丸い形が美しいルネサンス建築の傑作ブラマンテのテンピエット
イタリア、ローマのテヴェレ川右岸に位置するジャニコロの丘の上に、建築家ドナト・ブラマンテが、カトリック両王(カスティーリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世)に依頼を受け、1502年から1509年頃に建てた小さな円形の礼拝堂テンピエットがあります。
イタリアでは、Tempietto di San Pietro in Montorio または、単にTempietto del Bramante と呼ばれています(テンピエットは、tempio (神殿、教会)の縮小形で、小さな神殿、小さな教会という意味)。建築家の名前から「ブラマンテの小さな神殿」と簡単に呼ばれるか「モントリオの聖ペトロに捧げた小さな神殿」と呼ばれるのです。
というのも、このテンピエットは、サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の中庭に位置し、ちょうどこのテンピエットが建てられている場所で、イエスの最初の弟子であり、初代ローマ教皇であった聖ペトロが磔刑に処されたという伝説が残るからです。(聖ペトロが殉教した場所については諸説あり)
テンピエットには地下聖堂があり(私が訪れた2024年6月時点で地下聖堂内部には入ることが出来ませんでした)、その床のちょうど中心に穴が開いています。そこに十字架が立てられたと言われているのです。この場所は、テンピエットができるずっと前から、聖ペトロへ祈る場所であったのかもしれません。
この小さな円形のブラマンテの神殿は、古代ギリシアのドリス式を簡素にした柱に溝がないトスカーナ式と呼ばれる列柱で囲まれています(ペリプテロス式)。その列柱の数は16。それは、古代ローマ時代の建築家ウィトルウィウスの「建築について」という著書の教えに従っているそうです。ウィトルウィウスは、16=10+6であり、ピタゴラス派によればどちらも完全な数であることから、16という数は完全であると考えました。さらに、16は8+8にも分解でき、8は無限を表すと同時に、死と復活を表す非常に象徴的な数字でもあったのです。
古典古代の文化を復興しようとしたルネサンス期、このブラマンテのテンピエットも古代ローマのヘラクレス・ウィクトール神殿にインスピレーションを受けています。
ただ、このブラマンテのテンピエットが古代の復興であるだけではなく、ルネサンス的なのは、何よりもニッチ(壁龕)によってデザインされたドラム(円筒形の部分)の上に乗せられたクーポラ(丸屋根)にあるでしょう。
クーポラによって、異教徒の神殿がキリスト教の神殿に変わるのです。
そして、ルネサンス的特徴は、クーポラだけではありません。このテンピエットが華麗で美しいのは、幾何学的寸法に基づいた割合でつくられており、バランス(調和)が重視されているからです。
例えば、テンピエットはクーポラに収まる球体が二つ入る高さであり、底面の直径はクーポラの半径の3倍です。
さらに、原案では、テンピエットは、円形の中庭に設けられた16の列柱の円形のアーケードで囲まれる予定でした。残念ながら、経済的理由により、この案は実現されませんでしたが、テンピエットの美しさは、同時代から数世紀後まで、様々な人を魅了しました。
テンピエットが影響を与えたのは絵画だけではありません。世界の主要都市にはテンピエットに倣った建物が数多く存在します。
何世紀もの間、インスピレーションを与え続けたテンピエットの調和のとれた形は、ルネサンス時代には革命的だっただけではなく、この形に見慣れてしまった現在の私達にとっても永遠の美しさが感じられます。
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テンピエットが立つジャニコロの丘は、古代ローマ時代、エトルリアの王ポルセンナが駐屯し、ローマへ侵攻した場所でした。
聖ペトロは、サン・ピエトロ大聖堂の近くに存在していたピラミッドの傍で磔されたとも言われています。
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