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イタリアのボルセーナ湖と竜と戦った聖ゲオルギオスとの深い関係

世界で2番目に大きいカルデラ湖である中部イタリアのボルセーナでは、古代エトルリア時代には水の女神であったと考えられるウォルトゥムナが崇められていました。現在はその跡をキリスト教の聖クリスティーナが継いでいると思われる、という記事を前回書きました。

その聖クリスティーナに捧げられた教会が、ボルセーナにあるサンタ・クリスティーナ教会です。(この教会は、ボルセーナの奇跡が起こったことでも有名です。)

サンタ・クリスティーナ教会

このサンタ・クリスティーナ教会には、聖クリスティーナの装飾と同様に、聖ゲオルギオス(英語ではジョージ、イタリア語ではジョルジョ。ここではwikipediaに合わせ、ゲオルギオスとします)の装飾もたくさんあります。

入り口の扉のルネット(半円形の部分)に施されているテラッコッタの装飾も、聖母子を中心に左が聖クリスティーナ、右が聖ゲオルギオスです。

Benedetto Buglioniによる釉薬をかけたテラコッタ装飾
教会内部にある絵画にも描かれています。右が聖クリスティーナ、左が聖ゲオルギオス

そして、このサンタ・クリスティーナ教会のある教区の名前は、「聖ゲオルギオスと聖クリスティーナ」と言います。何故、聖クリスティーナが生まれ殉教したこの地で、聖クリスティーナだけではなく、他国生まれの聖人ゲオルギオスへの信仰もあるでしょうか。

聖ゲオルギオスは、西暦280年頃、キリスト教信者であった両親の元、カッパドキアで生まれ、ローマ帝国の軍人として勇敢に戦い皇帝の護衛兵にまでなりましたが、多神教の神々への崇拝を拒否し、キリスト教信者であることを貫いたため、303年ニコメディアかリュッダで殉教したとされています。

この聖ゲオルギオス、キリスト教会の間でとても高い人気があります。英国のイングランドや、ロシアのモスクワの守護聖人であり、コーカサス地方のジョージアの国名はゲオルギオス(英語でジョージ)に由来します。イタリアでも聖ゲオルギオスを守護聖人とする町は100を超え、21もの町の名前にSan Giorgio聖ゲオルギオスが含まれます。そして、彼のシンボルである白字に赤の十字架は、十字軍の軍旗にもなりました。

聖ゲオルギオスの人気がここまで高まったのは、聖ゲオルギオスが竜を殺したという伝説が残るからです。

「聖ゲオルギオスと竜」ラファエロ・サンティ作 1504年頃
表紙の「聖ゲオルギオスと竜」は、ヴィットーレ・カルパッチョ作 1516年
他にもたくさんの芸術家がこの題材で絵画や彫刻を残しています

伝説によると、リビアのシレーナという地にある池に、狂暴な竜が住んでいて、時々町までやってきては、息をふきかけ、住民を殺していました。そんな竜を何とか鎮めようと、住民は、毎日、羊を2匹献上していました。ところが、その羊も残り少なくなり、最後には、羊を1匹と、くじで選ばれた人間の若者を一人、生贄にすることになりました。ある日、選ばれてしまったのは、王の若い娘でした。恐怖に襲われた王は、娘の命を助けるため、全財産や国土の半分と交換に、身代わりを探しますが、息子や娘たちを失くしてきた国民は反乱を起こします。それゆえ、王は、自分の娘を竜に差し出さなければなりませんでした。

ちょうどその時、若い騎士ゲオルギオスが、そこを通りかかりました。事の成り行きを知ったゲオルギオスは、キリストの名において王女を助けるゆえ怖がることはないと彼女に告げると、竜に向かって勇敢に立ち向かっていきました。そして、槍で竜に重傷を負わせると、彼女のベルトを竜の首に巻き付け、竜を町まで連れて行きました。怖がる住民にゲオルギオスは、もしキリスト教に改宗し、洗礼を受けるならば、竜を殺すと約束します。そこで、国王や民衆は全員改宗し、ゲオルギオスは竜を殺害した後、4頭の牛に牽かせ町の外へ運ばせたそうです。

それでは、なぜ、竜を殺したという伝説が残る聖ゲオルギオスへの信仰がボルセーナであったのでしょうか。どうやら、中世の時代、湖周辺の住民は、ボルセーナ湖に竜が住んでいると信じていたようです。もともと、火山活動によって、できたボルセーナ湖。現在でも、小さな地震はよく起こります。大地の揺れにおびえた住民は、湖に住んでいる巨大な竜が大地を揺らしていると考え、聖ゲオルギオスにご加護を求めたのです。

この地での聖ゲオルギオスへの信仰の痕跡は、サンタ・クリスティーナ教会だけではなく、湖の北にはゲオルギオスの名を冠したカステル・ジョルジョ(ジョルジョは、ゲオルギオスのイタリア語)という町もあります。

ボルセーナで聖ゲオルギオスへの信仰が始まったのは中世の時代。例えばヤマタノオロチが出てくる神話の時代とは違い、古代ローマという偉大な文明が栄えた後の時代です。しかし、暗黒の時代と呼ばれる中世には、人々は聖書に書かれていることのみが真実だと信じていました。そして、聖書には、竜と戦った聖ミカエルの話が語られています。そのため、竜の存在は、簡単に信じられることだったのです。(現在でも、恐竜がいたことを否定するキリスト教信者もいます。聖書には書かれていないためです。)

しかしながら、本当に住民は、湖に住む竜を恐れ、自ら聖ゲオルギオスを信仰したのであろうかと私は思うのです。

西洋においては、竜は蛇と同様にたいてい「悪」の象徴とされ、悪魔と同一視されたり、邪悪な生きものであるとされてきました。

イギリスの考古学者ウォーリス・バッジは、以下のように言っています。

聖ゲオルギオスと竜の伝説は、光と闇、ラーとアペピ、およびマルドゥクとティアマト間の闘争を語った古代世界の物語のたくさんあるバージョンの一つに真実の歴史をほんの少し織り交ぜただけに過ぎないのではないか。鱗で覆われ、翼を持ち、おぞましいドラゴンであるティアマト、そして栄光ある太陽神の強大な敵であるアペピは、どちらも破壊され、火の中で焼け死んだ。

E.A.Wallis Budge, The Martyrdom and Miracles of Saint George of Cappadoccia

闇と混沌を象徴し大蛇として描かれるエジプト神話のアペピ、大洪水を起こす竜と形容されたメソポタミア神話の原初の海の女神ティアマト。どちらも、光である男神に敗れてしまいます。

私には、ボルセーナでの信仰の形は以下のように変わっていったのではないかと思われるのです。まず、キリスト教会は、この地で崇められていた女神ウォルトゥムナに変わる存在として殉教した少女クリスティーナを聖人とし、住民をキリスト教へ改宗することに成功させた。けれども、女神ウォルトゥムナのイメージを残す女性であった聖クリスティーナに強い信仰が集まり続けることを恐れたのではないかと。そのため、教会は、ボルセーナ湖に住む竜への恐怖を住民に植え付け、女神ティアマトのような容姿を持つ竜を殺した男性であった聖ゲオルギオスへの信仰へ移行させ、アトリビュートに蛇を持つ聖クリスティーナの価値を落とそうとしたのではないかと。

そして、ボルセーナ湖に、竜が住んでいるということを、民衆に信じさすことは、それほど大変なことではありませんでした。なぜなら、ボルセーナに住む竜を殺したという伝説は、エトルリア時代からすでにあったからです。この伝説については、またの機会に。

また、ボルセーナ湖には、古代より4つの呪術がかけられています。
今回、紹介した「聖ゲオルギオスに庇護を求めた」ことが、中世の時代にかけられた呪術で、ルネッサンスの時代に入ってからも、また違う呪術がかけられています。(下記リンク参照)


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