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より開放の窓へ

そうして文句を言って、何になるの?

そうして不平を言って、どうしたいの?

自分の感情や感覚が相手のものでないことを、

しっかりと考えて、感じて。

            *

 なんていう言葉を、感じたのはもうかれこれどのくらい昔だろうか。

 今でも変わらないけれど、特に当時は陰口というものに、非常な嫌悪を抱いていた。

 自分のことを言われることも、そうでないことでも、こそこそしているあの感じが嫌なものだったし、気持ちよくなかった。

 そして、それに同意を求めるような空気も嫌で、たぶんそんなときに感じた言葉なのだろう。

 自分の感情や感覚は相手のものではない。それは、その考え方は、多様的な社会に必要なものだと思う。そして、大事なことは、それを認めた上で、どうするか、だ。

 相手は違う……だから弾く、排除する、(同じ考えのみの者で)徒党を組む、村八分等々、いろいろ言葉はあるかと思うが、そういった視点ではなく、相手が感じている視点に目を向けて、なぜそうなのだろう、ではこうではどうか、と発展させていくほうが多角的に見られて良いものになりうるのではなかろうか。

 自分と違うから意見も聞かずにシャットアウト。とても、もったいないと思う。

 自分にはないからこそ、新しい自分の視点が生まれるものだと思うし、お互いに見えないものが見えるようにもなるかもしれない。

 盲点の窓をより開放の窓へ。そして、未知の窓をより開放の窓へ。

 だからこそ、今の感覚で考えるに、ではどうしてそんな文句や不平を言っているのか、そこまで踏みこめていたらまた違ったのかもしれない。

 当時の私では、結局、私の感覚や感情でしか、ものを見ていなかったのだ。

 それはとても反省点。だからこそ、それを認めた上で、どうするか。

 しっかりと考えて、感じて  いかれたら、と思う。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。