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【海のはじまり】第1話感想:すごい物語が始まってしまった

はあ。もう。胸がいっぱいです。

2024年7月期フジテレビ月9ドラマ「海のはじまり」。
放送開始の1か月前から興奮状態で記事を上げ続け、放送日当日はもう、ついに今日かと、オンエア前に謎の達成感に包まれていました。
しっかりと食事をとり、早めにお風呂にも入り、完璧なコンディションで昨日21時の放送を見守りました。

観終えた感想として、一言で言うと、泣く暇もないくらい見入ってしまいました

いやあ。
1か月前からあれこれとストーリーやキャラクターを想像して既に泣いていた私ですから、もう第1話を観てしまったら滝のような涙だろうなと思っていたのですが。
もちろん、ぐっと来るシーンもたくさんあったし、2回目を観た時にはあらためて涙がこぼれましたが、リアタイで1回目を視聴した時、想像以上に核心へ切り込む作品なのかもしれないという制作側の覚悟をヒシヒシと感じてしまい、また、目黒蓮さんはじめとするキャストの皆さんのレベチなお芝居に息をのみ、「す…すごいドラマが始まってしまった…」という感じの衝撃で、ただただ見入ってしまいました。
これから毎週月曜21時にこの重みに浸ってそれを背負って1週間を過ごす夏になるのかと思うと、もう愛情重めなドラマ好きとしてはたまりません(とても褒めてる)。


71分間、まばたきしていなかったかもしれないです。
あっという間に観終えて、しばし呆然。
その後、昨夜は台詞を反芻しながら胸いっぱいすぎてなかなか寝付けず、今朝は妙に目覚めの良い早起きをして、もう朝から2回目、3回目、お気に入りシーンリピートと、ずっと「海のはじまり」しています。

語りたくなるドラマではあるのですが、語る前に、私たちは何を語るべきなのか、どう受け止めるべきなのか、じっくりひとりの時間をつくって考えたくなる、そんなドラマでした。
この記事では、第1話の感想を、つらつらと書き残します。



番組情報

●「海のはじまり」公式サイト


●Tver見逃し配信はこちらから


●名台詞集

さっそく名台詞をまとめたのですが、ちょっと名台詞・名場面の連発すぎて、第1話から信じられない分量になっています。
後に繋がっていきそうな重要なメッセージが多くて、すべて残しておきたくて。
ここからラストまでどのくらいの長さになってしまうのか不安でなりませんが、何度も噛みしめて嚙み砕いて味わいたい、素敵な台詞をまとめています。

▼「海のはじまり」名台詞集


第1話「ママが大好きだった人」

●すべてが詰まったはじまりの2分48秒

冒頭、水季と海が波打ち際を歩きながらの会話シーン。
ここの会話に、もう物語の全部が詰まっているような気がします。

-南雲海「どこから?」
-南雲水季「どこから?何が?」
-南雲海「海。どこから海?」
-南雲水季「水があるところからじゃない?(波打ち際を指さして) ここから。ここ。」
-南雲海「(波が引いたのを見て) ここ、海じゃなくなった?」
-南雲水季「うーん。別に、ここからが海とかってないんじゃない?わかんないけど。海がどこから始まってるか知りたいの?うーん。難しいなあ。」
-南雲海「(水平線を指さして) 終わりはあそこ?」
-南雲水季「ああ、水平線ね。あれは終わりじゃない。終わりに見えるだけであの先もずっと海。」
-南雲海「どこが終わり?」
-南雲水季「終わりはないね。ずーっと海で、その先にまた海岸があるよ。ここみたいに。」
-南雲海「ふーん。」

「海のはじまり」第1話 - 南雲水季/南雲海

●命の象徴としての「海」

「目黒蓮さん主演で海をテーマにした月9」。
最初の報道でこの情報が出た時、このチームで紡がれる物語を月9に持ってくるからには、「夏!海!恋愛!キラキラ!ハッピー!」的なベタな夏恋ドラマではないものになると期待していました。
ですが、まさかここまで、生死や命というものに向き合う覚悟が詰まった作品になるとは。

冒頭シーンの台詞にもあるように、今回「海」は、命や物体としての存在の終わりと始まり、生と死を象徴するものとして置かれていますね。
そして、"始まり"に見える波打ち際や、"終わり"に見える水平線は、人と人の繋がりだったり、親になるということであったり、明確なようで曖昧な区切りの象徴。
そしてその始まりと終わりは、対局にあるようで実は繋がっているし、境界線も、言葉や感情で区切ろうとしても、寄せては返す波のように曖昧なもの。
これからこの物語を見守っていった先で、私たちにひとつのかたちとしてこの物語から提示されるメッセージは、最後、この冒頭シーンに繋がるものになるのではないかと思います。
答えなんてどこにもなくて、でもきっとすべてがここにある。
そんな大切なシーンだったと思います。

ちょっと個人的には、こちらの記事で自分が書いた「海のはじまり」の意味についての箇所に、この冒頭シーンの台詞が重なりすぎて、胸を撃ち抜かれました。

▼『「海のはじまり」の意味』のところでこの件語りました


●映像の質感・モノローグのような音楽

風間監督の作品らしい、グレーみと青みが特徴的な質感。
夏ドラマで、海をあんなに切なく複雑な表情で映す作品って、なかなかなかったのでは。
いつか夏くんや皆の心が前を向いて、晴れやかな綺麗な青色の海が映ったらいいな、なんて願ってしまいました。

そして、得田さんの音楽はやはり素敵です。
今回、第1話ではモノローグや説明台詞がありませんでした。
特にモノローグは、「silent」でも「いちばんすきな花」でも、キャラクターを表し物語のキーワードを散りばめる要素として大切にされていた印象ですが、今回はまったくなくて。
その代わりに、お芝居で、映像で、音声で、そして音楽で、キャラクターの心情を想像させるような余白があって。
特にサントラは、優しくどこか切なくあたたかい繊細な音色で、モノローグのように感情を表現して揺さぶってくるというか。
こういう世界観の作り方が、やっぱりとても好きだなと感じました。


●キーワード:「選択」

第1話には、今後この物語の中で描かれていくであろう重要なキーワードがいくつも散りばめられていたと思います。
まずそのひとつ目が、「選択」。

・仕事の外出中、分かれ道で右へ行ったり左へ行ったり、進むべき方向が分からず道に迷う夏。
・仕事の打ち合わせで、提示されたサンプルに満足せず、選択肢を増やした上で最適を探そうとする弥生。
・入学した大学で、自分の意思でサークルを選ばずに友人に合わせる夏。
・色々なサークルの新歓情報を自ら集め、沖縄料理を食べられる飲み会を選んでやってきた水季。
・好きな動物は何か、選択肢を提示されても選べない夏と、選択肢にないイルカを選ぶ水季。
・妊娠し、中絶することを選択した水季と夏。自分で決めた水季と、水季が決めたならと同意する夏。

第1話だけでも、これだけ「選ぶ」ということが描かれていました。
それぞれのキャラクターの性格がわかる描写にもなっているし、何かを選ぶ・選ばない・選べない・選ばざるを得ない、"選択"に対するそれぞれの立場や感情が表現されています。

人生は、選択の連続で、選んだものと選ばなかったもので出来ている。
でもその背景には、当事者には、一言では終われない色々な感情がある。
選びたくて選んだもの、選ぶしかなかったもの、選ぶことさえ出来なかったもの、色々な背景があって、その中で何かを選ぶということは、選ばなかった何かを置いていくということ。
その置いていったものは、無くなるわけではなくて、置いていったものとして、ずっと残っている。つながっている。
選ばなかったものも、人は背負っている。

そんなことが、描かれていくのではないでしょうか。


●キーワード:「始まりと終わり」

タイトルにもあり、海が象徴するもの、「始まり」と「終わり」も、大切なキーワードですね。

・水季と夏の恋愛の始まりと終わり
・新しく芽生えた命を終わらせる決断をした水季と夏
・その命を終わらせない選択をした水季
・誕生した海ちゃんの人生、未来
・水季の命の終わり

命と家族。
これだけ密接に繋がるものを、あらためて真正面から描く作品も、あまりなかったかもしれません。
人が出会って、関係を築いて、夫婦や家族になって、命が芽生えて、いつか終える。
その命を、人生を生きる本人と、その人に関わる家族や周りの人との繋がり。
これからどんな風に描かれるのか、楽しみです。


●キーワード:「わかったふり」

これは、結構キーワードになってくるのではないかなと思います。
「silent」や「いちばんすきな花」でも描かれていた、生方さんが根底で伝えたいことに繋がる気がします。

・葬儀場での、夏と友人・純希の会話。純希が「でっかい声で誰がかわいそうだの誰の責任だの~」と参列者を非難した直後に、「一人で生きていけそうな感じあった」と水季のことを語る。
・海に対して、母親が死んだことなんてまだ幼くて理解出来ないよね、と話しかける参列者。
・父親がいない海のことを可哀想だと言う参列者。
・「今日1日だけでも水季の7年を想像してほしい」と言う朱音と、この1日で世界が変わるような衝撃を受けた夏、「今日一日くらい休んだ方がいいよ」という弥生。
・「辛かったね」という弥生。
・「不安だったよね」と妊娠が分かった水季に言った夏。

誰にも悪意なんかなくて。人を傷つけようという気持ちなんてなくて。
でも、人が慮る他人の立場や境遇・感情は、想像でしかない
同じものでも、視点の数だけ考えや感情があるということ。
そのすべては主観だからこそ、他者を否定する権利や、他者を定義して語る権利は、本当は誰にもないということ。
わかった気になって見過ごしてしまうことが、想いが、当たり前のように数えきれないほどあること。
それでも、なんとか誰かを想って、心を寄せていくことが、人を繋ぐということ。
「他人のことなんてわからない」というリアルをきちんと突きつけた上で、それでもわかろうと努力する人達の感情が、丁寧に描かれていくのではないでしょうか。

●キーワード:「事故」

妊娠がわかった時の水季の台詞や、次回予告での朱音の台詞に、「事故」という言葉が出てきました。
避妊していても妊娠してしまったこと。
自分に子どもがいたこと。
当たり前の未来を想像していた相手に実は子どもがいたこと。
そのことを、適切な表現ではないかもという前提で"事故"と表現する。
これが後につながっていくと思います。

「事故」とは、思いがけず生じた悪い出来事のこと。
たとえば学生時代の水季の妊娠は、夏も水季も想像すらしていなかったこと。
でも、先日紹介した生方さんのGINGER WEBでのインタビューにもあったように、そういった行為をする時点で、避妊できる確率というのは100%ではないというのが本来は大前提。
確率が低いということは、可能性がないということではなくて。
「こんなはずじゃなかった」と思ってしまう出来事も、本当はそうなってしまう可能性を背負った上で自分たちが選択したことの結果であって、見ないようにしていた可能性に直面しただけ。
本当に想定外の事故と、そうじゃない"事故"がある。
望まれた命の誕生も、想定外の命の誕生も、同じ命なのに、後者は"事故"と扱われてしまう。

また、どんなに水季と夏が気を付けていたとしも、夏が誠実であったとしても、他人は、「だらしない」とか「順序が違う」とか「不誠実だ」と非難するかもしれない。
水季が言うように「どちらも悪くない」のに、男性側が妊娠"させた"と言われてしまうこともある。

"事故"で生まれた海と、"事故"で亡くなった水季。
あえて"事故"と表現するこの脚本の行く末を見届けたいです。


●ハイライト:義父に言わせた「親の勘」

ここからはハイライトで第1話の名場面を。

喪服を取りに実家に帰った夏に、詳細は聞かずともそのことを察して、黒いネクタイを差し出した父・和哉。
「なんでわかったの?」という夏に、和哉は「親の勘」と答えましたが、この台詞を、夏と血の繋がりがない義理の父親である和哉に言わせたのが、良い。さすが。

「silent」でも、紬の母の「親の真心」という台詞がとても良くて印象に残っています。
この「親の勘」について、実母のゆき子も義父の和哉も二人とも勘付いてはいたものの、実母のゆき子は直接夏には聞きに行かず、和哉に様子を見に行かせていました。
まだ夏と親との関係値は分かりませんし、母親・父親、それぞれの役割は親子ごとにあるでしょうから、ゆき子が悪いというわけではまったくありませんが、何をもってして親子になるのか、というこの物語のテーマに対して、血のつながりのない義父・和哉に「親の勘」と言わせる脚本に、唸りましたし、意味を感じます。


●ハイライト:同意書へのサイン

・能天気にハグをする夏と、それどころではない水季。
・卒業して就職して…という未来を当たり前に描く夏と、それどころではない水季。
・波風立てたくないという夏と、波風立ちまくりの現実。

こうした夏と水季を対比させながら、同意書にサインするまでの二人の感情と言葉のやりとり。
このシーンは本当に、考えさせられるものでした。

一人で産まない決断をした水季。
その決断の背景はまだ描かれていませんが、夏に同意書を差し出した時点で、もう産まない一択だった水季。
もしかしたら、夏の家庭環境や、家族・親子というものに対する価値観に配慮して、未来を描くということを選べなかったのかもしれませんし、自身の家庭環境や親子というものへのイメージからの選択だったかもしれません。
いずれにせよ、すべて一人で決めてしまった水季。
夏と出会った頃には、「あらゆる可能性から目を逸らすな」と言っていた水季が、この選択をしたからには、何か理由があったのでしょう。
とにかくこの時の水季は、産むということを選べなかった。
それがその後、産む決意をするに至る経緯も、気になりますね。

そんな水季に対して、まずいつ妊娠がわかったのか、今まで不安にさせてごめんと、水季の気持ちを慮って謝った夏。
ここがすごく夏くんらしくて。
いつも自分の感情はいったん飲み込んで、相手の感情を想像して、寄り添おうとする。
そんな夏を受けて水季の目にはぐっと涙が浮かびました。
いつも奔放にぐんぐん一人で進んでいってしまう水季にも、弱さや揺らぐ部分は当然あって、それを精一杯で包み込もうとする夏の優しさを感じた部分もあると思います。
でも、なんだかこのシーンの水季を見ていると、それだけではないような気がしました。

そもそも、ここはあまりつっこむところではないかもしれませんが、水季が不安だったのって、妊娠が分かってから夏に告げるまでの1週間だけじゃないはずです。
生理が来なくて、妊娠しているかもしれないと気付いて、病院に行くことを決めるまでの間だって、どうしようもなく不安だったはずです。
また、不安だけじゃなくて、もしかしたら授かったよろこびというものを少しでも感じた瞬間があったかもしれませんし、産む未来と産まない未来を両方想像してひとつ選ぶということを一人きりでした時間は、「ごめんね」の一言で報われるほどの孤独ではなかったはず。
水季が夏に告げなかった以上、夏が気付く術はなかったけれど、なんというか、こういう夏くんの純度100%の優しさの少しピントがズレているような描き方も、どうしてもある男女の違いを表すひとつなのかなと感じました。

「他の選択肢はないの?」と夏が水季に声をかけた時、夏は続けて、「考えてから決めて欲しい」と言った。
夏にそんなつもりなかったとしても、この言葉って、水季に選択と決断を委ねたような言い回しでしたよね。
夏の言葉を待つ様子だった水季の表情には、どこか、夏はどう思っているのか、何を考えているのか、今くらいはちゃんと聞かせてほしいという思いが滲んでいるようにも見えました。
産んでほしいとか、一緒に考えたいとか、結果的に選ぶ選択肢は同じだったとしても、そんな風にここで夏が言ってくれたら、水季の意思も、夏の影響を受けたかもしれません。
「夏くんはきっと言わない。決められない。」
そう思ったからこそ一人で決断したのかもしれませんが、やっぱりどこか、期待したというか、願った部分もあったのではないでしょうか。

一方、どうしたって生物学的に身体的負担を負わない夏の立場からすると、あんな風にピシャっと線を引かれるように「夏くんは堕ろすことも産むことも出来ないんだよ。私が決めていいでしょ?」と言われてしまったら、何も言えなくなってしまうのも、わからなくはない。
ここで食い下がることが出来ずに、あと一言、あと一歩、踏み出して踏み込むことが出来なかった夏。
夏は決して不誠実ではなかった。
けれど、自分は身体的負担を負わないという物理的な立場の弱さや、「水季が決めたらなら」という尊重と逃げの紙一重のような思いから、震えながらもすぐに同意書にサインをしました。

この時の夏はそうするしかなかったし、水季もそうするしかなかった。
ちょっと二人は、未熟でした。
だから学生はとか、無責任だとか、非難されがちな結論だけれど、この時の二人の精一杯は、これだったんですよね。
否定も肯定もする気はありませんが、この二人がこの選択をしたという事実は、やっぱりこの二人だけのものです。

夏が選べないだろうから自分で選んだ水季。
選ぶことすら出来ないと引き下がってしまい選ばなかった夏。
震える手を包み合って、「クリスマスどこ行こっか」の台詞。
もう世界一切ないクリスマス過ぎて泣きました。
水季の中では、クリスマスも、その先も、夏と一緒にいる未来を手放すつもりはなかったんですよね。
その上で、今産むという選択肢は、選ぶことが出来なかった。
そこには、それなりの、水季なりの考えや理由があるのだと思います。
もう考察とか予想とか、無意味に思えてしまいます。
何があったのか、何を思ったのか、ただただそれぞれの感情を、受け止めて追いかけていきたい作品です。


●ハイライト:電話1本での別れ

水季が大学を辞めたことを知り、慌てて電話をかけた夏。
そのまま電話越しに話す二人の別れのシーン。
目黒さんのお芝居が圧巻すぎました。

このシーン、夏も頭のどこかに得体の知れない不安の予感のようなものはきっと漂っていたのでは。
それでも、そこに踏み込もうとせず、言葉を飲み込んでしまった夏。
それが水季の性格だからと理解しているからこそ、そうするしかなかったというのがこの時の夏くんの感情かもしれませんが、同意書の時も、いつも、そこで一歩踏み込めない、そこで一言本音を言えない、そんな弱さと逃げ癖がある主人公像が、ちょっと新しいかもしれません。

さきほども言いましたが、夏は決して不誠実ではないし、とても優しくて、いつも周りに配慮をする。
「まあいいや」で色々と流せるところは、時に誰かを優しく包む毛布みたいなものにもなるし、波風立てない、凪いだ海のような穏やかさを人に与える人だとも思います。
そんな夏に、水季も弥生も、癒されたり救われたりするところがあったのではないでしょうか。
でも、そういうどっちつかずの態度や、ここぞという時に決断しない弱さ、尊重という言葉で委ねてしまう意思の弱さが、これから展開していく物語の中で、ますます賛否両論ある語られポイントになっていきそうです。

夏自身、そんな自分に対してはコンプレックスも抱いていそうですし、きっと彼がこの性格になった背景には、自分には選択権がなかったであろう幼い頃の両親の離婚や、義理の父親・弟と築いた家族との関係の中で形成されたものが、少なからず影響をしているのではないかと思います。
この後の電話での水季との別れのシーンもそうですが、「行かないで」とか「待って」とか、他人を求めたり縋るようなことが苦手で上手に出来ない夏くん。
今、水季の訃報を受けて、海の存在を知った夏が、どう自分と向き合っていくのか、見届けたいです。

一方、水季はもう完全に、一人で海を産み育てることを決意した様子でした。
この時の水季サイドの物語はまた今後展開されていくと思いますが、自分で決めた以上、夏には背負わせないという覚悟を感じます。
それは水季の強さでもあるけれど、弱さでもあったのかもしれません。
夏くんの影響は受けないと言っていたけれど、自分にどこか言い聞かせているような。
影響を受けてしまわないように、対面で会うことを避けたような。
この時の水季も、精一杯だったんですよね。
夏くんも精一杯で、もうキャパがなかった。
お互いが何かから逃げるように手放して、必死で、この時はそれしか選べなかった。

お互いきっと、欠点にさえも惹かれ合いながら、すごく好きで、シンプルに楽しい恋愛をしていたのに、ひとつの"事故"で、突然終わってしまった。
二人ともダメなんだけど、二人とも精一杯で、やっぱりこの時の二人の選択を、もう後からとやかく部外者がいう資格なんてないなと思ってしまいます。
私たちはただ、いろんな可能性、立場、感情を想像して、自分の人生を見つめるのみですね。


●ハイライト:ママが大好きだった人

海が夏のアパートを突然訪ねて来たラストシーン。
海ちゃんのバッグの中にチラ見えしていた、水季が描いたであろう、海老名から経堂の夏の自宅までの地図。
海ちゃんも「練習した」と言っていましたが、自分が死んだ後、海がもしパパに会いたいのなら会いにいけるように、道のりを描いて一緒に練習していたのでしょう。
第1話冒頭の、「行きたい方に行きな」の回収。胸がきゅっとしました。

少し見方を変えると、夏には海のことを告げていないのに、海には夏の居場所まで教えた水季。
夏の立場を思うとやはり結構これも奔放な行動のように見えますが、自分の命が短いことを知った水季は、海の未来の事を考えた時に、海が父親を求めるのなら、会いに行ける状況はつくっておきたかったのかもしれません。
ここも賛否両論ポイントですが、まだすべては描かれていませんから、何があったのか、水季サイドの物語を待とうと思います。

そして、海と夏が見せ合った水季の動画。
海と季節の話をする水季が、「夏が好き。夏が一番好き。」と言う。
学生時代、夏と海に出かけた水季が、「海好き。大好き。海大好きだよ。」と叫ぶ。
季節の夏と夏くん、海と海ちゃんが重なって、好きだと言われて、嬉しそうにする海ちゃんと、涙がこぼれる夏くん。
第1話のタイトル、「ママが大好きだった人」は、夏くんと海ちゃん。
見事な展開。もう涙が止まりませんでした。
まっすぐに好きって言われるのって、誰かが自分のことを想ってくれることって、こんな風に嬉しくてあたたかいことなんだよ。

ここで海が見せた動画の中で、「冬眠って何?」と聞いた海に対して、水季は「夏がお迎え来るまでひっそりしてること。」と言いました。
夏に黙って海を産んで育てたけれど、もしかしたらどこかで、いつか会いたいとか、会いに来てほしいとか、そんな風に夏を想っていた水季を表しているかもしれません。
「それは春だな」と、冬眠の次に来る季節は夏でなく春だねと言い直す水季ですが、春って…弥生?
夏の現在の恋人である弥生と海も第2話で出会いそうですが、これからの展開を思わせます。

からの、「パパはいつ始まるの?」の海ちゃんの台詞で、物語の冒頭に戻って終わる。
拍手。もう。ありがとう。
期待してよかった、こういうのが観たかった、忘れられない夏をありがとうございますの気持ちです。

さて。驚きの長文になりましたね。ようやくここまでたどり着きました。
ちょっと登場人物それぞれのキャラクターやお芝居についても書こうと思ったのですが、長すぎるので記事を分けます。


●決めつけないで受け止めたい

ということで第1話、私はもう本当に、待っていてよかったと思いましたし、最終話までぜひ見届けたいと思います。
でも、物語や主人公のキャラ設定など、賛否両論はあるかもしれませんね。

第1話放送直後も、Xなどで感想を見ていると、元カノとの写真や動画を削除していない夏くんがどうのこうのという意見だったり、結局夏と海は手を取り合って今カノの弥生ちゃんも受け入れて美化するんでしょ、といったような意見が目について。
受け止め方は、それぞれなのですが、私個人的には、そういうところの議論はこの物語には必要ないんじゃないかなと考えてしまいます。

登場人物たちが過去にしてきた選択や今後していく決断が、誰かにとっては茶番で、綺麗事に映るかもしれないけれど、その結論自体は正直どうでも良いというか、きっと伝えたい事のほとんどは、そこに至るまでの道のりにあると思うから。
どの人がどんな考えでその選択をしたのかということを、共感出来なくても、理解したり理解しようと想いを馳せてみることが大切で。
好き嫌いはあるし、自由に感じて自由に受け取れば良いけれど、作品の評価軸が、個人の主観であってはならないと思います。
語られることでこの作品が盛り上がり波及していくことは望むけれど、第1話だけ見て離脱したり表面だけなぞって判断されずに、一人でも多くの人が観続けて、見届けた人がそれぞれの心に刻むような、そんな作品になっていってほしいなと思います。
なんだろう、この勝手な親心。

とにかく、私はそんな風に考えながら、想いながら、「海のはじまり」、観ていきたいなと思います。
はあ。とりあえずもう1回観ますね。



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