモに力説しまくった。だがオーケストラの団員の中にはこの曲についていけないと泣き言を言うものが出てきた。その団員は自分はクラシックをやるためにこのオーケストラに入った。だからこのあまりにロマンティック過ぎてジャンルの垣根を果てしなく越えた歌謡……いや芸術作品なんか演奏できないと言い出した。たしかにこの曲はアホみたいにわかりやすいメロディーに反してオーケストレーションが非常に複雑であり演奏にも容赦ない技術を要する。だから自分のパートを演奏できないと文句を言う団員がいても不思議ではない。大振はマーラーを口汚く罵っていたが、しかしオーケストラの扱い方はマーラーに非常によく似た複雑極まりないものでちょっとやそこらのオーケストラではこなせるものではなかった。
だがそのような複雑なオーケストレーションを持つ楽曲でも、この団員にとって、いや大半のクラシック音楽家にとってそれはクラシックではなく歌謡……いや別のジャンルの芸術作品だったのだ。クラシックならいざしらずそんな歌謡……いや芸術作品のために労力なんか使いたくない。彼はそう言って自分を今回のコンサートから外してくれと大振に頼み込んだ。だが大振は甘ったれるな!とその団員を殴り、お前はそれでもオーケストラ団員か!クラシックを志している人間なのかと激しく詰り泣いて彼を説得した。何が別ジャンルの芸術作品か。お前はもしかして自分のやっているクラシック音楽を他の芸術より一段下に見ているのか?俺の交響曲が文学や哲学や絵画を曲に取り込んだクラシックを遥かに超えた芸術作品だと思っているのか?そんな事はない。これは間違いなくクラシック音楽なのだ。純度百パーセントの混じりっ気のないクラシックの交響曲なのだ。だから恐れることはない、この俺とともにこのクラシック史上最高の交響曲を演奏しようではないか!お前がいなければダメなんだ!とこのカリスマ指揮者の一日半近くにもわたる説得にとうとう団員も根を上げてわかったからせめて水ぐらいは飲ましてくれと応じた。大振はそれを聞くなりさあリハーサルだと団員を引っ張って水すら与えず無理矢理稽古に参加させたのであった。大振とオーケストラはそんな幾多の困難を乗り越えて交響曲の演奏を完璧に仕上げ、後は本番を待つばかりとなった。
第三楽章
とうとうコンサートの日がやってきた。今回もまたチケットを買えなかった大振ファンが九段下駅の改札口から武道館の会場まで道路を占拠し『チケットを売ってください』のダンボールの切れ端を手に通行人に向かって必死に嘆願していた。一部のファンはもうやけくそでチケット売ってくれたらスッキリさせてあげるとまで言って誘いをかけ、別のファンたちはチケットを手に入れているだろう女子を囲んで恐喝をしていた。ああ!このようにファンの大振拓人の交響曲の初演を観たい気持ちは強かった。そんなチケットを手に入れられなかった者たちの妬みの視線を一身に浴びてどうにか会場の中に入ることが出来たファンたちは必死になって大振拓人グッツを買い漁った。西城秀樹似の大振のプロマイド、大振の指揮棒を模したペンライト、大振が演奏で来ている燕尾服、大振の髪型を模したウィッグ、ああ!会場は大振拓人だらけであった。ファンの中でも音大時代から彼を追っていたハードコアな大振ファンは大振のコスプレまでして自分がどれほど大振を愛しているかをアピールしていた。大振ファンというのはみな協調性のかけらもなく、自分が一番大振を愛していると思っていたのであちこちでファン同士のいざこざが起こった。そこらじゅうで響いている罵倒。物を投げ合う連中。誰が一番大振を知っているかクイズを始める連中。自ら手に入れた大振グッツをかけて賭け事をする連中。会場にはそんな連中ばかりが屯していた。
しかし開場の案内のアナウンスが聞こえると大振ファンたちは一斉に集まって大人しく武道館に入っていった。武道館の中に入ったファンたちは誰とも会話せずひたすらステージに大振拓人が現れるのを待っていた。ああ!とうとう私たちの拓人が帰って来る。あの世界を我が家来と思っていそうなほど傲慢なあの大振拓人が帰って来る。しかも自作の交響曲まで引っ提げて。これは盛り上がらない訳がない。ファンは愛する大振拓人を呼び込もうとまたどうやって持ち込んだのかわからないが各々大振のプロマイドを高く掲げてフォルテシモとコールを始めた。「フォルテシモ!フォルテシモ!フォルテシモ!」
その同時刻にネット中継が始まり、チケットを買えなかった大振ファンたちは一斉に液晶画面にかじりついた。極端な大振ファンはコンサートで生身の大振を見れないならいっそスマホごと彼を食べてやる言ってスマホを飲み込もうとした。愛する大振拓人の処女作の交響曲を聴かんと、あなたは男の子なんだから童貞作でしょと開始予告画面に映る大振に舐め回すような視線で突っ込んだ。彼女たちもまた会場の熱気に煽られて自分もと必死にあるものは電車の中で、あるものは店の中で、あるものはオフィスの中で声を張り上げて「フォルテシモ!フォルテシモ!フォルテシモ!」と叫んでいた。
その全国の、あるいは海外のファンのコールが会場だけでなく、もういたるところで鳴り響く中、大振拓人はまるでナポレオンのようにオーケストラを従えて現れた。この現代のナポレオンであり、二十一世紀のローマ皇帝となるべき男は指揮台に立つと挨拶がわりに指揮棒を掲げてファンを黙らせ、そして深く一礼をして去っていった。ファンは去ってゆく大振をため息と共に見送った。だがもう少し待てば大振はまた現れるのだ。会場にオーケストラが楽器をチューニングする音が鳴り出した。チューニングの乾いた音は開演への緊張感を静かに高めてゆく。それはまるで恋人たちが肌を重ねようとベッドの中に入った時のシーツをこする音にも似ていた。今夜のコンサートは第一部にハイドンの『驚愕』と『軍隊』の交響曲二連発があり、そして第二部には大振自身の作曲家としてのデビュ作であり、世界初演となる『交響曲第二番:フォルテシモ』が待っているのだ。緊張しないわけがない。ああ!拓人、拓人今夜はさすがの拓人でもあがって泣いてしまうかもしれない。だけど拓人安心してあなたには私がついているから。ファンはみんな心の中でこう思っていた。私だけが拓人を愛しているのよ。決して隣のビッチとは違うわ。ファンはみんなそう思って互いを睨みつけた。
そしてアナウンスが第一部の開始を告げると大振拓人は再びステージに現れた。彼はステージの中央に進み出て背後のオーケストラを見渡すと、くるりと聴衆の方を剥いてビックリした顔で大袈裟なポーズをとって聴衆を笑わせた。ああ!今夜の大振は無茶苦茶上機嫌であった。上機嫌のあまり普段絶対にやらない一発ギャグまでやった。そして笑いが静まると大振は指揮台に飛び乗り、いきなりフォルテシモ極まる轟音で『驚愕』の演奏を始め、聴衆に向かって真の驚愕を味合わせた。
ああ!今夜の大振のハイドンはいつものハイドンより遥かに乗っていた。いつもは無理にフォルテシモしなければならぬという思いが強すぎて正直に言えばかなり重苦しい演奏であった。しかし今夜のハイドンにはそんな気負いがまるでなくごく自然に演奏していたのだ。楽曲のクライマックスで驚愕してビックリして倒れる大振はユーモラスでさえあった。そして第二曲目の『軍隊』もまた素晴らしかった。これは先程の『驚愕』とは打って変わってなんたかファッショ的な軍靴の音を感じさせる危険な演奏であったが、オーケストラの、ミスしたら即収容所行きの北朝鮮のパレードのような寸分狂わぬ演奏ぶりと、大振のただずっと行進して指揮する思わずジークハイルと叫びそうなほど狂気じみた姿が荘厳ですらあったので、誰も批判さえ出来なかった。第一部のハイドンの交響曲二連発は聴衆の大喝采を浴びて終わりあとは第二部の大振自身の指揮による大振拓人のデビュー曲『交響曲第二番:フォルテシモ』を残すのみとなった。
第四楽章
第二部の開演を前にしてファンたちは急に不安に襲われた。彼女たちはツイッターや各メディアで大振の交響曲に対して関係者らしきものによる悪い評判を目にしていた。曰くこれはクラシックじゃなくてただの長すぎる歌謡曲のカラオケ。とてもクラシックとは呼べない。こんな曲を自慢げに究極の交響曲だと言い張る大振はやっぱりバカガキ向けのフォルテシモ指揮者。ああ!開演に近づくごとに大きくなっていったこの悪き風評にファンたちは大振が心配になった。拓人の曲がもし関係者の悪口通りだったら私はどう拓人に声をかければいいの。ああ!そうなったら拓人はここでみんなに罵倒されて後からマスコミや音楽評論家に好き放題書かれてしまう。やっぱり作曲家としてはフォルテシモ出来なかった。もう音楽家として完全にメッキは剥がれた。コイツは全てが偽物。フォルテシモしか出来ない一発芸人。そんな悪口から私はどうやって拓人を守ればいいの。また拓人はベートーヴェンの第九の時みたいに、諸般リストとのラフマニノフのピアノ協奏曲第二番の時みたいに、ワーグナーのトリスタンとイゾルデの時ステージでホルストさんと熱過ぎて核爆発起こしそうなほどやらかした時みたいにまた今回もやらかしてしまうの?今回やらかしたら私以外のビッチファンは逃げ出して拓人の指揮者としての人気はガタ落ちするかもしれない。田舎の村の煤だらけの公民館でしょぼくれたフォルテシモをする拓人なんて見たくない。だが彼女たちは大振ファンとしてあくまで大振拓人を信じるごとを決意した。私は拓人を信じる。だって拓人は日本最高の指揮者なんだから。その彼が書いた交響曲が悪いはずがないわ。きっと拓人は偉大な交響曲を私たちに届けてくれるはず。世界で一番フォルテシモな交響曲を。
そのファンの前にオーケストラが続々と現れた。今回のオーケストラは第一部のハイドンより遥かに多かった。あらゆる楽器が物々しく登場し楽器同士でフォルテシモを競ってブレイキングダウンのように喧嘩でも始めそうな勢いだった。ステージはオーケストラで埋め尽くされ今回のコンサートの主役兼演出家の大振拓人の登場を待っていた。聴衆も大振の登場を今か今かと待ち構え待てない連中は孤独にフォルテシモの掛け声を上げた。ああ!ファンたちは期待と不安で胸どころか全てが押しつぶされそうだった。ファンたちは大振が今日のコンサートまだフォルテシモしていないことが気になった。前にハイドンの交響曲を演った時は何度もフォルテシモしてくれたはず、なのに今日は一回もフォルテシモしてくれなかった。大振は緊張のあまりフォルテシモ出来る余裕がないのか。いやあるいはフォルテシモを自分の交響曲のためにとってあるのか。だとしたら大振は交響曲で最高のフォルテシモをするに違いない。アドレナリン大爆発の大フォルテシモ。武道館を轟かしすぎて崩壊しそうなほどのフォルテシモの大絶叫。ファンは固唾を呑んで大振を待った。
そしてしばらく経つとオーケストラが大振拓人を迎え入れるファンファーレを鳴らしはじめた。このファンファーレも大振の作曲である。フォルテシモなほどロマンティックに鳴らされたこのファンファーレはどこをどう切っても大振の顔しか浮かんでこないまるで金太郎飴のようなものであった。大振はファンファーレに乗って勢いよく出てきた。ファンはその大振を「フォルテシモ!」の大絶叫で迎えた。大振はフォルテシモのコールを浴びながら指揮台に立ちいつものように指揮棒を高く掲げた。すると聴衆は一斉にコールをやめて沈黙した。ああ!大振は会場全体をオーケストラにしてしまったようだ。きっと彼が政治家になったら指揮棒一つで日本国民をフォルテシモに導いてくれるであろう。
今会場はカリスマ指揮者大振拓人の一振りを待っていた。大振のそのデビュー曲の交響曲につけたフォルテシモ。それは一体どんなフォルテシモなのか。プログラムによれば交響曲は伝統的な四楽章で、最後の楽章はチャイコフスキーの『悲愴』と同じアダージョである。ファンは第四楽章がアダージョがアダージョである事が気になった。チャイコフスキーのアダージョは拓人が何度もステージで死んだ曲。その形式を自分のデビュー曲で使うなんて。ファンはそこに大振拓人のフォルテシモなほどの悲しみを見た。ホルストさんに失恋し当てどもない孤独の中で絶望のフォルテシモをする大振。やっぱりダメよ、そんな曲演奏したら拓人が死んじゃう!しかしファンが大振の演奏を止めようとする前に指揮棒は振り下ろされてしまった。
「フォルテシモぉー!」
大振拓人は轟然と響き渡る音のフォルテシモなシャワーを全身に浴びて叫んだ。ああ!もはや幕は切って落とされてしまった。ファンはまさかここでフォルテシモをやるとは思わなかったと驚き、大振とフォルテシモに心中する覚悟を決めた。ファンはもう六本木心中のように大振に殉じるつもりであった。拓人あなたと共にこの交響曲第二番:フォルテシモの道を歩いて行くわ。
けたたましい音のフォルテシモな大爆発が終わるといよいよ第一楽章に入ったが、しかしその曲は前評判より遥かに良かった。確かにメロディはロマンティックすぎて昔の映画音楽や歌謡曲を想起させた。だが、そのフォルテシモなまでに清々しすぎる振り切り方が却って曲の美点にさえなっていた。重苦しい冒頭もその後に続くフォルテシモなまでにロマンティックなメロディも確かに将来二十一世紀に残るであろう歌謡……いや芸術作品だと思われるものであった。大振のオーケストレーションも見事なもので会場にいた音楽評論家はマーラーを想起し、大振拓人が記者会見でマーラーを罵倒したのは、逆にそれほどマーラーに深く影響されていたからだと見てとった。なんだ、影響を受けた事を隠したかっただけか。こいつ結構可愛いところがあるじゃないか。この曲だって意外にも凄く可愛らしい曲だし。確かに彼らの言うとおり可愛いらしいといえる交響曲であった。オーケストレーションはマーラーのように複雑で、部分的にクラスターまで使用しているが、それでも流れるのはチャイコフスキーの陰鬱さと程遠いピュアっピュアな世界なのだ。ファンは最初のフォルテシモの絶叫からもうこの地球に砂糖を振りかけたようなフォルテシモオブキングなほど甘いメロディに夢中になってしまった。官能的に鳴らされるメロディはまさに初恋のメロディだ。だが時折鳴らされるチェロを中心にした暗い旋律は初恋の終わりを告げる悲劇への序章であった。
我らがカリスマ指揮者大振拓人はそのメロディを指揮棒を手にステージを所狭しとフォルテシモに転がりまわって表現していた。彼は今ヨーロッパにいるであろうイリーナ・ボロソワを思い出し、彼女への想いをステージにぶつけていた。ああ!飛行場での初めての出会いに恥ずかしさで俯く僕を揶揄い半分で見ていたイリーナ。記者会見で彼女がポップス歌手なんて河原乞食みたいな事をしていたと知った時の絶望。そして晩餐会での果てしなき言い争いの中で芽生えた恋。ああ!全てが懐かしい!大振はたまらずステージに転がって悶え、そして叫んだ。だが終盤で暗いファゴットの旋律が流れた瞬間大振は突如動きを止めて項垂れた。ああ!ここで彼はイリーナとの悲劇的な結末を思い出したのだ。恋は幻想。全ては去り、自分だけがこのステージに取り残される。第一楽章はこうして悲劇的な結末を予告して終わった。
第二楽章のアンダンテはもう気恥ずかしい程フォルテシモにロマンティックなメロディの連打であった。まるで太陽が砂糖化して砂糖光を浴び続けた地球のように甘く切ないメロディはやはり二十一世紀の歌謡……いや芸術作品にだと確信できるものであった。大振はその甘いメロディに乗せて現実では叶わなかったイリーナとのベッドシーンを演じて見せた。両手で自分を強く抱きしめて悶える大振。唇を突き出してキスの真似事をする大振。突然愛のバトゥ・ドゥを始める大振。ああ!大振がステージに横になりプランクを始めた瞬間ファンは恥ずかしさのあまり思わず悲鳴をあげてしまった。激しすぎて運動不足なものなら翌日は筋肉痛で大変だろうと思われるほど激しいプランクにファンは自分がプランクされている場面を思い浮かべた。しかしファンは同時にホルスト・シュナイダーの事を思い出して切なくなった。きっと拓人はあのトリスタンのステージのホルストさんを思い出しながらプランクしているんだわ。あなたとホルストさんの間に私なんか入る隙間ないのね。でもいいの。あなたがホルストさんに心奪われていてもそれでも私はあなたを見ていたいから。大振は曲の高まりとともにプランクを早めそして絶頂を迎えた所で本日二発目のフォルテシモを放った。ファンはこのあまりに赤裸々なフォルテシモに思わず顔を赤らめてしまった。イリーナとの激しいプランクを終えた大振はステージに仰向けになり傍のイリーナを抱きしめる。だが現実は虚しい。彼の手はイリーナを抱くことは叶わずひたすら空を切る。官能が冷めると同時に音も消え去りこうして第二楽章は終わった。
続く第三楽章は悲劇の嵐であった。このフォルテシモなまでに激しいスケルツォの楽章はまず愛が禁じられてしまい、苦悩する大振自身を赤裸々なまでに鳴らした。大振は運命によってイリーナと引き裂かれようとしている自分自身をフォルテシモなまでにステージで暴れ回る事で表現した。頭を振り乱し指揮棒を投げつけながらながら、彼はイリーナと会話する事もかなわなかったあの頃の自分の惨めな気持ちをフォルテシモな程ぶつけていた。そんな大振を見てファンは彼とホルストのために泣いた。こんなピュアな二人が何故結ばれなかったの。ステージであれほど愛し合ったのに。だが無情にも曲は悲劇への道を進んでいった。ティンパニが鳴り出すとそれを合図に全楽器がフォルテシモに絶叫した。ああ!その轟音の中で大振はあのトリスタンの不幸な悲劇を実演していた。ああ!イリーナよ!俺を全裸へと駆り立てたのはお前が愛しかったからだ!それがなぜお前には理解出来なかったのだ。暗闇でお前を求めようとしたら間違ってホルストを求めてしまっただけなのに!大振はこの重苦しい、重力のせいで地球中の水が甘すぎる砂糖に凝結してしまった砂糖まみれの轟音の中で本日三回目のフォルテシモを叫んだ。大振はフォルテシモを叫ぶと同時にステージに倒れ、音楽は砂糖の結晶を撒き散らせ駆けていった。
そしてとうとう最後の第四楽章がやってきた。さてこの交響曲のラストはどのように締められるのか。会場にいた聴衆はもう今か今かと曲が始まるのを待っていた。パンフレットには大振自身の筆で『この交響曲第二番:フォルテシモは第四楽章のアダージョのために書かれた。間違いなくこのアダージョは人類の歴史に永遠に鳴らされ続けるだろう』書かれてある。聴衆たちは第三楽章まで聴いてこのフォルテシモなほどロマンティックな歌謡……いや芸術作品は紛れもない傑作であり、そのキャッチーな……いやあまりに芸術的な旋律は今後あらゆるところで鳴らされるだろう。まるですぎやまこういちのドラクエ……いやベートーヴェンやマーラーのような芸術作品としてと確信した。ファンたちはこの第四楽章の演奏を目の前にして聴きたい思いと聞きたくない思いで激しく格闘していた。確かに最後まで傑作だったらどんなにか素晴らしいだろう。しかしブレイキングダウンみたいに結局オーディションが一番面白かったみたいな事になる事だって充分にある。第一楽章から三楽章までよかったけど第四楽章はやっぱりダメだったなんて事にならないで欲しい。そんな事になったら。正直に言ってこの会場にいる聴衆は、野次馬や評論家の連中は勿論ファンでさえ、ここまで大振の曲が素晴らしいとは思っていなかった。ただまともな交響曲であればとしか思っていなかった。だが大振の交響曲は予想を遥かに超える出来だった。第三楽章まで聴いた聴衆の第四楽章への期待値はフォルテシモを飛び越えて外宇宙のフォルテシモにまで高まってしまった。この期待に第四楽章は答えられるのだろうか。大振の自画自賛する第四楽章は一楽章から三楽章の全てを圧倒する出来なのだろうか。ファンだけではなくみなそんな思いを抱えて第四楽章を待っていた。
その第四楽章のアダージョは意外な程静かに始まった。大振が指揮棒を振ると同時にピッコロが寂しげなフレーズを吹き出した。ああ!なんて事だ。これは歌謡……どころかパンチ頭の男が着物姿で歌う演奏……いやバカにでもわかる最高の芸術作品ではないか!哀愁を帯びたメロディは木こりを思わせ、北の酒場を思わせ、津軽海峡の冬景色を思わせる。大振は今大オーケストラで日本人の思いを奏でていた。誰もが拳を握りしめて歌いそうなあのメロディ。思わずフォルテシモなほど咽び泣くようなあのメロディを奏でていた。これはまさに大振の言うとおり最高の芸術作品であった。甘く切なすぎて北国に砂糖の豪雪を冬季オリンピックが開催できるほど降らしたメロディは複雑極まりないオーケストレーションによって恥ずかしいまでに引き立てられていた。メロディは恋に裏切られた男の心情を赤裸々に晒し出していた。大振はその赤裸々なメロディを絶望に押しつぶされそうになりながら力を振り絞って振っていた。彼の前に在りし日のイリーナが浮かんでは消えた。笑うイリーナ。怒るイリーナ。泣くイリーナ。自分に愛を歌うイリーナ。いろんなイリーナ走馬灯のように過ぎ去ってゆく。ダメだよ僕の元から去っては行けないよ。イリーナ、なぜ君は僕の元を去ってしまったんだ!曲がクライマックスになりオーケストラが一斉にメロディを鳴らした瞬間大振はとうとう耐えきれずステージに泣き崩れてしまった。ああ!こんなに溢れる思いを鳴らしてもあの人は帰ってこない。どうしてあなたは去ってしまったんだイリーナ。イリーナ、イリーナ、イリーナ!僕の世界はあなたを抱きしめたいんだ。この思いを直接僕の声で伝えたいんた!
大振は突然立ち上がると投げ捨てた指揮棒の元に向かった。彼は指揮棒を取るとそれをマイクみたいに持ちそして最後のクライマックスのオーケストラのフォルテシモな轟音に合わせて歌い出した。
だぁ〜きしめたい〜♫
世界〜中の〜誰よりも♫
このままずっとお〜♫
はなしたくないぃ〜♫
だぁ〜きしめたい〜♫
たとえ〜まぼろしでもぉ〜♫
永遠にあなたをぉ〜♫
はなしたくないぃ〜♫
この大振の突然ののど自慢にコンサートを観ていた全ての人間が唖然とした。たしかこの交響曲に歌なんて入っていなかったはず。しかもこんなベタな大歌謡曲なんていきなり歌い出すかぁ〜!しかしである。この大振のやらかしはこの交響曲にあまりにハマってしまっていたのた。この歌謡……いや芸術作品には絶対にこの歌は欠かせないほどハマっていた。ファンは大振が驚くほど美声であるのに驚いた。ルックスは西城秀樹似だが歌は布施明のような見事なバリトンであった。その美声で歌われる大オーケストラをバックにした失恋ソングは感動的であった。大振は指揮棒をマイク代わりに布施明声で若き日の西城秀樹のよう体を振り乱してイリーナへの想いを熱唱した。ファンはその大振を見て彼のホルストさんへの熱い想いに思わず涙した。ああ!あんなにステージで愛し合った二人が別れ別れになるなんて!いつの間にか会場中から大振に声援が飛んだ。頑張れ大振、最後まで歌いきれ!その光景はまるで昔のレコード大賞のようであった。大振は声援を支えにして涙まみれの顔で力を振り絞って歌った。
だけど、あなたはぁ〜♫
去ってゆく~♫
僕のこの手からぁ~離れてゆくぅ~♫
なぜ♫
なぜ♫
なぜ♫
な~ぜぇ~♫
大振が最後まで歌い終えると会場から、また液晶画面の向こうから一斉にフォルテシモも拍手が飛んだ。ネットでこのコンサートはバズりまくり大振拓人と「抱きしめたい」の言葉がトレンドを埋め尽くし他のもっと重要なニュースを完全に傍に追いやってしまった。これは作曲家大振拓人の誕生の瞬間であるよりも歌謡曲歌手大振拓人の誕生を告げるものであった。
翌日新聞各紙は一斉に昨夜の大振拓人の交響曲初演のコンサートについて一面で取り上げたが、その写真には何故か指揮棒をマイク代わりにして熱唱する大振の姿ばかりが映っていた。記事もハイドンの演奏どころか大振の交響曲についてさえ対して書かれておらず、書いてあるのはラストの大振の熱唱だけだった。タイトルはさらに酷く一番酷い記事はこんなタイトルであった。
『カリスマ指揮者ついに歌手デビューする!コンサートでデビュー曲抱きしめたいを大熱唱!』
大振は朝起きて新聞でこの悪魔のような記事を見て目眩がした。ああ!なんて事だ!また俺は大失敗してしまった!その大振の元に突然プロモーターから電話が来た。大振が出るとプロモーターは矢継ぎ早にこう言った。
「大振さん。昨夜のコンサート予想以上に大評判になってますよ。特にあの最後の抱きしめたいなんか。大振さん、レコード会社もあの曲注目してまして是非うちにといろんなところから電話がバンバン来るんですよ!大振さん出しましょうよ!この歌謡曲でクラシックからJPOPに殴り込みかけましょうよ!」
大振はこう喚いているプロモーターを無視してさっさと電話を切った。そしてベランダから電話を放り投げて絶望的に叫んだ。
「フォルテシモぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ〜!」
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