見出し画像

遺言

 臨終間際の留澤新五郎はこれが最期と家族に向かって語り始めた。新五郎は家族への感謝。自分のこれまでの人生。そして死へと向かう覚悟。それらのことを死がくるまで語り続けるつもりだった。寡黙であった自分がこんなにまで饒舌になるとは。新五郎は自分がこれまでの人生で如何に多くのものを溜め込んできたかを身にしみて感じた。こんなにいっぱいになるまで溜め込むぐらいならもっと早く家族に喋っておけばよかったと後悔した。だがもう遅い。今はひたすら寿命がくるまでひたすら喋りまくるしかないのだ。
「あなた、もう無理しないで」
「父さん、もういいよ」
「お父さん、もうやめてお父さんの思いはわかったから。今はゆっくり休んで」
 だが新五郎は家族の静止を振り切って語り続けた。途中家族のためにトイレ休憩をとったり、孫がお腹が空いたと言い出したので食事休憩までとった。これが最期の時、体は冷たくなり、もはや首筋まで死が迫ってきていた。しかし新五郎はそれでも喋るのをやめなかった。死すら自分の思いを止められぬ。そんな思いで彼は延々と自らのことを語り続けるのだった。
 やがて一日たち、二日たち、それから半年経ち、ずっと付きっきりだった新五郎の妻は心労のせいで先に死んでしまった。妻が亡くなったことを聞いた新五郎は泣き叫び、なぜ私より先に死んでしまうのかと激しながら息子夫婦や孫たちに妻の思い出話を延々と始めた。自分と妻の馴れ初め。結婚までの道のり。初めての子供が生まれた感動。新五郎はいつものように息子夫婦や孫たちのためにトイレ休憩や食事休憩をはさみながら延々と自分と妻について語っていた。
 そうして新五郎は三十年以上延々と自分と妻のことについて語っていたが、長男が彼女を連れてきた時のことを話そうとした時、長男が病室にいないことに気づいた。彼は長男の妻に息子はどこに行ったのかと聞いた。すると妻は泣きながら主人は老衰で死んだと答えた。新五郎はそれを聞いてびっくりした。老衰だって!アイツはまだ六十だろ?なんで老衰で死ななきゃいけないんだ!新五郎は度重なる親族の死にこの世の儚さを思って嘆き悲しんだ。ああ!まだ遺言の三分の一も語っていないのに!見ると長男の妻も倒れ込んだではないか。次男もすっかり老け込んでもうじき死にそうな顔をしていた。どういうことなのだ。みんな自分の遺言を最期まで聞かずに死のうというのか。新五郎は泣きながら皆に向かって言った。

「みんな、お願いだから私の遺言を最期まで聞いてくれ!」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?