Natsuko Tomi

歴史、特に古代史に魅かれています。現在、中部イタリア在住のため、おもに古代エトルリア文…

Natsuko Tomi

歴史、特に古代史に魅かれています。現在、中部イタリア在住のため、おもに古代エトルリア文明や古代ローマについて執筆。金銭ではなく、心が豊かな社会になるよう願い、同じような考え方の方と繋がることによって、「和」を広げていきたい。

マガジン

  • エトルリア文明

    紀元前8世紀から、ローマ帝国に滅ぼされる紀元前1世紀頃にイタリア中部で栄えた文明の記事。ギリシャ文明や古代ローマと交流を持ちながらも、権力や武力が優位にたつ男性性の強い社会ではなく、女性の地位を下げることはなく大地母神を敬った文明。

  • 古代ローマ

    紀元前753年イタリア、ローマで王政ローマが誕生してから、共和政、帝政と政治形態を変更しながら領土を拡大した古代ローマ。その繁栄から476年の滅亡までの遺跡をたどりながら書いた記事のまどめ。

  • 独り言の読書記録

    主にイタリア語で読んだ本の読書記録。イタリア在住でイタリア語で読んだからこそ感じられる感想を書いています。

  • イタリアの伝統仮面演劇 コンメディア・デッラルテ

    コンメディア・デッラルテのイタリア人俳優が、特に若者に伝えたいとつくっている動画を通し、イタリア、ヨーロッパの文化、時事問題などを紹介

最近の記事

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エトルリアの女性「夫婦の陶棺」

知的で優しい笑みを浮かべ、守るように女性の肩に、そっと手を回す男性。 これは、ローマの北西、海の近くにあったエトルリアの都市チェルヴェーテリのネクロポリス、バンディタッチャ遺跡から1881年に出土した「Il Sarcofago degli Sposi(夫婦の陶棺)」です。 発見当時400の破片に壊れていたのを、現在、納められているヴィラ・ジュリア国立博物館の創設者が、並外れた美しさを直観し買い取りました。 紀元前530年から520年のものとされ、当時は鮮やかな色が施され

    • イタリアのボルセーナ湖と竜と戦った聖ゲオルギオスとの深い関係

      世界で2番目に大きいカルデラ湖である中部イタリアのボルセーナでは、古代エトルリア時代には水の女神であったと考えられるウォルトゥムナが崇められていました。現在はその跡をキリスト教の聖クリスティーナが継いでいると思われる、という記事を前回書きました。 その聖クリスティーナに捧げられた教会が、ボルセーナにあるサンタ・クリスティーナ教会です。(この教会は、ボルセーナの奇跡が起こったことでも有名です。) このサンタ・クリスティーナ教会には、聖クリスティーナの装飾と同様に、聖ゲオルギ

      • ボルセーナ湖を中心とするエトルリア圏でキリスト教が認められるのに貢献した聖クリスティーナの真の姿とは

        キリスト教には、たくさんの聖人がいます。模範的な信仰と徳行を示し、奇跡的な出来事が関連付けられた人物が、教会によって列福および宣聖されるのですが、キリスト教史初期の聖人は、主に、ローマ帝国によってキリスト教が禁止されている中、どのような苦難にあっても、信仰を貫き、殉教していった人達でした。 中でも4世紀初頭、ディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害により殉教した聖クリスティーナは、数多くの拷問を受けました。 ヤコブス・デ・ウォラギネが1260年頃に書いた黄金伝説によると、聖

        • 【古代ローマ英雄伝説に隠された真実】ローマを震撼させたエトルリアの王ポルセンナ

          紀元前509年、古代ローマは第7代にして最後の王タルクィニウス・スペルブスを追放し、共和政に移行しました。しかし、権力を奪われたタルクィニウス・スペルブスは、そう簡単に王位を手放そうとはしませんでした。エトルリア出身であった彼は、まず、エトルリアの都市カエレを頼り、さらにはキウージのルクモネ(宗教、政治の最高権力者)ラルス・ポルセンナにローマと戦争するよう説得します。 ポルセンナは、有能な軍の指揮官であっただけでなく、狡猾な政治家でもありました。そのため、キウージを含む中部

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        エトルリアの女性「夫婦の陶棺」

        • イタリアのボルセーナ湖と竜と戦った聖ゲオルギオスとの深い関係

        • ボルセーナ湖を中心とするエトルリア圏でキリスト教が認められるのに貢献した聖クリスティーナの真の姿とは

        • 【古代ローマ英雄伝説に隠された真実】ローマを震撼させたエトルリアの王ポルセンナ

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        • エトルリア文明
          25本
        • 古代ローマ
          28本
        • 独り言の読書記録
          9本
        • イタリアの伝統仮面演劇 コンメディア・デッラルテ
          3本

        記事

          古代ローマのインフラの要「マッジョーレ門」

          ローマの中心から南東の方向に、建造された当時は真っ白であったであろうトラバーチン(大理石の一種)のブロックをその頃の様式で大胆に積み上げた、まるで凱旋門かのような門があります。3本の柱と2つのアーチで構成されていて、柱の真ん中は向こう側に通じており、神殿のような三角の屋根やコリント式の半円柱で飾られています。古代ローマ時代に造られたこの建造物は、現在、マッジョーレ門と呼ばれています。名前の由来は確かではありませんが、この場所から道一本でたどりつけるサンタ・マリア・マッジョーレ

          古代ローマのインフラの要「マッジョーレ門」

          ローマ最古の円形の教会「サント・ステファノ・ロトンド」

          珍しい丸い形をした初期キリスト教建築のサント・ステファノ・ロトンド教会。(ロトンドは、「円形の」という意味)ローマ最古の円形の教会で、最初の殉教者ステファノに捧げられています。その形から、古代ローマの神殿を彷彿させ、多神教の神殿を教会に転用したものかと思いそうになりますが、この教会は、西暦460年頃に最初から教会として建造されています。 古代ローマ時代、この場所には、食料物資の貯蔵や軍事通信の処理などを担う準軍事部隊の隊員が駐屯していた兵舎がありました。 ただし、この場所

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          ローマの7つの丘の一つ「チェリオの丘」古代ローマの遺構めぐり

          ローマの7つの丘の一つチェリオの丘は、古代「オークの木の山」と呼ばれていました。そこへ、ローマ3代目の王トゥッルス・ホスティリウスのもと攻撃され破壊された町アルバ・ロンガの住民が移住させられ、開拓がはじまります。 その後、エトルリアの英雄カエリウス・ヴィベンナが、駐屯したことにより、現在のようにカエリウス(イタリア語でチェリオ)の丘と呼ばれるようになりました。6代目の王セルウィウス・トゥッリウスは、カエリウスの副官として、チェリオの丘を占領し、その後ローマ全体を支配したとも

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          【隠蔽された歴史】古代ローマはエトルリアに征服されていた?ローマの七丘に名前が残るエトルリアの兄弟

          古代ローマの、建国から七代続く王政時代の歴史(紀元前753年‐紀元前509年)は、口承に基づいており、伝統的に語り継がれている歴史とは、異なるバージョンがあることもあります。 例えば、奴隷の子であったとされる6代目の王セルウィウス・トゥッリウス(在位:紀元前578年‐紀元前535年)は、5代目の王タルクィニウス・プリスコの養子となり、女王タナクィルの機転で王位を継承したと一般的に信じられていますが、この説とは異なる考古学的・文学的資料も存在するのです。 その中で最も重要な

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          イタリアのクリスマスの飾り付け「プレゼピオ」の起源を古代に探る

          クリスマスが近づいてきました。 キリスト教を信じる人がほとんどいない日本でも、街はクリスマスのデコレーションで賑わいますが、国民のおよそ80%がキリスト教カトリック信者であるイタリアでは、なおさらのことです。 今となっては、クリスマスツリーやサンタクロースなどの、イタリアが起源ではない飾り付けも欠かせませんが、イタリアのクリスマスのデコレーションと言えばプレゼピオ(プレゼーペとも呼ばれます)。イタリア人の信心深さが表れている飾り付けです。 プレゼピオは、イエス・キリスト

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          古代イタリア文明エトルリアは、なぜ12の都市で連盟をくんだのか

          古代ローマ以前、中部イタリアでは、エトルリア人による文明が繁栄していました。エトルリア人(エトルスキ)は、統一国家を築くことはなく、12都市連盟と呼ばれるゆるやかな連合を形成していました。それは、政治、軍事目的でつくられたわけではなく、宗教祭祀を共同で行うことにより、同一民族への帰属を表明するものでした。 この連盟ですが、エトルリア社会で、たまたま重要な都市が「12」個であったため、12の都市で連合を組んだのでしょうか。例えば、国際連合は1945年51か国の加盟国で設立され

          古代イタリア文明エトルリアは、なぜ12の都市で連盟をくんだのか

          オルヴィエートに奪われた「ボルセーナの奇跡」の聖遺物

          復活祭(イースター)後の第9日曜日に祝われる、キリスト教カトリックの主要な祭典の一つ「聖体の祝日」。この祝日は、ボルセーナで起きた奇跡がきっかけとなり、1264年、ローマ教皇ウルバヌス4世により制定されました。 ボルセーナの奇跡は、1263年の夏、ボヘミアの司祭、ピエトロ・ダ・プラハがボルセーナのサンタ・クリスティーナ教会にてミサを行っている最中に起こりました。 カトリック教会のミサは、イエスが十字架にかけられる前の晩、弟子たちと共に行った「最後の晩餐」を再現しています。

          オルヴィエートに奪われた「ボルセーナの奇跡」の聖遺物

          エトルリア12都市連盟の首都であったヴォルシニイは、現オルヴィエートだという虚構

          古代ローマ以前に中部イタリアに栄えたエトルリア文明。エトルリア人(エトルスキ)は、統一国家を築くことはなく、12都市連盟と呼ばれるゆるやかな連合を形成していました。この連盟は、結成当時は、軍事や政治を目的としたわけではなく、12都市の代表者たちが、毎年、ファヌム・ウォルトゥムネ(ウォルトゥムナ神に捧げられた聖域)に集まり、祭祀を共同で行い、民族的一体性を強めるためのものでした。(後に、古代ローマに対立するために、政治的議論もするようになります。) 歴史家によりこの12の都市

          エトルリア12都市連盟の首都であったヴォルシニイは、現オルヴィエートだという虚構

          「独り言の読書記録」アルケミスト/パウロ・コエーリョと出産前日に見た夢

          世界的ベストセラーとなったブラジル人作家パウロ・コエーリョによる「アルケミスト ー 夢を旅した少年」。先日、友達との会話で話題にのぼったのですが、まだ読んでなく、錬金術(ラテン語でAlchemiaアルケミア、アルケミストは錬金術師という意味)には常々興味を持っていたので読んでみることにしました。 内容は、私が期待していたようなものとは少し違いましたが、人生に役立つような教訓がたくさん台詞に込められていて、今から夢を追いかけたいと思っている若者を後押ししてくれるような本でした

          「独り言の読書記録」アルケミスト/パウロ・コエーリョと出産前日に見た夢

          歴史から抹消されたエトルリア語の数少ない考古学資料の残るオルヴィエートのネクロポリス

          イタリア中部、ウンブリア州のオルヴィエートには、古代エトルリア時代のネクロポリスが残っています。 他の有名なチェルヴェーテリやタルクィニアのネクロポリスと違い、大きな土まんじゅうはなく、3×2mほどの、ほぼ同じ大きさの直方体のお墓が、きちんと並んでいます。近くで発見された凝灰岩のキリストの十字架像より「Necropoli di Crocifisso del tufo(凝灰岩のキリストの十字架像のネクロポリス)」と呼ばれています。 200以上あるお墓は、凝灰岩のブロックで造

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          ギルガメシュと旧約聖書の類似点 ~大洪水とわれわれに似せた人間を創った神(々?)~

          古代メソポタミアの文学作品「ギルガメシュ叙事詩」。現在に残る最古の写本は、紀元前2000年紀初頭に書かれたシュメール語版で、人間の知られている歴史の中で最も古い作品です。 楔型文字で粘土板に記された「ギルガメシュ叙事詩」を解読した結果が、1872年に初めて発表された時は、世界中に大きな旋風が巻き起こりました。それは、旧約聖書の「ノアの方舟」に酷似した洪水物語が描かれていたからです。 旧約聖書は、紀元前6世紀の、ユダヤ人がメソポタミアのバビロニアへ、捕虜として連行され移住さ

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          出会うべき時に出会えた本!D.H.ローレンスの「エトルリアの遺跡」

          「息子と恋人」や「チャタレイ夫人の恋人」などの英文学作品で有名なD.H.ローレンス。 その彼が、1927年に中部イタリアの古代エトルリアの4都市(チェルヴェーテリ、タルクィニア、ヴゥルチ、ヴォルテッラ)を巡り「Etruscan Places(邦題:エトルリアの遺跡)」という紀行文を残しています。 私も、この本を2年程前に読み、エトルリア文明に、さらにハマるきっかけとなりました。 エトルリアは、紀元前8世紀から、紀元前1世紀頃古代ローマに滅ぼされるまで、イタリア中部で栄え

          出会うべき時に出会えた本!D.H.ローレンスの「エトルリアの遺跡」