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昔の味

 とある人気ラーメンの暖簾をくぐったらいきなり怒鳴り声が聞こえてきた。私は何事かと顔を上げるとカウンターでごま塩頭の老人が店長を大声で叱り飛ばしているのが見えた。向かいの店長は顔を真っ赤にして俯いてただ老人の説教を聞いている。他の客たちも老人の迫力に恐れをなしてか声もかけられずにただ二人を見守っている。我々が見ている中老人は手元のラーメンを箸やレンゲで乱暴に掻き回しながら激しく店長を痛罵していた。

「全くお前さんの代になって店はすっかり変わっちまったよ。なんだいこのぶくぶくに太った麺は!先代はシャキッと江戸前の歯応えのある中麺だったじゃねえか!それになんだいこのチャージャーは!甘ったるくて食えたもんじゃねえ!先代の頃はパリッとしたキッコーマンの醤油が効いてたじゃねえか!そしてこのつゆだよ!こんな油まみれのつゆをお客さんに出していいと思ってるのかい?先代のつゆはスッキリしたキッコーマンのパリッとした塩味が効いた江戸前のつゆだったじゃねえか!お前さんは先代がどうしてお前さんを後継ぎにしたかわかってるのかい?それはお前さんが一番先代のラーメンをわかっているからじゃねえか!お前さんは忘れちまったのかい?十五年前ラーメン職人になりたくて東北のど田舎から上京して先代に弟子入りしたあの頃を。お前さんはあの頃は赤ほっぺなんざしてよくヘマしてその度に先代に怒られていた。だけどお前さんはそれでも努力して一人前のラーメン職人になったじゃねえか。オイラはお前さんのラーメン初めて食べた日のこと今でも覚えている。ハッキリ言ってド下手くそな代物だった。出汁は満足に出てねえし、麺のキレもダメだった。だけどオイラはそのド下手くそなラーメンにお前さんの純朴な心を感じたんだ。コイツはラーメンの心をわかっていやがる。そう思ったんだ。それからお前さんまるでタケノコが育つように急にラーメンが上手くなった。オイラも先代もお前さんの成長には驚いたぜ。先代はオイラに涙流して言うじゃねえか。『俺にはガキはいねえがコイツがいらぁ。コイツは俺とラーメンが天から授かった宝だ』ってな。だけどお前は、オイラのいない間にすっかり変わっちまった。これがお前の目指したかったラーメン屋なのかい?先代のラーメンを捨ててまでお前が作りたかったラーメンなのかい?ちょっとチヤホヤされて舞い上がっちまってこのバカヤロウ!なぁ、答えろよ!あの純朴だったお前はどこに行ったんだ!」

 だが店長は何も答えなかった。ただ、顔を真っ赤にして体を震わせているだけだった。

「まぁ、いずれにせよ、こんなラーメン食えねえよ。お前さんはすっかり変わっちまった。これも時代の流れと言われればそうなんだろう。だがな、変わっちゃいけねえもんがあるんだよ。じゃあな、この店には二度とくるこたあねえが繁盛祈るぜ」

 そういうと老人は箸とレンゲを荒々しく麺にブッ刺して店を出て行った。私は立ちすくんでいる店長を見た。他の客を店長を見ているようだ。

 しばらく店内に気まずい沈黙が流れたが、店長は急ににこやかになって私に席を案内した。それから彼は私たちに「いやぁ〜、お騒がせしてすみません」と謝った。私は遠慮がちにカウンターに座り先程は「大変でしたね」と店長に声をかけた。すると店長は笑顔でいやぁ面目ないと謝って来た。私は彼にさっきの老人のことを尋ねた。

「さっきのお客さんはお知り合いですか?」

 この私の質問を聞いて店長はまた黙ってしまった。私はあまりに不躾な質問をした自分を恥じたが、もう手遅れだ。しかし店長はしばらくしてから重苦しい口を開いた。


「……あのですね。さっき怒鳴ってたお客さん。私……あの人全く知らないんです。だからあの人の言ってること全くちんぷんかんなんですよ。大体私東北生まれじゃないし、ラーメン屋だってそれまでやってたアパレル業やめて一人で立ち上げたものだし、皆さんも知ってるようにうちのラーメンずっとこのスタイルでやってるでしょ?だから私あのお客さんに何度もご指摘してあげようと思ったんですが、なんか凄い勢いで食ってかかってくるもんだから、もう言わせるだけ言わせるしか出来ませんでしたよ。いやぁ、怖かったぁ〜!」

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