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第3代ローマ教皇に起源を持つローマに25堂ある枢機卿名義教会の一つサン・クリソゴノ教会

ピラミッド型のローマ、カトリック教会の頂点に立つのがローマ教皇。その教皇に次ぐ位置につき、教皇を支えるのが枢機卿です。緋色の服を身に纏った彼ら枢機卿は、ローマ教皇が亡くなるとコンクラーベと呼ばれる教皇選挙にて、次期ローマ教皇を選出する権利を有します。

現在、枢機卿は全世界に236人。そのうち一人は、日本人です。

枢機卿は、イタリア語でcardinaleカルディナーレと言いますが、それはラテン語の「cardoカルド(蝶番)」に由来しています。これは、枢機卿が、教会にとって、回転の中心である蝶番のように重要なものという意味があります。

ローマ教皇を補佐する枢機卿という役職は、すでに5世紀には、確定し始めていました。枢機卿という称号が、ローマの教区の25の教会に配属された司祭に与えられていたのです。25というのは、第3代ローマ教皇アナクレトゥス(在位:80年頃-92年頃)が、キリスト教共同体の統治を補佐させた司祭の数でした。彼らは、ローマの中の重要な教会の司祭でもあったことから、司祭枢機卿と呼ばれました。(他にも、司教枢機卿、助祭枢機卿がいます。)

司祭枢機卿の数は、1500年間25人のままでしたが、16世紀には倍の50人、20世紀には100人を超えました。

そして、司祭枢機卿が司祭を務めるローマの教会は、枢機卿の名義教会と呼ばれました。500年程前までは、司祭枢機卿が25人だったので、枢機卿の名義教会も25堂ありました。(現在は、枢機卿の数だけ枢機卿の名義教会も増えましたが、実際、枢機卿がその名義教会の司祭を務めるわけではなく、名義上だけのものになりました。)

その枢機卿のオリジナルの25の名義教会は、ローマの教会の中でも最も古い教会に属しますが、その一つが、ローマ、トラステヴェレ地区にあるサン・クリソゴノ教会です。

アクイレイアで殉教した聖人クリソゴヌスに捧げられたこのサン・クリソゴノ教会は、ローマ教皇シルウェステル1世(在位314年-335年)下に建設されており、499年、第一回ローマ教会会議が行われた際の枢機卿の名義教会リストにも記載されています。そして、その後の12世紀、さらに1626年に改築されています。

サン・クリソゴノ教会のファサードは、4本のトスカーナ式列柱のあるプロナオス(神殿入口)や鷲や花壺の彫刻で飾られたバロック様式。

サン・クリソゴノ教会のファサード
Di LPLT - Opera propria, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7586506

教会内部は、3つの身廊が2列の溝彫りがないイオニア式列柱で区切られた袖廊はないシンプルなバジリカ様式の平面で、17世紀に改築されたものですが、柱や床の大理石は、以前の建物から転用されたものが使われています。

身廊の22本の花崗岩の柱は古代の神殿か貴族の邸宅で使われていたもの。
床は、三角や四角、丸にカットされた4色の大理石を
幾何学模様に埋め込んだ中世のコスマテスコ様式。全てローマ時代の大理石が使用されている。
円形の大理石は古代の円柱を水平にカットしてできたもの。
中央祭壇

現在のサン・クリソゴノ教会も美しいのですが、この教会が魅力的なのは、教会地下に残る、1907年に発見された初期キリスト教時代の聖堂を見学できるところにあります。教会の地下へ行けるとなると私は胸がゾクゾクします。

教会、左奥にある聖具室より、3ユーロ(2024年5月時点)を払い、階段を降りると、そこは、ちょうど改築前の聖堂のアプス(後陣)にあたります。

後陣とクリプタ(8世紀)
聖クリソゴヌスの聖遺物を見ることができる窓までつながっていた通路に描かれた
聖クリソゴヌス、聖ルフィーノ、聖アナスタシア(8世紀)

現在の教会は、この地下の聖堂より、少しずれた位置に建てられていて、地下聖堂の中心部分は、現在の教会の基礎部分で覆われているため、地下部分は、右手と左手に分かれています。

後陣を背に、右手に向かうと洗礼に使われていた浴槽がある部屋があります。初期キリスト教では、洗礼を行う時は、現在のカトリック教会のように頭部に水を注いだり、濡れた手で頭を水に沈める所作を真似るだけではなく、全身を水に浸していました。この場所は、古代ローマ時代には、布地の染色屋であり、奥の扉から直接出入りができていたと考えられています。

洗礼用の浴槽。使用されていた当時はもっと深く、浴槽の真ん中の壁もなかった。
祭壇に残るフレスコ画
聖人が描かれたフレスコ画

後陣を背に左手に向かうと、テラコッタ製の棺やフレスコ画、聖堂の入り口部分を見ることができます。

聖堂発掘時に発見されたが、海をモチーフにしており、多神教時代の棺である
ハンセン病患者を治療する聖ベネディクトゥス

現在は、世界人口の30%以上を占めるキリスト教。しかし、313年にキリスト教が認められるまで、信者は迫害され、殉教した人もたくさんいました。それでも、キリスト教信者は、個人の家に隠れて集まり、祈りを捧げていました。そして、キリスト教が公認されてからは、その場所に聖堂が建てられたのです。ですから、聖クリソゴヌスに捧げられたと考えられているこの教会ですが、ここには信者であり、場所を提供した同名のクリソゴヌスという人物の家があったところかもしれないとも考えられています。

華やかな教会の地下にて、迫害されていたキリスト教信者の歴史を垣間見ることができる教会です。

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