リアルでも悩みだったダメを言えない性格がここまで如実に悪く出てしまって本当に反省している。 許容は優しさではないと気付いているのに行動出来なかった。 ぐちゃぐちゃしたのをかき消したくてお酒いっぱい飲んじゃったけどその状態でもう表には出ない。 見ない振りして曖昧に流した物で本当に仲良くなりたい人との縁が切れるのだけは本当に嫌だと思ったから絶対に変える。 きらわれたくない、がんばる
最近は少しだけど自我や価値観と向き合う時間を取れてるけど何か大事な所まで到達出来ていない感が否めない。 1番重要な部分から目を逸らしている気がするけど、逸らしているから何なのか分からない。 結局マシになってるだけで離人感は消えないし、現実も変わらない。 僕が夏と。でいる以上、壁を飛び越えられないような気がしてしまうけどここには大切な物があまりに多すぎる。 仲良くなりたい人も、切れてほしくない縁も有難い事に沢山ある。 自分を認めてこういう自分なんだよって言ってみたい人も最近で
普通という言葉を日常的に使ってしまうけど、 この世界にとっての普通は多数派という言葉が正しくて。 全員違うと分かりきっているにも関わらず、 無意識のうちに枠に嵌めて苦しくなってしまう。 皆違って、皆苦しくて、皆幸せで そんな簡単なことでいいのにね。 どうしても自分しか見えなくてそれ以外は想像しか出来ないから、いっその事全員NPCだったらとか何回も考えてたけどたらればだから楽しい妄想なんだろうなとも思って。 頭がごちゃごちゃして寝れないけど、寝ないと整頓されないし目を瞑
俺って口に出す事ですらいけない事をしてしまったと感じてしまう。 ふと現実世界で生きてる時に頭に僕とか俺っていう一人称が浮かんで焦る。 そういう事を気にせず生きれる日が来るのだろうか。 と思ってるだけじゃなれないのは分かってるので自分で切り開いていけるように行動していく。 歌を聴いてる時だけは檻の中に閉じ込められているような感覚から解き放たれる気がする。 どの視点の曲を聴いても自然に受け入れる事が出来るからなのかな。 漠然とした憧れを見ない振りしながら際から見てる。 受け
逃げたくない、向き合おうと思いつつ、現実はそう上手くいくのか分からないから結局許容と否定の範囲を考えている。 マイノリティに明るくないのならば、僕が先陣を切ろう!なんて思えたらとっくのとうにこんな悩みも解決していたのだろうか。
どうやったら性別から解放される? 今からじゃもう遅いのか? 僕は僕として生きたいだけなのにどうして悩まないといけないのか。苦しまないといけないのか。 逃げる事も、避ける事も出来ない。 毎日女という事実を叩きつけられ、渋々受け入れ見ない振りをし誤魔化しながら生きている。 1番好きな歌う事だって、女の声しか出ない自分を受け入れなければいけない行為のひとつになってしまう。 人間関係も、バイトも、趣味もぜんぶぜんぶぜんぶ!!!!!!性別を叩きつけてくる!!!!!! 僕がこう
どうして自分を女だと思えないのか。 どうして自分の体を見て現実感を抱けないのか。 どうして現実を受け止めようとして嫌悪感を感じ、気持ち悪くならないといけないのか。 勤務日数を増やす度に女子ロッカーに入らないといけない回数が増える。 女として振る舞わないといけない回数が増える。 こんな事を考えても意味無いし、女にもなれないし、男だとも思えない。 ずっと同じ事で悩んで、余裕を手に入れる為に何かを犠牲にしてまた自分のことが嫌いになっていく。 これを言い訳にしてやらないといけない
寝るのも起きてるのも怖いけど、生きていかなくちゃいけない。 生きたいと思う反面、これ以上を知る前に消えてしまいたいとも思ってしまう。 誰かがいなくなってしまうかもしれない現実が怖い。 当たり前がいつ無くなってもおかしくないのが怖い。 それなら全てから離れて、手放して、自分が1番先にここじゃない何処かに行ってそこで待ち続けたい。 旅立った先はどこに行くのだろうか。 今よりも楽しい場所へ行けるのだろうか。 分からないは怖い、でも知ることはできない。 ひとりはいやだな、こわい
どの道に進んでも後悔することってきっとこの世界には幾多とあって。 僕が見てる世界と、誰かが見てる世界が違う事も数多とありまして。 その中で後悔した事に自信を持てる行動をしていかねばならないのですが。 今日は思考がまとまらない。 何かになりたい、ただそれだけ。
大小関係なく、向き合うのは怖い。 奥底を知られるのが怖い。 自分でさえ奥に行くのが怖い。 自分の感情なんて押し潰してしまうのが1番楽だと今でも思っている。 どうせ言っても理解されないんだから言うのなんて無駄なんだろうなと思ってる自分もいる。 あの時からずっと変わらない。 僕の本音は誰かを不幸にする原因で、世界で1番無価値ないらないものだって。 きっとこの呪いが解けることはない。 これが今の僕の本音。 矛盾してるかもしれないけど、少しづつ向き合おうとしてる気持ちがあるから
自分が辛いと感じてるからこそ誰かが辛い時に味方になりたいと思うけど、自分が辛いからそんな余裕もないという現実。 もっと向き合わないといけない事も、やらないといけない事もある。 そんな中で周りの時間も動いていって、 沢山の喜怒哀楽が動いてて。 正直何が辛いのか分からない。 これまでどうやって生きてたか、とか 何が楽しかった、とか 何が苦しかった、とか 記憶が抜け落ちてるというか上手く思い出せない。 頑張れば思い出せるけど、靄がかかってて完全に思い出せてる気はしない。 久し
どうも、夏と。です。 なんかこの挨拶、自己顕示欲強くね?と思ってしまうのですが少し気に入ってしまったので飽きるまではこのままこの挨拶を使おうと思います。 今回は一番最初の記事に書いた 僕が本音を話せなくなった原因 について書こうと思います。案外早めに覚悟できました。 先に言っておきますがこれは自業自得なお話です。 さて、早速本編に参ります。 時は中学生の頃に遡ります。 僕と母は寝る前に少し話をしてからおやすみする事がちょこちょこありまして。 その話の中で本音
どう頑張っても身体の性別は纏わりつくもので。 そのままを愛してほしいなんて上手く伝えられないし、そもそも言っても自分の思った通りに受け取ってくれる人なんてそれこそマイノリティなのではないだろうか。 アライという存在はいるのは知ってるけど、僕の周りには完全なアライは正直存在しないと思っている。 道を違えてる言葉を見て、その言葉にこもった優しさを受け入れられなかった自分が嫌で堪らなかった。 何をしても、どこにいてもついてくるんだよ。 それを感じないようにすると全部を失ってしま
ドロっとした汚くて醜くて見せられたもんじゃない感情が、心の奥底にある瓶にしまってあって それに蓋をしたら取れなくなってしまった 取ろうとしても固く閉ざされてて 中に入ってるのが良いものではないと知ってるから力も入らない 向き合わないといけないのは分かってるのに逃げているぼくはずっと子どものままだ ぼくはただ、ぼくでいたかった 心の底から
お久しぶりです、夏と。と申します。 今回は僕が またね という言葉を何故使うのかお話したいと思います。 これまではただの自分語りでしたが、今回は見てくださった貴方もまたねという言葉を使ってくれたら嬉しいなという自分語りです。 早速ですが、ばいばいとまたねの違いは分かりますでしょうか。 煽りではないです、確認です ばいばいにはさよならやじゃあねという意味が詰まっていると思うのですが僕はそれが引っかかってしまうんです。 ここでばいばいしてしまったらもう次はないのではな
どうも、夏と。と申します。 今回は、ずばり 初恋のお話 です。 僕の好きな曲の歌詞に 「 初恋は濃いめのココア 」 とありますが、果たして僕の初恋はどのくらい濃かったのでしょうか。 それでは本編に参ります。 これは僕が小学二年生の頃でございます。 きっかけは…何だったんでしょうね。 完全なる一目惚れでした。 気付いたらドキドキしてて、気付いたら好きでした。 もしかしたらなにが理由があったのかもしれませんが一目惚れという記憶しかないのでそういう事にしておきま