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悲しみを嘆いてしまう頃は、世の中をよく知らないのと同じかも知れない。

自分の過去痛みという呪縛から中々抜け出すことのできない、過去の自分のような人にたまに出会う。

自分の中の過去の心が傷んだ体験は、その人を蝕む。その痛みは痛いほどよくわかる。

そして、ヒトは自分がかわいい生き物だから、その痛みをどうにかしようとするのは当然。
しかし、辛いからその痛みから逃げてしまう。そして向き合えないとその原因がわからないため、また同じことを繰り返す

だから、その原因を知るべきであり、知ろうとすることがその痛みを和らげることだと私は思う。

そして、その痛みの原因はもとを正せば社会にある。なぜなら、ヒトを取り巻く環境がそのヒトを作ってるから。

藻掻いただけでは現状が変わらないのは、根深い原因が社会構造にあるからだ。

けど知るには初め、あまりにも複雑すぎるし、メディアなんかでは報道される訳がない話だから、本当の社会の姿を知る手段がなかった。



たとえば・・・

虐待(ネグレクト、DV、性虐待...)
家庭内殺人、いじめ、不登校...

心を病んでしまう原因は、たくさんある。
そして、その痛みは私達に呪縛をかけて、普段の日常生活にも支障をきたす。だから、解放されたいと誰もが願う。

だけど、なかなかその痛みは根本的には解決されないと感じる人が多いはず。
それは、まだ知らない根底の原因に歪んだ社会構造があるからなんじゃないか、と私は思う。

悲しみの本当の原因

一言でいうと、"歪んだ社会がもたらした負の感情"と"理不尽な境遇"なんじゃないかと私は考えている。

こんな苦しい感情を生み出したのは、身内などの親しい人など、一見自分に関わりのある人が生み出してるように感じる
だから、他人を責める。このプロセスが多いと思う。

しかし、そのヒトを取り巻く環境がヒトの人格から価値観や正義感、倫理観まで作っていると想像したことはないだろうか?

実はそこに答えがある。

当人を責めても根本的に変わっていない部分というのは、ヒトを取り巻く環境つまり社会だ。

例としてここで、私の話を。

私の話でたとえると、私もずいぶん家庭環境のことで悩まされてきた。
厳しすぎるしつけや叱責によって、自分の心は疲弊して、更に転勤族ということも重なったが故の孤独によってもその感情は助長されてしまった。

当時は、自分の家族が悪いと当たり前に思ってた。そこにしか怒りの矛先を向けるしかなかったし、他に思いつかなかった。

しかし、そこから社会のことを本で読んだり実際に会う人と話して自分なりに社会の構造が見えてきた。

すると、商店街がシャッター商店街になり、地域コミュニティが衰退し、人とのつながりが希薄化した結果、コミュニティで支えていたベビーシッター的な役割をしていた近所の人など、助け合って生きていた文化がなくなったからだと思った。

・・・

「過去の自分が感じたような感情をまた繰り返さないためにはどうしたら良いか?」
「なぜそんなことが起こるのか?」
を考えに考えまくった。

そしたら、教育や性差別、働き方などいろんな原因は思い当たったけど、本質的には、今の経済の仕組みにあるという結論に至った。

なぜなら、
生産者と消費者がwinwinな関係ではないと私は考えたから。

本来商いというものは、生産者の売りたいと思う価格で売れて、消費者も買いたいと思う価格で取引されることが理想的だ。

しかし、今や生産者も消費者も離れすぎていて、そのそういったコミュニケーションが不可能になっている。

だから、クレームだって言いやすいし、売る側も粗悪なものを使ったとしても「まぁいいか。」となる、冷たい社会ができてしまった。

けど、こんな社会を作ってるのも自分達だということに気づいていない人が多いことより、気づけない環境が出来上がっていてそれが当たり前で日常であることが私は怖い

マーク・トウェインの、こんな言葉がある。

「厄介なのは知らないことじゃない。知らないのに知ってると思い込むことだ。」(マーク・トウェイン)

本当にそうだと思う。ちなみにこの言葉は、マネーショートという映画を観ていて知った。

人の心が歪むのは、社会が歪んでるから。

この正体を理解してからから、私はその人の心が歪んでいるとは思わなくなった。
だってそんな私達を取り巻く環境がそもそも歪みに歪んで、歪みまくっているのが事実だから。

・・・

だから、どうか自分がひねくれているとか心が歪んでるとか思うのは事実でもなんでもなく、それはただのセルフイメージ(自意識)でしかないということを、多くの人に気づいてほしい。

今日も読んでくれてありがとう。ではまた!

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