イタリアのクリスマスの飾り付け「プレゼピオ」の起源を古代に探る
クリスマスが近づいてきました。
キリスト教を信じる人がほとんどいない日本でも、街はクリスマスのデコレーションで賑わいますが、国民のおよそ80%がキリスト教カトリック信者であるイタリアでは、なおさらのことです。
今となっては、クリスマスツリーやサンタクロースなどの、イタリアが起源ではない飾り付けも欠かせませんが、イタリアのクリスマスのデコレーションと言えばプレゼピオ(プレゼーペとも呼ばれます)。イタリア人の信心深さが表れている飾り付けです。
プレゼピオは、イエス・キリスト降誕(誕生)のシーンを彫刻の人形で再現したものです。大きな彫像を使ったものや小さな彫像を使ったもの、登場人物も赤ちゃんのイエス・キリスト、聖母マリア、聖ヨセフだけのものから、天使、三博士など聖書に登場する人物や羊飼いや洗濯をしている民衆など多くの人形を並べたもの、また、彫像が動くようにからくりがなされていたり、小さな電灯がつけられているものまで、様々です。
プレゼピオの起源は、イタリア中世に遡ります。今からちょうど800年前1223年のクリスマスイヴ、アッシジの聖フランチェスコが、Greccioという町で、「イエス・キリストがベツレヘムに生まれた時に、赤ちゃんに必要な物が何もない中、牛とロバのそばで干し草のひかれた飼い葉桶に寝かされていた様子を身をもって感じたい」と思い、キリスト降誕のシーンを再現するよう、民衆に指示したことが始まりであると言われています。現在でも、この時のように、彫刻ではなく実際に信徒たちで、表現することもあり、Presepio Vivente(生きているプレゼピオ)と呼ばれています。
でも、実は、年末のこの時期に、彫刻の人形を並べるという行為は、古くローマ時代(おそらくエトルリア時代も)にも行われていました。
古代ローマでは、392年にキリスト教が国教化されるまでは、たくさんの神々が崇拝されていました。亡くなったご先祖様の守護霊も、オリュンポス12神のように神々の頂点に立つような神ではありませんが、厚い信仰を集めていました。それぞれの家庭内で、奴隷を含むその家に住む人達を守ってくれる守護霊は、Lares Familiaresと呼ばれていました。(Laresの語源は、ラテン語のlares「炉」とエトルリア語のlar「父」と考えられているため、ラレス・ファミリアレスのような神々への信仰はエトルリア時代が起源であったと考えられます。)このラレス・ファミリアレスを拝むために、古代ローマ人は、亡くなった家族の彫像をテラコッタやロウ、木材でつくったのです。そして、家の奥に専用の壁龕をもうけ、それらの彫像を配置しました。日本人が仏壇や神棚に手を合わすように、古代ローマ人も信仰心の高い人は毎日、もしくは、成人、旅立ち、帰宅、結婚、出産など事あるごとに、ロウソクに火をともし、お香を焚いてラレス・ファミリアレスにお祈りしたのです。
そして、古代ローマでは、ユリウス暦で12月17日から23日まで、農業と種まきの神様サトゥルヌスに豊作を祈願する「サトゥルナリア祭(農業祭)」が行われていたのですが、その最後の日に、親戚が集まり、その年に亡くなった家族の彫像を贈り合う習慣がありました。(サトゥルナリア祭は、クリスマスの起源になったとも言われています。)その日までに、ご先祖様の彫像を磨き、牧歌的な雰囲気を醸し出しながら壁龕に並べるのは子どもたちの役目であったそうです。
古代ローマ時代に、太陽の力が最も弱い冬至前後の寒さの厳しいこの時期に春の再来を願いながら盛大に行われていたお祭りの最後の日、つまり現在のクリスマスにあたる時に、ご先祖様の守護霊であるラレス・ファミリアレスの彫像を親戚の間で贈り合い、並べて崇拝していたというならば、それが現在のプレゼピオの起源であるのに違いないと私には思えます。
参考文献:
https://www.bottegadelmonastero.it/quando-san-francesco-invento-il-presepe/
https://archeocafe.wordpress.com/2016/12/12/paganesimo-vs-cristianesimo-perche-facciamo-il-presepe/
素直にうれしいです。ありがとうございます。