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朝の流れというものは

 私は、どちらかといえば自閉的傾向にあると思う。と書いたのは、何度であろうか。

 同じこと、見通しのあることに安心を見出して、その流れから外れると不安にもなれば、ストレスにも感じ、調子の狂うように思う。

 もちろん、すべてがそうではないし、適当、臨機応変、なんていうものも好きなもので、私を一言で表すと「矛盾」なのではないか、と感じさえしている。

 自閉症ーー今はスペクトラムか、の方に対しての支援では、基本的な土台、流れというものの中に、少しずつ外せるものを見出していくようなイメージで取り組んでいた。安心、という意味では常に一定で同じ、というのもよいと思うけれど、それでは幅も広がらないし、災害等何かあったときに対応ができなくなってしまうのでは、という想いがあった。

 そうした中で、意外と、土台や流れさえしっかりしていれば、そこから外れて違うことをするのも、できるもの、という感触を得た。もちろん、その土台や流れに立ち戻れる、という安心を得られる、というのは前提であると思うけれど。

 朝のルーティンにしても、同じことは言えるかもしれない。

 私で言えば、正直なところ流れはほとんど変えていない。起きる時間からその後の動作まで、ほとんど毎朝同じことの繰り返し。そうすることで考えることを減らしたい、というのもあるし、単純に安心するのだ。

 そんな私のほうが、もしかしたら彼らよりもよっぽど対応力のない人間なのかもしれない、なんてことを、支援をしていて思ったものだ。

 朝のルーティン、朝の流れに身を任せる。

 それが安心を生み、生活が成り立つ。

 どうにも、これは、まだまだ変えられそうにない。

いつも、ありがとうございます。 何か少しでも、感じるものがありましたら幸いです。