見出し画像

生きることは、自分以外の命を頂くこと

生きることは、食べること。食べることは、生きること。よく目にも耳にもする言葉だ。私は恥ずかしながら29年間(もうすぐ30年間)生きてきて、初めてその言葉の意味を分かった気がする。

晩ご飯は何にしようかと冷蔵庫を眺めていたら、イワシが4尾あったのでフライにすることにした。頭をザックリと切り落とし、すぐ下の腹に切れ目を入れて内臓を取り出して水で洗う。そこからさらに尾に向かって指で引き裂き、イワシをパッカンと開く。

また板の上に無造作に並べられた、口が開きっぱなしのイワシとバチッと目が合って「ドキッ」とした。赤黒くて生臭い、ぬめぬめとした内臓を包丁の先でかき出している時に「グロい」と思った。否応にも鼻に入ってくる匂いを嗅ぎながらしばらくその目を見ていると、何だか心臓がソワソワとしてきた。

スーパーで買ってきた魚だから、厳密に言うと私の手に渡る随分と前にその命はもうこの世にはなかったのだけれど、「私は今このイワシの命を奪ったのだ」と思った。目の前のイワシに恐怖心を覚えながら、調理を続ける。次は醤油と酒と生姜で下味をつけた。

当たり前すぎるけれど、料理って食材をただ料理するのではなくて、命を料理している。そういえば、中学生の時の理科の先生が「頂きます」は「命を頂きます」と言う意味だって言ってたな。「頂きます」と言うことも、当たり前すぎてもはやルーティンになってしまっているが、ここで改めて意味を再確認するのと、忘れないためにここに残しておこう。

*写真はミャンマー、ヤンゴンの魚市場。前日か前々日に食べた何かにアタリ、腹痛からの回復後だったので、生臭い匂いにやられそうになった。なぜかみんなサッカーのユニフォームを着て仕事している。

よろしければサポートをお願い致します。頂いたサポートは本購入費に充てさせて頂きます。