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ルネサンス時代の桁違いな古美術収集。ローマ、ファルネーゼ広場。

ローマで毎朝メルカート(市場)が開かれる賑やかなカンポ・デ・フィオーリ広場からすぐ近くの「ファルネーゼ広場」。広場の名前は、もちろんこの16世紀ルネッサンス建築を代表する壮大な「ファルネーゼ宮殿」の所有者名からつきました。

ファルネーゼは、イタリアの名門貴族の一つ。この宮殿の建設は、1514年アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿が当時の偉大な建築家アントニオ・ダ・サンガッロ イル・ジョヴァネに依頼して、始まりました。その後、枢機卿はローマ教皇に選出されパウルス3世と名のります。そして、サンガッロが亡くなった後は、建築の指揮はミケランジェロに引き継がれ、中央バルコニーやイタリア語でCornicione(コルニチョーネ)と呼ばれる軒蛇腹が付け加えられました。

栄華を極めたファルネーゼ家ですが、最後の末裔エリザベッタがブルボン家のスペイン王フェリペ5世と結婚し、その息子カルロス3世が1735年ナポリ王に即位したことにより、この宮殿から沢山の芸術作品がナポリやカゼルタに持っていかれました。

現在、ファルネーゼ宮殿はフランス大使館として使われています。フランスとの関係の歴史は古く、1635年にはファルネーゼ家がフランスの外交拠点としての受け入れを許可、1874年にはブルボン家とフランス大使館が契約を結んでいます。

ところで、宮殿の前には、バスタブのような噴水が二つあります。

このバスタブのような形のエジプト産御影石の水盤は、もとは、なんと古代ローマの遺跡、カラカラ浴場の装飾だったと言われています。

広場には、左右に二つほぼ同じ対の噴水があります。

1つ目は、1545年、パウルス3世によりサンマルコ広場(現ヴェネツィア広場)からこのファルネーゼ広場に持ってこられ、広場の中心に置かれました。

二つ目が同じサンマルコ広場からファルネーゼ広場に持って来られたのは1580年。当時は、十分な水が供給されていなかったため、単に飾りとして置かれていました。

そして、1626年、パオラ水道への接続が許可され、ジローラモ・ライナルディの設計によりファルネーゼ家の紋章のユリの花から水のしぶきが出る今の噴水ができあがりました。

こんなに大きな古代ローマの芸術作品を自分の宮殿前の広場の飾り付けに使いたいというルネサンス時代の貴族の芸術の美に対する欲求の強さには感嘆します。そして、当時、美しいと考えられていたのは、ローマ、ギリシャなどの古典芸術だったんですね。

噴水の奥は、スウェーデンの「聖ビルジッタ」とその娘「聖カテリーナ」が
1350年から亡くなるまで住んでいたと言われるサンタ・ブリジダ教会。


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